15歳未満認める「A案」衆院で可決…臓器移植改正案(読売新聞) - goo ニュース
「脳死は人の死」認める 臓器移植法改正A案 衆院可決(産経新聞) - goo ニュース
<臓器移植法改正案>衆院可決 15歳未満も臓器提供 脳死一律「人の死」に(毎日新聞) - goo ニュース
「脳死は人の死」ついに決まった臓器移植法改正案 みなさんは賛成ですか? 反対ですか? (goo ニュース畑)
マスコミ各社・各番組などで「脳死は人の死か」を問う
読者・視聴者アンケートを行ってますけど,
私はちょっと筋違いかもしれないことを考えちゃったんですね。
<そもそも個人(個体)の死は終わりなのか>
自分自身が37歳に脳卒中で倒れ,書かれたメモや数字の意味も
わからなくなった状態から懸命のリハビリで復帰した
女性脳科学者・ジル・ボルト・テイラー博士が
NHKの番組で自身のその体験をコメントしてましたけど,
脳がやられていく瞬間を「涅槃」と表現していたんですね。
自他の境界がなくなって自分と世界が一体になっていく感覚。
手塚治虫先生が生誕80周年ということで,
NHKBSが『週刊手塚治虫』という特集番組を放送していて
ゲストコメンテーターとして登場する各界著名人が口々に
手塚作品に投影されている「いのち」への思いについて語っていますよね。
「生物(1つ1つの個体)は不完全なものであるけれど
生命は永遠である」
「生命は過去から現在,現在から未来へ継承されていく」
これは,ふつうに親から子への遺伝子の受け渡しというだけじゃない
もっと,いのちのつながりを広く考えられているように思うんです。
父が単行本を買い与えてくれて小学生の頃読みふけった
『ブッダ』では,シッダルタ(若き日の釈迦)が
亡くなった少女を生き返らせるエピソードがありますが,
死んだ少女の命を追って魂の世界に飛んだシッダルタは
その命は他のすべての生物の命と一緒になり宇宙の一部と
なるのを目の当たりにします。そしてブラフマン(全知全能の神
というか全宇宙の意志というか。老人の姿をしています)は
少女の体に命を戻すには,かわりにどの命をもって行っても同じだと
説明するのです。
ジル博士の経験は,ほとんどのすべての人が死ぬときに
経験するであろう臨死体験そのものだと考えると,
「死=“涅槃”…世界のすべてと一体になること」
という解釈ができ,
仏教では彼岸とか此岸とかいう言い方をしますけれど
「あの世」って,実は「この世」と同じなんじゃないかと
思ったりもするんですよね。
また,別の手塚作品
『ころすけの橋』では,主人公さとしが世話してかわいがった
ニホンカモシカのころすけも,ころすけを体を張って守った
カモシカのボス・キヨモリも人間の手で殺されてしまいます。
傷心のさとしはその後,子どものカモシカを見て心が救われるのです。
最後に出てくるカモシカはころすけとは赤の他人(カモシカ)
ですけれど,とにかく,死ぬ者がいる一方で,
今たしかにいのちが存在して,そして未来へ受け継がれていく,
それが繰り返されていくことでこの世界があるということです。
なにあさっての方向に話を走らせてるんだと
思われるかもしれませんが,
今回の臓器移植法改正A案衆院通過のニュースで
党議拘束を外した採決で各議員の「死生観が問われる」
という表現がされてましたんで,
死生観って「脳死は人の死か」って単純なもんじゃないだろ
と思ったまでなんです。
こじつけかもしれませんが話を脳死にもどすなら,
人のいのち(心,意識)は,脳の機能が止まった時点で
あの世へ帰る(この世界全体と一体化する)
ということなのかなぁと思います。
個人的な話を書きますと,うちの父は52の若さで
脳出血で倒れ,その3週間後に亡くなったんですけれど,
最後のほうでは病室で付き添いしていた母も
ここには父の魂はもうないと,
父の変化を感じてましたし,私も同じ思いだったのを覚えています。
家族が人工呼吸器を外したくないと思っているとき
「人の死」だと自動的(強制的)に確定させる
今回の法律改正案は残酷なようにも思えますけれど…
私が小中学生の頃は「植物状態」が今の脳死のように
ニュースや小説などで扱われていたような気がしますが
植物状態と違って,脳死は一度「人の死」と認められると,医学が進歩しても
脳死からの生還は今後もありえないということで確定されることになりますね
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「脳死は人の死」認める 臓器移植法改正A案 衆院可決(産経新聞) - goo ニュース
<臓器移植法改正案>衆院可決 15歳未満も臓器提供 脳死一律「人の死」に(毎日新聞) - goo ニュース
「脳死は人の死」ついに決まった臓器移植法改正案 みなさんは賛成ですか? 反対ですか? (goo ニュース畑)
マスコミ各社・各番組などで「脳死は人の死か」を問う
読者・視聴者アンケートを行ってますけど,
私はちょっと筋違いかもしれないことを考えちゃったんですね。
<そもそも個人(個体)の死は終わりなのか>
自分自身が37歳に脳卒中で倒れ,書かれたメモや数字の意味も
わからなくなった状態から懸命のリハビリで復帰した
女性脳科学者・ジル・ボルト・テイラー博士が
NHKの番組で自身のその体験をコメントしてましたけど,
脳がやられていく瞬間を「涅槃」と表現していたんですね。
自他の境界がなくなって自分と世界が一体になっていく感覚。
手塚治虫先生が生誕80周年ということで,
NHKBSが『週刊手塚治虫』という特集番組を放送していて
ゲストコメンテーターとして登場する各界著名人が口々に
手塚作品に投影されている「いのち」への思いについて語っていますよね。
「生物(1つ1つの個体)は不完全なものであるけれど
生命は永遠である」
「生命は過去から現在,現在から未来へ継承されていく」
これは,ふつうに親から子への遺伝子の受け渡しというだけじゃない
もっと,いのちのつながりを広く考えられているように思うんです。
父が単行本を買い与えてくれて小学生の頃読みふけった
『ブッダ』では,シッダルタ(若き日の釈迦)が
亡くなった少女を生き返らせるエピソードがありますが,
死んだ少女の命を追って魂の世界に飛んだシッダルタは
その命は他のすべての生物の命と一緒になり宇宙の一部と
なるのを目の当たりにします。そしてブラフマン(全知全能の神
というか全宇宙の意志というか。老人の姿をしています)は
少女の体に命を戻すには,かわりにどの命をもって行っても同じだと
説明するのです。
ジル博士の経験は,ほとんどのすべての人が死ぬときに
経験するであろう臨死体験そのものだと考えると,
「死=“涅槃”…世界のすべてと一体になること」
という解釈ができ,
仏教では彼岸とか此岸とかいう言い方をしますけれど
「あの世」って,実は「この世」と同じなんじゃないかと
思ったりもするんですよね。
『ころすけの橋』では,主人公さとしが世話してかわいがった
ニホンカモシカのころすけも,ころすけを体を張って守った
カモシカのボス・キヨモリも人間の手で殺されてしまいます。
傷心のさとしはその後,子どものカモシカを見て心が救われるのです。
最後に出てくるカモシカはころすけとは赤の他人(カモシカ)
ですけれど,とにかく,死ぬ者がいる一方で,
今たしかにいのちが存在して,そして未来へ受け継がれていく,
それが繰り返されていくことでこの世界があるということです。
なにあさっての方向に話を走らせてるんだと
思われるかもしれませんが,
今回の臓器移植法改正A案衆院通過のニュースで
党議拘束を外した採決で各議員の「死生観が問われる」
という表現がされてましたんで,
死生観って「脳死は人の死か」って単純なもんじゃないだろ
と思ったまでなんです。
こじつけかもしれませんが話を脳死にもどすなら,
人のいのち(心,意識)は,脳の機能が止まった時点で
あの世へ帰る(この世界全体と一体化する)
ということなのかなぁと思います。
個人的な話を書きますと,うちの父は52の若さで
脳出血で倒れ,その3週間後に亡くなったんですけれど,
最後のほうでは病室で付き添いしていた母も
ここには父の魂はもうないと,
父の変化を感じてましたし,私も同じ思いだったのを覚えています。
家族が人工呼吸器を外したくないと思っているとき
「人の死」だと自動的(強制的)に確定させる
今回の法律改正案は残酷なようにも思えますけれど…
私が小中学生の頃は「植物状態」が今の脳死のように
ニュースや小説などで扱われていたような気がしますが
植物状態と違って,脳死は一度「人の死」と認められると,医学が進歩しても
脳死からの生還は今後もありえないということで確定されることになりますね
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