地理佐渡が6年と言うことは震災からも6年です。
http://blog.goo.ne.jp/dachasnowman/d/20041025
地理佐渡2004.10.25。10.23新潟県中越地震シリーズ第一号です。
Photo-01
ガスが復旧する前に水道が通りましたので女性陣が風呂に入りたいと言い出しました。湯を沸かしたのは見ているキャンプ用のバーナーと石油ストーブででした。懐かしい思い出です。家族全員で湯を運びました。
さて、地理佐渡を開設したのは今から6年前。10月10日にサイトを立ち上げ、それから二週間後に中越地震でした。以来地理佐渡はしばらく震災被害紹介ブログとなっていました。しだいに月日が経ちまして今に至っていますが、それでも今日だけは特別な日であります。不思議な縁ですが、あの日も土曜日でした。
過去に紹介した写真の中から思い出深いものの一部を紹介しています。なお、紹介している写真は震災発生当日のものではありません。日付がないのが申し訳ないです。
Photo-02
皆川さん親子が崖崩れに巻き込まれました。その現場の妙見堰上流部です。かつてはあの崩れた場所に国道17号が通っており、通勤ルートとしていました。震災でこんなになるとは思いも寄りませんでした。
Photo-03
新潟大学付属長岡小学校の校舎の壁が綺麗に落ちてしまいました。屋内が見えている状況。あっちこっちで大変な騒ぎでした。
Photo-04
マンホールがこのように抜けあがった場所があちこちに。デザインは長岡市のもの。
Photo-05
長岡高校のグラウンドは緊急のヘリポートとなっていました。山古志村の人たちの救助と支援です。
Photo-06
市郊外の高町団地の道路崩落現場です。
Photo-07
左の車は道が直るまででられなくなりました。
Photo-08
長岡大手高校グラウンドです。自衛隊が仮説の住居として紹介していたテントです。
Photo-09
長岡大手高校前です。写真のように報道機関の中継車が集まっていました。
Photo-10
中沢交差点では墳砂の跡も見られました。高架は国道17号です。
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写真撮影:2004年10~12月
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2010年 地理の部屋と佐渡島
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http://blog.goo.ne.jp/dachasnowman/
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あの揺れが大都市で発生していましたら、
神戸の再現となったはずです。恐ろしい
ほどの揺れでした。
遅れました。
さて、しだいに月日の経過と共にイベント
は穏やかなものになりますが、大きな被害
の出た地区では、やはりこの日は忘れられ
ないものであることには変わりないですよね。
遅れていました。うっかりでした。
言われますように、外から見るものと
内向きでは異なりましょう。大きな被
害を受けた方々にはまだその時のと
言えるものがあるはずです。
山崩れとか、地面のうねりから見ますと、相当な地震ですね。
最近大きな地震が増えた気がします。それと、気象の変動のブレが大きくなりましたね。
ハルマゲドンか?
10/23(土)6年目のこの日、たまたま中沢界隈に行っておりました。ここもそんな感じになっていたんですね。
いずこもイベントがずいぶん小さくなったようですが、やはりこの日は忘れられない日です。
ほんとうに早いものですね。
6年ですか。
元気に復興されているように聞いていますが、個人差がありますものね・・・。
これからもよろしくお願いします。
たくさんの鳥たちの姿を見せてい
ただき、また勉強にもなっています。
そうでしたか。古志という地名。
良いですね。元々は古志郡山古志村
といいました。古志郡は長岡も以前
は含まれるエリアだったんですよ。
さて、中越、中越沖、能登とどうも
日本海側で続きます。チトいやな感
じがします。
言われますように、東海、東南海、南海
等々、本州に併走する海溝、トラフを震
源としますと、地震の揺れもさることな
がら、その後の津波のこともありますか
らもう大変です。今はただ、小出しにエ
ネルギーを解放してくれないかなぁと祈
るばかりです。虫が良すぎますかねぇ。
いやぁ本当です。と言うより国内の
大都会がやられましたら、それだけで
国内経済も大きくやられますしね。
なお、地形的にとのことがありました
が、言いたいことがわかります。
言われますように、いざという時、
電気を使う機器はこまります。あ
の時は写真のストーブが一台あり
ましたので助かりました。今では
それも処分しました。後当方が佐
渡に持ってきているアラジンだけが
電気のいらないタイプとなりました。
あれから6年。今になって写真を
見直しますと、やはり大変な自信
だったものと感じます。全国の皆
さんからたくさんの励ましをもら
いました。
あれから6年。あの時は全国の皆さんから
実に温かい支援を受けました。今では傷も
癒え、自信の爪痕を見るのも極限られた
地域になりつつあります。
昨日も、私の拙いブログで、「トビの姿」や「イカ焼き」などを見て、嬉しいコメント、ありがとうございました。
また、応援ポチに、心より、恐縮、恐縮、深謝、深謝、深謝です。。
また、高架道路では、阪神淡路震災時を思い出しました。
名神高速の、1本高架柱がポキッと折れてました。
山古志村の「古志」という字は、実家の番地の町名です。
絶対忘れられないです。
関西出張中に、阪神淡路地震にあった夫は、家中の家具に転倒防止を付けて・・・
新潟はその後も、揺れますね。
中々、安心出来ない生活でしょうね。
思い出します!それにしても新潟には地震が多
いです、駿河の国は必ずもっと数十倍のが待機
しています。
1707年の富士山噴火の際の宝永地震は最強で、
東海・東南海・南海の巨大地震が連鎖して発生した超超巨大だったそうで予想される近未来にはこの連鎖もあり得ると推測されるようになりました。
震災の傷跡から地震の怖さがわかります。
このようなことを言っては申し訳ないですが、できればこのまま、横浜はずっと見逃していてほしいな、と思います。
崖地が多いので、被害も大きくなるような予感がします。
拝見した石油ストーブと同型同色のものがわが家にもありました。
灯油をそのまま焚いて熱源とするから灯油さえあれば故障もない(芯が使う頻度で減って取換えれたことはありましたが)そんなストーブからいまは石油ファンヒーターの電気がなければ動かないストーブが占めています。
1991年9月の台風19号で長期の停電を経験したというのに・・・
他山の石・・・という諺を思った記事でした。
災害の酷さをあらためて感じました。
皆さんよく頑張られましたね。
あれからもう6年間の歳月が流れたんですね。
被災者の方々の被害状況が
あらためてすさまじいものだったと
お写真を拝見しながら実感します。
心一つにして
復興にご尽力してこられた方々の
お一人お一人に
エールを送らせて頂きます。
神戸の1.17。忘れられない大震災
でしたよね。昨年やっと神戸の防災
センターへと行けました。やはり心が
悼む風景の再現を見ました。
備えがあれば..。やっ、あのような
震災であれば備えがあっても限界はあ
りましょう。直下型で6以上は大変な
事態を招きますよね。
それだけの年月が過ぎたのだとは思えません。
私のところはたいした被害はありませんでしたが、電気と水道はすぐに来ましたがガスが1ヶ月もかかりました。
6年ではまだ生々しいですね。
皆さんが元気で過ごされていることを祈ります。
お越しいただきありがとうございます。
メールの返信遅くなってすみませんでした。
さて、あれから6年です。あの時ラジオが
大活躍。趣味で集めた大型ラジオが皆さん
に喜ばれました。今朝は晴れていまして、
なんとなくあの日も晴れていたよなと言う
記憶がよみがえります。
今日のコチラは良い天気になってます。
あれから6年ですね。早いですね。
被災地から離れた場所に住んでいると
どうしても他人事として考えがちですが
このような貴重な情報を参考にしながら
私達も真剣に学んでいかなれけはれなりませんね。
防災用品を再点検したいと思います。
こちらも晴れています。あの日は晴れていた
と思います。朝から職場そして午後に帰宅し
て、遅い昼寝を決め込んでいた時にあの揺れ
でした。今でも脳裏から離れない瞬間があり
ます。
当方のサイトの過去記事を探ってみて下さい。
2004年10月後半からが良いです。
自分があの震災で何を見て、何を感じたかな
どを記録しています。自分も時折り眺めたり
しているんです。今回は最初の報告をリンク
に貼り付けました。
そうです。早いものです。
今となっては思いでの中でありますが、
震災というものの怖さは時に思い出さ
ねばならぬものと思います。
写真で記録を残してあるのは自分とし
ても良いことであったと今更ながら
思っています。
山古志村には知人が住んでいました。
幸いうまく脱出したようです。
「災害は忘れた頃にやってくる」
決して忘れてはならないと思いました。
雨戸を開けてみました。
朝日が輝いています。
今日はよく晴れそうです。
6年前の中越地震、見たことのない画像に接し驚いています。
いま奄美では豪雨に見舞われて大変な被害ですね。
災害はいつ起こるかわかりません。 その教訓にもなる資料です。
2度と起きて欲しくない災害です。
今日の前橋は、やっとすっきりした晴天のようです。
もう、・・・・・・。
早いものですね。
素敵なショットと解説から、様子、雰囲気、伝わってきました。
貴重な資料ですね。
もう、起きてほしくないですね。
いつも、コメント&応援ポチに、深謝です。