年金暮し団塊世代のブログ

男寡になった団塊世代の年金の現実と暮らし向きをブログで。 今や仕事になった鳥撮り(野鳥撮影)の成果もアップします。

クロネコ メール便  (2008年7月)

2008年07月06日 | 日々雑感

<今日は連続投稿です>
 
甥っこの結婚式で撮ったデジカメ写真と動画をCD2枚に焼いてヤマト運輸の「クロネコ メール便」で昨日送りました。 宅配便とは違ってメール便は郵便受けに投函するだけの(受領印不要)配達サービスで、A4サイズ厚さ1cmまで全国一律80円で、おまけにネットで依頼すればタダで家まで取りに来てくれます。 但し、配達日時の指定は出来ないし、配達まで3~4日かかります。 (→プラス100円で翌日配達という速達メール便もあります。) 甥も嫁さんも小学校の先生なので、夜しか家に居ないからメール便で十分と思った訳です。 
 
今までは団地内にあったコンビニに持って行ってたんですが、1ヶ月ほど前に閉店したので、雨が降っていたこともあって、ネットで依頼して家まで取りに来てもらいました。 が、80円のものを取りに来てもらうのは正直ちょっと申し訳ない感じです。 

全く便利なもんです。 皆様もどうぞご利用下さい。 (→私めはヤマト運輸の社員ではありません!(笑))
 

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フェルメール作品メモ(#14)  ミュージック・レッスン

2008年07月06日 | フェルメール
 
The Music Lesson (A Lady at Virginal with a Gentleman) 「ミュージック・レッスン」
1662-64, oil on canvas, 74 x 64.5 cm,
Inscribed low picture frame at right : IV Meer (IVM in ligature)
Her Majesty Queen Elizabeth II, UK


エレガントにまとめられた部屋で、背中を見せた婦人が高価なヴァージナル(Virginal)を弾いている。 彼女の傍らにいる紳士に向けた彼女の顔が、楽器の上方にある鏡に中に写っている。 また、この想像上のシーンの中にフェルメール自身が居ることを示唆するように、イーゼル(画架)の足が映っている。
 この絵は、伝統的に「ミュージック・レッスン」と呼ばれている。 しかし、絵のテーマはまた、なまめかしいものでもある。 つまり、音楽は恋を暗喩していると考えることができるから。 ヴァージナルの上蓋に書かれているラテン語の文章は「音楽は歓びの伴、悲しみの慰め」と読める。

フェルメールのイメージは、騒々しい大声や不作法な音が異質に思える程、抑制されたものであるが、この絵の大きなヴァージナルは、そのデリケートなリズムのある響きと共に、バランスと調和の取れた構図の基礎をなしている点で、他の絵とは違っている。 エレガントにまとめられた室内の大きな空間は、ヴァージナルが奏でる音楽が響きわたるように思える。

形と色のコントラストなパターンが大小のアクセントを創り出している。 つまり、テーブルカバーの赤/黄/青の複雑な模様、に対する、自/黒のタイルの大い正射直線。 ヴァージナルの正面を覆うセイウチ皮のエレガントな装飾、に対する、四角い真黒な額縁。

消失点が婦人の左袖にあるのは、音楽に焦点を当てているからである。 彼女の重要性を視覚的に強調する為に、婦人の周りに四角い形状を置くのは、テーマのクライマックスに向けてモチーフを反復させる音楽上のテクニックに似た、絵画の構成上のテクニックである。 以前のテーマに短調で返る音楽上のテクニックのごとく、鏡がなければ決して分からない、背中を見せた婦人の容貌を鏡に映して見せている。

婦人が弾いているヴァージナル はアントワープの有名な楽器製造者Andreas Ruckers(1579 ‐1654)が作ったものに間違いない。  こ のようなヴァージナルは若い娘の最も洗練されたお稽古事として家庭教師を雇うことの出来た裕福な家庭のみに所有できた高価なものである。 この絵のタイトルの通り、描かれている男性は家庭教師だと考えられている。 しかし、フェルメールが表現したかった事は、音楽よりもむしろ恋(愛)の理想であるように思える。
 ヴァージナル以外の椅子、バス・ビオラ、ワイン・ピッチャーは他のフェルメールの絵に描かれているものと同じものである。 殊に、後方の絵はローマ神話の「Cimon and Pero」の物語を表したもので、フェルメールの義母Maria Thins が所有していた絵である。  つ まり、フェルメールはこの部屋のセッティングを作る為に、色々な所から色々な物を寄せ集めて来ている。

鏡に映っているイーゼルを入れることで自分の存在を示すなど、構図的にも考えられた絵である。 例えば、窓からの光が、不自然とさえ言える程に部屋の奥行きを出している。 奥の窓の下側に斜めに落ちる濃い影を描いているが、同じような影が出来るはずの上段の窓には濃い斜めの影は無く、手前の上段の窓の影は角度が違っている。
 フェルメールはヴァージナルの重要な箇所に、即ち、上段の窓の影はヴァージナル の蓋の角に、下段の影はヴァージナルの脚とフロアの交点に、影が落ちるように影の角度を変えている。 つまり楽器と周りの空間をうまくリンクさせている。

部屋の後方に強い光を当て、前方は弱い光に描いている。 手前のフロアタイルは影なのにテーブル上のピッチャーには光が当たっている。 ピッチャーを構図上、テーマ上のアクセントとフェルメールが見なしたからであろう。
 後方の壁と前景のテーブルの鋭角的な透視がヴァージナルの前の婦人に導く一方、テーブルと消失点の間にテーブルの椅子を置くことで、右側の透視をスローにしている。 また椅子は後方のカップルのプライベートな交わりを隠し保護するものでもある。 見る人からカップルを物理的に離す物が、フロアーに置かれたバス・ビオラである (フロアータイルと婦人の赤いドレスの上に後から描かれたことが赤外線写真から判明している)。 フェルメールはこのビオラを構図上の理由と共に図像学的理由で追加したと考えられる。

離された二つのハートが全体のハーモニーの中で交歓しているかのごとく、置かれている楽器が演奏されている楽器に共鳴呼応すると図像学的には見られている。 この絵でも、婦人の演奏に一心に聞き入っている男性の見開かれた眼差しに、ハーモニーのセンスが感じられる。
 しかし、恋(愛)のハーモニーは音楽の隠喩的な役割の一つに過ぎない。 ヴァージナルの蓋のラテン語は「音楽は歓びの伴、悲しみの慰め」と読め、その恋(愛)から得られる人間的精神的な慰めを褒め賛えるものとしてヴァージナルは叙情詩に詩われている。

壁に掛けられた「Roman Charity」の絵は、もう一つ別のテーマを示唆している。  Peroは獄中の父Cimonの魂に救済と滋養を与え、人間の行動の模範とされた。 精神的な意味での、娘の父に対する愛情という形で、キリストの救済の理想を象徴している。

陽光の当たったピッチャーも、同様な象徴的な機能を持っているのかも知れない。 そのエレガントなフォルムは男性の腕のカーブとリンクしており、前景と後景のリンクを与えている。 CimonとPeroの絵の真下に置かれていることから、官能的な滋養を提供するコンテナーとしての機能を示唆している。  官能的であれ精神的であれ、愛によって与えられる慰めと安楽という中心的テーマを補強している。


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