紫式部ゆかりの寺 ①「石山寺」
大河ドラマ「光る君へ」の紫式部があの世界的古典文学の大作「源氏物語」を書くことを何故決心したのか?時の最高権力者藤原道長の娘中宮彰子に新作を請われ、石山寺に七日間もこもって成就を祈願。十五夜の月が映えるのを眺めているときに構想が浮かんだ。それは須磨に退いた光源氏が都を回想する場面に生かされたと言われています。紫式部はどのような心を持って「源氏物語」を書くに至ったのか、一つの和歌に手がかりが残されています。「心だにいかなる身にかかなふらむ思い知れども思い知られず」 「どのような身の上であれば自分のちっぽけな心は満足するというのだろう。満足することはないとわかっていても心の底ではあきらめきれないものだ」と自分の心次第で世界をつくることができるという気持ちが生まれ「源氏物語」を創作することになったのではないでしょうか。名門の藤原氏に属したものの零落した父は国司、夫と早く死別、幼い娘を残され、明るく素直で勝気な一面は夫の死によって一転、内省的な思案的な面を強くする人生を「うれいし」ととらえ、世のつらさを嘆きつづけるのでした。水の上を定めなく漂う小舟に人生の定めなさを紫式部は書くことに専念しようと努力した結果、あのような世界的文学作品ができ上ったものといえることでしょう。