ロンドンパラリンピックでの伊藤さんの活躍は、チャレンジする人生ということからも、とてもよいことで、鈴鹿市として大きな意味があると感じました。
けれど、パラリンピックを見ていて、どうしてもすっきりしないことがあります。それは奇しくも義足での200メートル走で、ピストリウス選手が2位となったことに対しての発言から見えました。
彼は1位になった選手の装具が、自分のものより10センチ長いと言っていたということです。そうなれば、装具による反発力などが違うことで差が出ることは、たしかに事実でしょうし、予測もできるところです。そのことはつまり、装具や道具に依存する部分が大きい、それを持つかどうかが大きな差となることです。
それは、道具を持たない、持てない人には、もしかするとオリンピックよりハードルが高いということにつながるんじゃないかと思います。
そういうことを考えながら、競技用車いすのことなどを考えていると、有名なところではOXレーシングさんがテレビなどでも取り上げられており、バイクに乗っている身からすれば、鈴鹿の産業とも近いものがあるなと。
また自分がもしそうなったと思いいろいろ考えました。伊藤さんがパラリンピック出場のために市役所に訪れたときの車いすと、競技用から感じる雰囲気はかなり違い、競技用的な雰囲気のものがあればなぁと思ったり。
鈴鹿川の河川敷のサイクリングロードを活用すれば、競技用まではいかなくとも、ツーリング的な車いすで運動できるのではないかなども考えました。
そのことを昨日、福祉に詳しい同僚の伊藤議員にも話し、なにかうまい方法がないかと考えていました。
そうこうして今日、市役所から出るときにたまたまものづくり支援センター所長と話す機会があり、車いすの話をしたところ関心を持っている方々が市内にもいるとのこと。うれしく感じました。こうやって話があることを聞くと、今度はどのような形で市は関われるのかなども考えるところです。金銭的な支援はすぐに考えつくところですが、それ以外の面でなにかできないかということです。
そこで考えつくことは、車いすなどを「持たない人、持てない人」は国内だけでなく、紛争や戦争で脚を失った人、悲しいことですが、そのような地域の子どもには、地雷などで失ってしまった子もたくさんいるのではないかということです。
このような人たちに毎年少しずつでも、競技用に近い形の車いすなどを支援することを、鈴鹿のまちとして行うことで、市内の産業支援にもなりますし、「鈴鹿」、「SUZUKA]という地名を広く知ってもらえることにつながるのではないかと思います。
そのような活動を通じて、紛争地域からパラリンピックに出場し、また活躍することができる人が出てくることができれば、それは日本の選手がメダルを獲得するのと同じくらい、もしかするとそれ以上に、日本という国はもちろん、鈴鹿というまちにとって名誉なことではないかと思います。
このようなことを考えると、議員として行政に関わることでできることの狭さと、行動に移すまでの時間がかかることに、残念な思いを持ちます。
ブログに書いていますが、すこしずつ取りくんでいきたいと思っています。
けれど、パラリンピックを見ていて、どうしてもすっきりしないことがあります。それは奇しくも義足での200メートル走で、ピストリウス選手が2位となったことに対しての発言から見えました。
彼は1位になった選手の装具が、自分のものより10センチ長いと言っていたということです。そうなれば、装具による反発力などが違うことで差が出ることは、たしかに事実でしょうし、予測もできるところです。そのことはつまり、装具や道具に依存する部分が大きい、それを持つかどうかが大きな差となることです。
それは、道具を持たない、持てない人には、もしかするとオリンピックよりハードルが高いということにつながるんじゃないかと思います。
そういうことを考えながら、競技用車いすのことなどを考えていると、有名なところではOXレーシングさんがテレビなどでも取り上げられており、バイクに乗っている身からすれば、鈴鹿の産業とも近いものがあるなと。
また自分がもしそうなったと思いいろいろ考えました。伊藤さんがパラリンピック出場のために市役所に訪れたときの車いすと、競技用から感じる雰囲気はかなり違い、競技用的な雰囲気のものがあればなぁと思ったり。
鈴鹿川の河川敷のサイクリングロードを活用すれば、競技用まではいかなくとも、ツーリング的な車いすで運動できるのではないかなども考えました。
そのことを昨日、福祉に詳しい同僚の伊藤議員にも話し、なにかうまい方法がないかと考えていました。
そうこうして今日、市役所から出るときにたまたまものづくり支援センター所長と話す機会があり、車いすの話をしたところ関心を持っている方々が市内にもいるとのこと。うれしく感じました。こうやって話があることを聞くと、今度はどのような形で市は関われるのかなども考えるところです。金銭的な支援はすぐに考えつくところですが、それ以外の面でなにかできないかということです。
そこで考えつくことは、車いすなどを「持たない人、持てない人」は国内だけでなく、紛争や戦争で脚を失った人、悲しいことですが、そのような地域の子どもには、地雷などで失ってしまった子もたくさんいるのではないかということです。
このような人たちに毎年少しずつでも、競技用に近い形の車いすなどを支援することを、鈴鹿のまちとして行うことで、市内の産業支援にもなりますし、「鈴鹿」、「SUZUKA]という地名を広く知ってもらえることにつながるのではないかと思います。
そのような活動を通じて、紛争地域からパラリンピックに出場し、また活躍することができる人が出てくることができれば、それは日本の選手がメダルを獲得するのと同じくらい、もしかするとそれ以上に、日本という国はもちろん、鈴鹿というまちにとって名誉なことではないかと思います。
このようなことを考えると、議員として行政に関わることでできることの狭さと、行動に移すまでの時間がかかることに、残念な思いを持ちます。
ブログに書いていますが、すこしずつ取りくんでいきたいと思っています。