● 安土・桃山時代(後陽成天皇 豊臣秀吉)
1587(天正15)年 〈バテレン追放令〉★
Toyotomi Hideyoshi issues anti-Christian edict.
以後(いご)はならんと 追放令。
1587年 博多 豊臣秀吉 バテレン追放令
織田信長の後継者となった豊臣秀吉は、当初貿易の利益からキリスト教の布教を黙認したが、1587年に島津氏征伐のために入った九州で大村純忠が長崎を教会領として寄進していたことを知り、博多でバテレン(宣教師)追法令を発して宣教師に国外退去を命じた。
While he forbid Christianity, which was symbolized by 'Bateren Tsuihorei' (an edict expelling the European missionaries), Hideyoshi earnestly promoted commerce with Europe.
バテレン追放令をだすなどキリスト教を禁ずる一方でヨーロッパとの交易は盛んに推進した。




思いがけなく、このつらい世を生きながらえていたならば、きっと恋しく思い出すだろう。この美しい夜半の月を。
三条院と道長は、恐らく性格も関係していたのでしょうが、利害関係が合わず、院の在位中は、つらいことが多かったようです。院には、道長の娘とは違うお后に皇子がいて、その皇子を皇太子にしたかったのですが、道長は自分の血をひく皇子を即位させたかったのです。そして、その皇子を即位させるため、院にさまざまな圧力をかけました。この和歌は、退位を覚悟しなければならなくなった状況で詠まれました。眼病で、今夜のような美しい月をみることはできなくなるかも知れない恐れ、そして帝王として、皇位のこと、皇子のこと、そして道長の自分への仕打ちのこと、心のうちを誰にも明かせない苦しみが、ひしひしと伝わってくるようではありませんか?
三条院は、三条天皇(さんじょうてんのう)という、いまから1000年ほど前の天皇です。「院」とは位を退いた後の呼び名です。三条院は、藤原道長(ふじわらのみちなが)権勢時代の天皇で、道長の娘をお后にしていましたが、皇子に恵まれず、また性格も道長とあまり合いませんでした。病弱で、眼を患われたこともあって退位されました。


