▲甘粛省の敦煌市の位置
中国甘粛(かんしゅく)省西端にあるオアシス都市。前漢の武帝が郡をおいてから西域への要衝となった。
4世紀以降に建造された莫高窟(ばっこうくつ)と呼ばれる石窟寺院は壁画や仏像で名高く、
五胡十六国時代には独立国家を形成したが、これ以後、漢民族と西域諸民族の間で争奪が繰り返された。
19世紀末には「敦煌文書」も発見された。
▼莫高窟

▼莫高窟の壁画「張騫の征西」

《敦煌の緯度》
敦煌の緯度は秋田市と同じ北緯40度である。
北緯40度の都市は他に中国の首都北京、スペインの首都マドリード、トルコの首都アンカラやイラン・中央アジアにおける最も重要な都市のひとつであったブハラなどがある。敦煌の位置を覚える際の参考に!
地図問題 ●m、n、o、pの遺跡名を答えよ。ちなみに●f は平城(現在の大同)、●gは洛陽である。 正解は図の下▼

解答 ●m. 雲崗、n. 竜門、o. 敦煌、p. 広開土王碑
問題2. 次の図A. B. C.の中「から敦煌石窟寺院の像を選べ。
A.

B.

C.
正解 A.
解説 Bは雲崗の C.は竜門の石窟寺院。中国風。
中国で石窟寺院と石仏が流行したのは、廃仏の際に木造建築のお寺や木彫の仏像だと焼かれてしまうことを避けたからである。
北魏の太武帝の時の廃仏の後、仏教は復興するが、文成帝の時には都の平城(大同)の郊外の雲崗、孝文帝の時には遷都した先の洛陽の郊外の竜門にそれぞれ石窟寺院がつくられ、石仏がまつられた。
なお敦煌は西域の入り口にあり、砂漠地帯なので最初から石窟寺院としてつくられたが、仏像は塑像(粘土作り)である。
また、雲崗の仏像はインドの影響が強く、竜門になると中国風の独自性が強くなることにも注目しよう。

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