濁泥水の岡目八目

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水木しげるさんは、なぜ南方へ送られたのか

2015-12-24 14:06:03 | エッセイ

 先月亡くなられた水木しげる氏は、戦争で南方へ送られて片腕を失い、塗炭の苦しみを受けた事は良く知られている。  
 しかし、南方へ送られる原因が水木さんの非常識極まりない態度にあった事は、あまり知られていないようだ。本人も気付いていないので無理もないが。彼は新兵として基礎訓練を受けた後で、ラッパ兵に配属されたが、ラッパが上手く吹けずに罰としてひたすら走り回されたそうである。それが辛くて人事係曹長に配属を変えてくれと頼んだら、最初は「まあ、我慢してやってくれ。」と曹長は言ったそうである。ところが、水木さんがそれからも重ねて頼み込むと、いきなり「お前は北がいいか、それとも南か。」と言い、水木さんが「南です。」と答えると、南方戦線に配属してしまったのである。北と答えていたら満州へ送られていたはずである。

 今の若い人々から見れば、曹長の行為は横暴だと思うかもしれないが、当時の軍隊の常識からして理不尽極まりないのは水木さんの方である。新兵が、自分の配属された職務が気に入らないから変えてくれなどと要求したのである。しかも相手は曹長である。常識のある兵士なら自分から曹長に話しかけようとはしない。話しかけるだけで失礼になるからだ。「真空地帯」という小説で、親切な三年兵に初年兵が話しかけているのを見た意地の悪い三年兵が、「お前さっき、曾田三年兵になにいうとった、よおー、外出は俺のような三年兵でも気がひけてでけんのに五分前にかえってきくさってよ。三年兵になれなれしゅう、はなしかける・・・。おれらの初年兵のときはな、三年兵殿にものをいうときには、不動の姿勢をとっていうたもんじゃ・・・おそろしゅうてよう。」と嫌味を言う場面がある。二年古いだけで、口をきくのもはばかられるのが当時の陸軍の上下関係だった。
 二等兵、一等兵、上等兵、兵長が兵隊の階級であり、その上に伍長、軍曹、曹長、准尉という下士官の階級が続く。兵隊の生活を監視したのは「班長」とよばれた軍曹である。その「班長」でさえ神様のような権力をふるったなかで、その上の曹長である。新兵が会いにいって口のきける相手ではない。なお、兵隊の階級は建前にすぎず、本当は初年兵、二年兵、三年兵と古い順に偉くなる。「真空地帯」でも、四年兵の一等兵が三年兵の上等兵や兵長を含む内務班全員を殴りつける場面がある。階級が通用しなかった事を考えれば、組織ではなく「ムラ」だったとしか言えないだろう。

 帝国陸海軍が新兵をひたすら殴って鍛えたのはよく知られているが、殴るのは軍隊という「ムラ」の空気を感じ取って上官に役立つ人間にする為である。ところがごく希に、いくら殴っても全く空気の読めない人間がいる。上官達は頭を抱えて「何でこんな奴を入れたんだ。」とさぞかし嘆いたことだろう。「遁走」という小説には、知能が低すぎて空気の読めない兵隊が出てくる。上官達は、あきれはてて彼を殴るのを止めてしまう。いくら殴っても無駄だからだ。そのかわり彼は別扱いとなり、一人前の兵士とはみなされなくなる。
 水木さんは知能こそ低くはないが、いくら殴られても全く空気の読めない特別扱いの兵隊だったようだ。初年兵のくせに外出のときなんと門限ぎりぎりに隊に戻り、門限を破ったのではないかと大問題となって、中隊長に呼び出されて班長にボコボコにされたという。前の三年兵の言葉を聞けばわかるように、初年兵は外出許可が出ても気をつかって辞退するか、外出しても誰よりも早く隊に戻るのが常識なのに、門限に遅れたかもしれない頃に平気で歩いていた水木さんの感覚は常人ではない。普通なら血相を変えて駆け出していたはずである。配下の兵士が中隊長に呼び出されて准尉の前で叱責されるなど、班長としては面目丸潰れで経歴に傷が付くのである。准尉は人事権を持つので大尉である中隊長より下士官兵士達に恐れられ、気に喰わなければ下士官だって戦地に送りかねない中隊の実力者なのである。大病院の総看護師長と思えばいい。院長などより看護師達からはるかに恐れられているはずである。
 おそらく、この時から所属する中隊で水木さんは全く別扱いの問題兵となったのであろう。班長が水木さんの保護者となり上等兵が水木さんの軍装を手伝ってくれたそうである。「昭和史」の中で水木さんは、「ありがたやありがたや」などと書いているが、教育しようがないと見放されたのである。上官達はこの何をするかわからない問題兵の為に、自分達までとばっちりを食わないように気をくばっただけである。班長は准尉から「あいつに二度とおかしな事をさせるな!」と釘を刺されたはずである。だから自分に大恥をかかせた男の保護者になったのである。初年兵を教育するのは初年兵係上等兵である。彼は一度は教えるが二度とは教えずに、出来なければ殴り続けたのであって兵士の軍装を手伝ったりはしないのである。おそらく班長から水木さんが変な恰好で准尉の前に出たら俺たちは戦地に飛ばされるぞと言われて、嫌々手伝ったのであろう。前述の知能の低い兵士も、初年兵係上等兵が彼のゲートルを巻いてやっている。いくら殴っても覚えないから殴っても無駄で疲れるだけだし、変な恰好をされると教えた自分の責任になるから手伝うしかなかったのである。上官は教えるだけで手伝ったりはしない。上等兵が初年兵を手伝うなど例外中の例外で普通ではありえない事なのである。人事係曹長が配置替えを要求した水木さんを最初は許したのも、こいつならしょうがないと諦めていたからであろう。曹長に配置替えを要求する初年兵など水木さん唯一人であったはずであり、普通の兵隊がそんな事を申し出たら班長に命じてボコボコにさせていても不思議ではない。 
 そんな人事係曹長も、水木さんが二度三度も配置替えを求めると堪忍袋の緒が切れてしまう。そもそも水木さんがラッパ兵になれたのも曹長の温情だったはずである。山本七平さんの「私の中の日本軍」では、陸軍の兵隊達が楽でいいなと望んだ職務は「一ラッパ、二ヨーチン、三テッチン」であり、ラッパ兵、看護兵、鍛冶兵の順にうらやましがられたそうである。曹長にしてみれば、使えない問題兵でもラッパを吹かして隊に置いてやろうと優遇してやったのに、恩知らずにもほどがあると愛想を尽かしてしまい、准尉に面倒みきれないと中隊から放り出すよう勧めたのであろう。そして水木さんは南方へ飛ばされてしまった。  
 すべては、どんな環境に置かれても全く自分の生き方を変えようとしないし、他人の思惑も気にしない水木さんの特異な性格が原因である。帝国陸軍でさえ矯正出来なかったその変わり者ぶりは、戦地においても発揮されている。軍規を全く無視して地元の人々と自由に交際していたのは水木さん唯一人である。いくら止めろと言っても聞かないので部隊でも大問題となり、上官達がその対策を協議したという。士官の中には牢にぶち込めと言う者までいたが、軍医があいつは特別だからとかばってくれたそうである。おそらく上官達は軍医の言葉を水木さんの精神状態がおかしいと受け取ったのだろう。頭がおかしくて反省しない奴を牢に入れても意味はない。だから許したのである。水木さんが現地の人々と友達になったことはよく知られているが、本来なら陸軍兵士にそんな事は許されなかったのである。水木さんは千人に一人、いや一万人に一人かもしれない特別な兵隊だった。