Fú Jiān, formally Emperor Xuanzhao of (Former) Qin ((前)秦宣昭帝), was an emperor (who, however, used the title "Heavenly Prince" (Tian Wang) during his regn) of the Chinese/Di state Former Qin, under whose rule (assisted by his able prime minister Wang Meng) the Former Qin state reached its greatest glory—destroying Former Yan,Former Liang, and Dai and seizing Jin's Yi Province (益州, modernSichuan and Chongqing), posturing to destroy Jin as well to unite China, until he was repelled at the Battle of Fei River in 383. For a variety of reasons, the Former Qin state soon collapsed after that defeat, and Fú Jiān himself was killed by his former subordinate, Yao Chang the founding emperor of Later Qin, in 385.
337~385 五胡十六国時代の前秦3代の王、世祖(在位357~385)。氐族出身。漢人の賢相王猛を重用して内政を整え、前燕・前涼を滅ぼして華北を統一、西域諸国を従えた。
東晋の併合を目指して大軍を南下させたが、383年、宰相謝安の甥謝玄に淝水の戦いに敗れて長安に逃げ帰った。
385年、西燕に敗れ、逃走の途中で殺害された。
●淝水の戦い
ベック式ゴロ合わせ!
身は裂け肥満 不健全。
383年 淝水の戦い 苻堅 前秦
淝水の戦い
ひすいのたたかい
383年、中国統一をかけた東晋遠征において前秦が敗れた戦い。
華北を統一し、東晋から四川(しせん)を奪った前秦の苻堅(ふけん)は自ら100万と号する大軍を率いて南下し、寿陽を落とした。これに対し東晋は、宰相謝安の甥(おい)謝玄が建康(南京(ナンキン))防衛にあたる北府軍団を中核とする8万の衆を率い、両軍は淮水(わいすい)の支流淝水を挟んで対峙(たいじ)した。
苻堅は先鋒を偽って退かせて東晋軍を誘ったが、兵は混乱して退却をやめず、そこを謝玄に強襲されて全軍総崩れとなり、「風の音や鶴(つる)の鳴き声にもおびえつつ」逃走(「風声鶴唳(ふうせいかくれい)」の語のおこり)、苻堅も負傷した。国士として優遇した慕容垂の軍勢に護衛されて、命からがら長安に逃げ帰った.
だが、この敗戦によって前秦治下の各種族が独立し、華北は以前にも増して分裂の状態を迎える。南北対立を確定づけた戦いであったといえる。






思いがけなく、このつらい世を生きながらえていたならば、きっと恋しく思い出すだろう。この美しい夜半の月を。
三条院と道長は、恐らく性格も関係していたのでしょうが、利害関係が合わず、院の在位中は、つらいことが多かったようです。院には、道長の娘とは違うお后に皇子がいて、その皇子を皇太子にしたかったのですが、道長は自分の血をひく皇子を即位させたかったのです。そして、その皇子を即位させるため、院にさまざまな圧力をかけました。この和歌は、退位を覚悟しなければならなくなった状況で詠まれました。眼病で、今夜のような美しい月をみることはできなくなるかも知れない恐れ、そして帝王として、皇位のこと、皇子のこと、そして道長の自分への仕打ちのこと、心のうちを誰にも明かせない苦しみが、ひしひしと伝わってくるようではありませんか?
三条院は、三条天皇(さんじょうてんのう)という、いまから1000年ほど前の天皇です。「院」とは位を退いた後の呼び名です。三条院は、藤原道長(ふじわらのみちなが)権勢時代の天皇で、道長の娘をお后にしていましたが、皇子に恵まれず、また性格も道長とあまり合いませんでした。病弱で、眼を患われたこともあって退位されました。
