今日、本屋で『勉強しろといわずに子どもに勉強させる本』という、なんかいやなタイトルの本があり、ぱらぱらと見てみると案の定、そこにはこざかしい誘導テクニックがちりばめられてあった。
確かに一定の効果はあるやろう、しかし、子どもが書棚にならんだこの本を見たらどない思うだろう。
そんなことなら、「勉強しろ!」と言う方がましではないのか?
今の親は何を変な気をつかってるんだ。
中国では「国家のために勉強しろ!」と学校で言ってるぞ(それがいいと言ってるわけではないが、言葉にせずに言わず語らずで伝えようとするくらいなら、はっきり言った方がましだということである)。
しかし、言葉など所詮言葉である。行動の敵ではない。
私が小学生の頃、ギャンブルにうつつを抜かして働かない父親に代わって私の母親は朝の4時くらいに起きて早朝から夜遅くまで文字通り骨身を削って働いていました。そんな状態ですから私が目を覚ますともう母はいない。テーブル(と呼べるような立派なしろものではありません)の上には朝食の卵焼きと書き置きが置かれていた。
そこには今日も勉強を頑張るんだよというメッセージとともにその日学校でテストがある漢字がひらがなで書いてある。そう、それは母の手による、即席の書き取り準拠問題集なのだった。
実際問題、勉強などまったく頑張っていなかった私も、その書き取りだけは無視するわけにはいかず、パンをかじりながら傍線の引かれた部分を漢字に直していった。
苦労しながら手書きの書き取り問題集をつくってくれた母の気持ちに報いたいという気持ちから、遅刻寸前の時間のない中でどうにかして学習効率を上げるために覚え方を工夫している自分がいた。
おかげで、すべての成績が悪い中で漢字だけはよくでき、それが自信となってやがて国語の成績が上がっていった。
もちろん、そのおかげですべての学習状況が好転したというほど出来すぎた話ではなく、その後も私の劣等生ぶりは変わらなかったが、まがりなりにも学研や文英堂などの一流出版社から12冊の参考書を出すことができ、塾の先生によって使われている率が最も高い著者の一人となることができたのは、このときの経験と無縁ではないはずである。
昨年、母が亡くなったとき、一番思い出したのが小学生のときのその思い出であった。教育とはそんな思いなのではないかと僕は考えます。
別宮孝司
確かに一定の効果はあるやろう、しかし、子どもが書棚にならんだこの本を見たらどない思うだろう。
そんなことなら、「勉強しろ!」と言う方がましではないのか?
今の親は何を変な気をつかってるんだ。
中国では「国家のために勉強しろ!」と学校で言ってるぞ(それがいいと言ってるわけではないが、言葉にせずに言わず語らずで伝えようとするくらいなら、はっきり言った方がましだということである)。
しかし、言葉など所詮言葉である。行動の敵ではない。
私が小学生の頃、ギャンブルにうつつを抜かして働かない父親に代わって私の母親は朝の4時くらいに起きて早朝から夜遅くまで文字通り骨身を削って働いていました。そんな状態ですから私が目を覚ますともう母はいない。テーブル(と呼べるような立派なしろものではありません)の上には朝食の卵焼きと書き置きが置かれていた。
そこには今日も勉強を頑張るんだよというメッセージとともにその日学校でテストがある漢字がひらがなで書いてある。そう、それは母の手による、即席の書き取り準拠問題集なのだった。
実際問題、勉強などまったく頑張っていなかった私も、その書き取りだけは無視するわけにはいかず、パンをかじりながら傍線の引かれた部分を漢字に直していった。
苦労しながら手書きの書き取り問題集をつくってくれた母の気持ちに報いたいという気持ちから、遅刻寸前の時間のない中でどうにかして学習効率を上げるために覚え方を工夫している自分がいた。
おかげで、すべての成績が悪い中で漢字だけはよくでき、それが自信となってやがて国語の成績が上がっていった。
もちろん、そのおかげですべての学習状況が好転したというほど出来すぎた話ではなく、その後も私の劣等生ぶりは変わらなかったが、まがりなりにも学研や文英堂などの一流出版社から12冊の参考書を出すことができ、塾の先生によって使われている率が最も高い著者の一人となることができたのは、このときの経験と無縁ではないはずである。
昨年、母が亡くなったとき、一番思い出したのが小学生のときのその思い出であった。教育とはそんな思いなのではないかと僕は考えます。
別宮孝司