ここのところ、有名人の方の自死にはじまって、近鉄線での自死のニュースがあったり、コロナ下での自死の増加が考えられるなど、けっして他人事といえないことだということを、ひしひしと感じています。
また、すこし前にはSNS上で自死に引き寄せられる人たちを誘い出して殺人を行っていた犯人もいますし、難病の方を死に送った人物もいました。それだけでなく、インターネットの掲示板などを通じて、駅から線路に飛び込む女の子や、自分の自死を中継していた人物の動画を、私自身も見たことがあります。インターネットが広がるとともに、自死の淵も大きく深くなっているように思います。
「生きていれば良いことがある。」
たしかにその面があることは否定しません。しかし、そうとも言えない面があることも、一方にあるのではないでしょうか。その部分にしっかり目を向けて、社会のあり方を考えることも大切だと思います。
私たちの心には、いろいろな人と関わって生活して成長する中で、いろいろな「タネ」が蒔かれているのだと思います。その「タネ」は、人と関わる気持ちを大きくするものだったり、学ぶことを楽しいと思えるものだったり、世の中をよくしたいと思う気持ちだったりのように、前に向いていくことにつながるプラスのものもありますが、恨みや妬みのように他の人を傷つけるものもあると思います。そして自分自身を傷つけたり、存在をなくしたいと思わせる「タネ」もあると思います。
その「タネ」が蒔かれる人の心にも、いろいろな状態があって、いろいろな「タネ」が芽吹きやすいときもあれば、特定の「タネ」が芽吹きにくい状態のときもあったり、人それぞれだと思います。それに、いろいろな「タネ」が芽吹いても、その時々で勢力が変化して存在しているのだと思います。
その「タネ」の中に自死も潜んでいて、多くの人は多少芽吹いても、心に根を下ろす前に抜くことができたり、枯らしたり枯れてしまったりして、大きな問題になることが少ないのかもしれません。しかし、急速に成長したり、いったん心に根を張ってしまったそれは、容易に根絶できないものになってしまっている可能性が高いのだと思います。
心が元気な時は、草刈りをするように見えているものを刈り取って無くなったように見えても、根が残っている限りどこかでまた芽吹いてしまい、他の人に見えないところで心をむしばんでしまったりしていて、バランスが崩れた時に一気に他の気持ちを枯らして自死に向かわせるのかもしれません。
そう考えると「生きていれば良いことがある。」というアプローチだけで社会の取り組みを考えていても、自死は減らないのではないかと思います。「人の心はやわらかく弱いもの」、「どうにもならないと追い込まれることもある。」、「自分もそうなるかもしれない。」という考えを、社会の取り組みの中に入れていくことが必要なのだと思います。それも口だけではなく、想像力を最大に広げて取り組むことが必要なのだと。
新型コロナウィルスの感染拡大とその報道と共に、社会に広がった怒りや不安、焦りなどの感情や空気は、確実に私たちの心の中に影響を与えているはずです。社会を良くしていこうという前向きの気持ちに働いているのであれば良いのですが、他者に対する攻撃的な感情や排斥するような気持ちを持つ人が多くなれば、世の中に対する不安という空気が濃厚になっていき、それはじわじわと私たちをむしばんで行くと思います。
今の状況で政策を考えるときは、表面的な活気などにとらわれるのではなく、人として生きることをしっかり支えるという観点が重要だと思いますし、自分の心のありようにも目を向け取り組むことが大切なのだと思います。
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