次の文章の空欄〔A〕~〔T〕に最も適切な語句を下の語句群より選び、符号で答えよ。また、(a )~(e )の問いにも答えよ。
わが国最初の水稲農耕社会である弥生時代には、集落の近くに共同墓地が営まれた。
九州北部では、中期には成人用の〔A〕が発達し、特定のものには朝鮮半島製の銅剣や〔B〕あるいは中国製の〔C〕や璧などが副葬された。
他方、近畿地方を中心とした地域では、〔D〕・土壙墓、およびそれらのまわりに溝をめぐらした〔E〕が普及したが、副葬晶はほとんど入れられなかった。
古墳時代には〔F〕を中心とする古墳が各地で作られた。前期には竪穴式石室や〔G〕に割竹形木棺が納められ、刀剣や農工具のほかに、鏡・玉類・〔H〕製の腕飾り類など、呪術的なものが多く副葬されたが、中期には、大王墳を中心に、〔I〕石棺が用いられ、副葬品には甲胃など権力を誇示する実用的なものが目立つようになった。
古墳時代の後期になると横穴式石室が作られ、小円墳群からなる〔J〕の埋葬施設として普及した横穴式石室は、遺体を安置する〔K〕が羨道により外部とむすばれているのが特徴で、いつでも〔L〕することのできる家族墓的性格をもっていた。
副葬晶では馬具・耳環・〔M〕などが一般的であった。
7世紀に入ると〔F〕は作られなくなり、主要な古墳は方墳や円墳となったが、やがては消滅していった。
奈良県の〔N〕古墳は壁画をもつ古墳として知られているが、石榔の内面には漆喰がぬられ、そこに人物像や日月・星宿とともに、中国の伝説上の鳥獣である〔O〕が描かれていて、〔P〕や唐の壁画の影響をみてとることができる。
8世紀に入ると仏教による〔Q〕の風習が広まり、蔵骨器を納めた墳墓が作られるようになった。
1979年に、かつて都であった〔R〕の東の山中で1墓の墳墓が発見されたが、出土した〔S〕により、この墳墓が古事記の筆録者として知られる〔T〕のものであることが判明した。
(語句群)1.石棺墓 2.玄室 3.高松塚 4.支石墓 5.木槨 6.前方後円墳 7.群集墳 8.銅鏡 9.家形 10.埴輪 11.太安万侶 12.碧玉 13.槨室 14.平城京 15.甕棺墓 16.稗田阿礼 17.四神 18.銅鐸 19.百済 20.墓誌 21.方形周溝墓 22.火葬 23.洗骨葬 24.長持形 25.須恵器 26.高句麗 27.銅器 28.束明神 29.横穴群 30.木簡 31.四隅突出墓 32.粘土槨 33.木棺墓 34.追葬 35.土葬 36.前方後方墳 37.恭仁京 38.硬玉 39.銅矛 40.神獣
(a)『後漢書』東夷伝には、紀元57年に倭の奴国王の使者が後漢の光武帝に朝貢して、印綬をうけたことが記されているが、奴国は現在のどのあたりにあったと推定されているか。市町村名で記せ。
(b)古墳時代前期の後半には朝鮮半島の進んだ技術が入ってきたが、その頃の高句麗との関係を知る上で重要な碑文は、誰の事業を記したものか。
(c)古墳時代後期には大和政権は豪族の抵抗をおさえ、地方支配を強めていったが、6世紀
初め、九州でおこった反乱の主謀者は誰か。
(d)〔N〕古墳は当時の都のほぼ真南に立地しているが、持統天皇が建設したこの都を何とよ
ぶか。
(e)古事記は神代から何天皇までの天皇系譜や皇室の伝承をおさめているか。
[解答]
A-15 B-39 C-8 D-33 E-21 F-6 G-32 H-12 I‐23 J-7 K-2 L-34 M-25 N‐3 O‐17 P‐26 Q-22 R-14 S-20 T-11
(a)福岡市 (b)好太王 (c)磐井 (d)藤原京 (e)推古天皇