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1999年に亡くなった桂枝雀さんの生誕70年記念落語会が大阪・サンケイホールブリーゼ(8月13日)など全国十数カ所で行われることになり、製作会見に行ってきました。
詳細は明日の紙面に委ねますが、会見には、枝雀さんのお弟子さんの桂南光さん、桂雀三郎さん、桂雀松さんらが出席。師匠の思い出話に花を咲かせてらっしゃいました。
僕が大学を出て、デイリースポーツに入社したのが1999年4月。
初めて一人で取材に行ったのが桂小米朝(当時)さんの会見で、恐縮ながら、入院中だった枝雀さんの容態をうかがったのを覚えています。
あれから10年以上が経ちました。僕は会社員らしからぬ異動のなさに恵まれ、今も同じ部署にいますが、いろいろなことが変わりましたし、いろいろなこともありました。
そりゃ、10年前に比べたら禿げるはずだと妙に納得もしました。
毎日毎日、いろいろな取材をするのが仕事ですが、今日の会見は味わい深いものでした。
生誕35年を迎える頃には、枝雀さんと同じアタマになっていそうな34歳。
詳細は明日の紙面に委ねますが、会見には、枝雀さんのお弟子さんの桂南光さん、桂雀三郎さん、桂雀松さんらが出席。師匠の思い出話に花を咲かせてらっしゃいました。
僕が大学を出て、デイリースポーツに入社したのが1999年4月。
初めて一人で取材に行ったのが桂小米朝(当時)さんの会見で、恐縮ながら、入院中だった枝雀さんの容態をうかがったのを覚えています。
あれから10年以上が経ちました。僕は会社員らしからぬ異動のなさに恵まれ、今も同じ部署にいますが、いろいろなことが変わりましたし、いろいろなこともありました。
そりゃ、10年前に比べたら禿げるはずだと妙に納得もしました。
毎日毎日、いろいろな取材をするのが仕事ですが、今日の会見は味わい深いものでした。
生誕35年を迎える頃には、枝雀さんと同じアタマになっていそうな34歳。