大事小事―米島勉日記

日常起きる小さな出来事は,ひょっとして大きな出来事の前兆かも知れません。小さな出来事に目を配ることが大切と思います。

斉藤環境大臣,見栄で重要な数値を決めるものではありません―削減率プラス6%じゃ世界に恥ずかしい?

2009年05月12日 20時08分20秒 | 地球環境

 以下は,このブログで今年の3月4日に書いた全文です。なぜ繰り返し掲載するかというと,京都議定書の後継としての温暖化効果ガス規制の数値を決める時期にきた,ということで日本が目標とすべき数値としていくつかの候補を政府が挙げているのです。プラス4%からマイナス25%まで6段階の数字が提示されたと記憶しています。
 これに対して経団連の御手洗会長が,なんと1990年を基準としてブラス4%が望ましいと意見表明しました。この数字は,現実の日本の削減実績に基づいているものといえます。つまり,現在の日本は,京都議定書に定めた削減目標を達成できないどころか,1990年に比べて増えてしまっているのです。言い替えれば,京都議定書に定めたマイナス6%という削減目標自体が無理だった,あるいは絵に描いた餅に過ぎなかった,ということなのです。
 ところがこれに対して,斉藤環境大臣が,プラス4%では世界に恥ずかしい,もっと大きな削減目標を示さなければならない,との談話を発表したのです。
 とんでもない話です。できないものはできないのです。実現できない過大な削減目標を掲げてそれが実現できない方がよほど恥ずかしいでしょう。それよりもなによりも,国際政治で見栄を張るものではありません。そこで,あえて3月4日のブログを繰り返すのです。

斉藤環境大臣,見栄で重要な数値を決めるものではありません―削減率プラス6%じゃ世界に恥ずかしい?
2009年03月04日 19時34分26秒 | 地球環境

 京都議定書が定めた各国の二酸化炭素削減率が,1990年の各国二酸化炭素排出量を基準にしていること,そしてそれはヨーロッパ各国に有利なものであったことはすでによく知られているところです。
 そして,それがIPCCという科学の衣を纏いながら極めて国際政治的な集まりで可決されたものであり,それを批准した国の中では日本が唯一の削減義務国であり,削減率は1990年比でマイナス6%とされていることもよく知られたことでしょう。
 もともと虚妄に満ちた二酸化炭素削減率に踊らされて,日本国内には二酸化炭素削減ヒステリーの嵐が吹き荒れています。そしてそれだけヒステリックになっても,現時点では1990年比でプラス6%になっていて,削減どころか増加してしまっているのです。産業活動,経済活動を大幅に低下しなければ,マイナス6%なぞ実現するはずもありません。当然です。もともと無理な数字だったのです。「明日のエコでは間に合わない」と国民を洗脳しようとしているNHKですら,1日45万枚以上のコピー用紙を消費して,いっこうに削減されていません。(年間1億6700万枚!材木に換算すればどれだけになるでしょう,NHKこそが自然の破壊者ではありませんか!)
 京都議定書の削減率だけでこの有様です。まともに京都議定書を遵守しようとすれば,この数字,マイナス6%を2012年までに達成しなければなりません。まあ,できっこないでしょう。ただし,昨年暮れからの世界的金融危機で世界の国々の大部分が産業と経済活動の低迷に直面しており,自動車とエレクトロニクス産業に対する依存度が高い日本では,二酸化炭素発生率が大幅に低下しているはずです。しかし,こんな不健全な形での二酸化炭素削減はひたすら日本を衰退させるだけです。
 京都議定書にしてこの有様なのに,IPCCが主導する国連気候変動枠組み条約第14回締約国会議(COP14)は,ポスト京都議定書の新しい削減率を決定しようとしています。
 幸いな?ことに,この会議は各国の利害衝突から紛糾して結論が出ませんでした。結構なことです。しかし,二酸化炭素削減率に関する新しい枠組みを決定しようとする動きは止まず,はるかに厳しい削減を求める方向へ進んでいます。
 その流れの中での斉藤環境大臣の発言が気になるのです。数週間前でしょうか,テレビは斉藤環境大臣の発言として,「削減率にはいろいろな意見がありまして,プラス6%からマイナス10%程度まで幅があるが,あまり恥ずかしい数字は出せませんからね」と伝えています。
 とんでもないのは斉藤環境大臣の認識です。世界に恥ずかしい,というのはどういうことでしょうか。実現できもしない過大な削減率の数字を提案したら,京都議定書の時と同じく,経済大国を自認する日本を国際市場から閉め出そうとする策謀を秘めた各国は,その数字を歓迎するでしょう。斉藤環境大臣の提案は受け入れられて,斉藤環境大臣は各国の代表者の賞賛を集めるかも知れません。
 しかし,実際に過大な数字が決定されてしまえば,日本は京都議定書に加えてさらなる削減義務を負わされてしまいます。割を食うのは日本国民です。またまた「明日のエコでは間に合わない」と洗脳され続けるのでしょうか。
 繰り返します。斉藤環境大臣よ,見栄で重要な数値を決めるものではありません。