濁泥水の岡目八目

中国史、世界史、政治風刺その他イラストと音楽

管仲、魏徴、ジェベ、本多正信に榎本武揚も敵だったし「柿崎明二」を使って もいいじゃない

2020-10-01 14:39:08 | エッセイ


 ミュラーは戦後消息不明となり、いつ死んだのかも分からない。それについては色々な説があるが「ゲーレン機関」の長であり初代連邦情報局長官のラインハルト・ゲーレンは彼がソ連に逃亡したのだと主張していた。ドイツの敗北を予測して情報をソ連に流して、その見返りに匿ってもらったというのだ。今ではこの説は否定されているが、「あいつならやりかねない!」という思いがむき出しになっている。ゲーレンの軍情報部とゲシュタポはライバル関係にあったのだが、そこまで言うかという気がする。
 ミュラーは官僚の権化だったという。ヒムラーがヒトラーを見限るとその配下だったフェーゲライン親衛隊少将は銃殺されたが、同じ配下のはずの親衛隊中将ミュラーは何の疑いも持たれずにヒトラーからフェーゲライン逮捕を命じられている。彼は誰かの「子分」になることなど決してない人間で上司とも職務以外の関係を持たなかったからだろう。