震災発生からもう一週間以上となった。被害状況と続く余震から長期戦になるぞと思っていたが、まさにその通り。重大な被害を受けている方々にとってはそろそろ今後の住まいが問題となってきている。
発生当初より避難の形としては大きくは2つあった。一つは避難所、そしてもう一つは車である。しかし、お年寄り等を抱えている家族以外で現在も避難所もしくは車中泊の方々に関しては、今後の住まいの問題が大きくのしかか . . . 本文を読む
【高床式住宅】 スキーなどで新潟を訪れたことのある方は思い出されるかもしれないが、比較的新しい家に3階建てに見えるものが多く見られたことと思う。写真は長岡の自宅である。
3階建てに見える一番下はコンクリートでできており、実際は床下の土台部分である。条例があり1.7~1.8m高までのコンクリート部分をそうできるのである。従って、1階は2階に見える部分で2階は3階に見える部分である。一見すると家が高 . . . 本文を読む
ここしばらくは新潟県中越地震に関するものばかりとなっています。しかし、起こった事態が事態で、なおかつ地元でのことですので致し方ありません。ご容赦ください。また、地震情報関係で閲覧された方には、また別の機会に本ページを閲覧していただけますと幸いです。地震が一段落しましたら、再び佐渡島(さどがしま)と新潟県に関する地理的情報の提供を続けたいと思います。
再度付け加えますが、当方は基本的に佐渡島( . . . 本文を読む
今回の地震で山古志村は全村あげての避難となった。着の身着のまま避難してきているので、自衛隊の協力を得て、現在わずかな時間村民の皆さんを自宅に送り届けている。
近所に長岡高校と長岡大手高校があるが、長岡高校グランドがヘリの離発着地点となっている。朝からひっきりなしに航空自衛隊のヘリが離発着し、村民の皆さんが出てくる。ついつい興味本位で目をとどめがちになってしまうが、大変な被害を受けた皆さんだ。「 . . . 本文を読む
今回の地震では、山間部・丘陵地の土砂崩れが多かった。私の自宅近くに柿川という川が流れている。魚類も豊富で子供などを連れて遊んだ川でもある。市街を離れ、上流に向かう途上、高町団地入り口付近で丘陵地の斜面が崩壊していた。どうも道路に水が結構出ているなと思ったら、川は完全にせき止められ、稲刈りのすんだ水田に水があふれ出て流れ下っている。
幸い大雨という天気ではないので、急を要する心配はないのかもしれ . . . 本文を読む
長岡市郊外の高台に高町団地という比較的新しい団地がある。今から10年と少し前に我が家を立てる候補地として見学もしたところである。あの当時は家もまばらであったが、今では端正な住宅街である。環境も良い。
しかし、今回の地震の被害は甚大で、道路はあちこちでひび割れ、使い物にならない箇所が多い。中でも写真の現場はTVニュースでも報道された現場であるが、高台斜面の崩落とともに道路も崩壊した。
この道路 . . . 本文を読む
10月28日付の新聞報道は「2歳男児4日ぶり救出」の大きな見出しで始まった。現場は、かつて小千谷に勤務先があった時の通勤ルートである。道幅も広く、信濃川河畔を通るということで、景色もなかなかの通勤路であった。年越し前の忘年会の帰りにタクシーを拾いそびれ、雪の中を長岡の自宅まで16Km、歩いた思い出もある道だ。道路に面した崖の部分はしっかりと手の入ったものであった。しかし、今回の地震で牙をむいた。 . . . 本文を読む
とりあえず職場に向かった私だが、国道8号はまず小千谷市方面へは立ち入り禁止であった。また、国道8号を新潟方面へでては見たもののすぐに次の長倉ICの先は通行止め。困ったものだ、出たかと思うとすぐに進路変更。これではいつになったら見附に着くかが思いやられた。
長岡市街に再度入り、別のルートで8号に出た。町内にいただけではわからなかったが、あちこち電信柱が大きく傾いていたり、塀が倒れたりしているの . . . 本文を読む
不安な夜ではあったが、何とか一夜を自宅の中で過ごした我が家の朝は早かった。妻は職場から招集がかかり、7時30分にいったん職場の様子を見に行くことになった。そんな予定を考えながらも、とりあえず、ぐちゃぐちゃになっている我が家の片づけをしようということになった。
雑多なものが棚やピアノの上から落ちている。娘の部屋は動いた本棚がじゃまをして戸が開かないとのこと。また、ステレオが落ちているようで、や . . . 本文を読む
今回は、報告3の続きとする。
中小の地震が時折起こる中、町内の皆はそれぞれ待機する態勢を整えたが、基本的には衣服をたくさん着込んで椅子やマットの上で過ごすものと、自家用車を近くの安全な場所に移動して車中で過ごすものが出てきた。我が家は、幸いにして妻の車も私の車もガソリンの量は十分である。
日が暮れてから時間とともに冷え込んできたので、寒がる妻子は時折車の中へ入れたがエンジンだけはかけさせなかっ . . . 本文を読む
23日からの回顧をしていたが、間に合わない。本日午前中比較的しっかりした揺れを体験した後に、かなり大きな揺れがあった。最大震度の地域では6弱とか。我々の所はさすがにそこまでは行かないと思うが、かなり揺れた。
以後、職場の上司より被災地の者の帰還を許可され、午後の早いうちに自宅へ戻った。以来、中小の余震が時折あった。多少なれては来ているものの、またかという恐怖感はぬぐい去れない。困ったものだ。
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家族が無事そろったのは、日が暮れてずいぶんたってからであった。とにもかくにも一安心である。しかし、近所の人たちを含め、家の中には誰一人として入ろうとはしない。せいぜいで中小の余震の合間を見てものを取りに行く程度である。私は、自宅車庫からキャンプ用のいすを取り出し、近所のお年寄りと我が家の家族が座って時間を過ごせるようにした。また、石油ストーブ、ランタン等が使えることも確認。外での待機を決め込むに . . . 本文を読む
日没後に発生した地震は、短時間の間に3度の大きな揺れがあり、私たちは屋外待機を余儀なくされた。幸い当日の天気はよく、天気予報によれば25日までは良さそうであるとのこと。幸運であった。皆着の身着のまま出てきたが、中小の揺れの間にしだいに衣類やいすなどを自宅から持ち出し、長期戦に備えた。
特に、お年寄りだけの世帯や家族の安否がはっきりしない家庭はまだまだ不安であった。かくいう我が家も妻と息子が外出 . . . 本文を読む
10月23日(土)夕方、短時間の小刻みな揺れが、一気に突き上げるような揺れに変わった。瞬間「来た!」といった思いの中、隣の部屋にいた娘がテレビを見ていた隣室からひざまずいた状態のままこちらの部屋に来た。とにもかくにも危険防止のためにテーブルの下に入れた。一呼吸おいてまた再び激しい揺れだ。落ちそうなテレビやPCを押さえつつ、娘にはテーブルの下にいるよう指示した。揺れは激しかったが、比較的短時間だ。 . . . 本文を読む
佐渡市赤泊の徳和地区に大椋(おおくら)神社という神社がある。海岸線からやや入った集落の背後の林の中にある。海岸づたいの道路からはこの神社は全く見えない。であるから、地元の人間以外は目的無くしてここを訪れることはまず無い。
しかし、ここは榧の木の大木を見るという意味で、訪れる価値があるといえる。樹高約20m・胸高幹周4.4mという榧の木としてはまず見ることのない大木がある。実家の庭にも榧の木はあ . . . 本文を読む