妊婦さんが風疹に罹ると、お腹の赤ちゃんに感染して「先天性風疹症候群」という名前の多臓器に渡る障害を抱えた生まれてくる可能性があります。
妊婦さん世代のお母さん達は、風疹ワクチンあるいは麻疹・風疹ワクチンを接種しているため、守られています。
しかし、何科の理由でワクチン接種しなかった女性、あるいはワクチンを接種したけど1回だけ、という女性は感染する可能性があります。
そして感染源は「中年男性」(昭和37年4月~54年3月生まれの男性)です。
現在の子どもたちはMRワクチンを接種しているのでほぼ、罹りません。
中年男性に関しては、何年も前から「抗体価をチェックしましょう」「ワクチンを接種しましょう」と呼びかけていますが、世間では関心が乏しく、会社を休んで検査やワクチン接種する人は増えません。
そんな中、数年に一度、風疹流行が発生し、先天性風疹症候群の赤ちゃんが生まれることが繰り返されています。
そして前述の中年男性への検査・接種のクーポン券が締め切りを迎えます(昭和37年4月2日〜昭和54年4月1日生まれの男性を対象にした無料の追加接種クーポン)。
体験談の記事が目に留まりましたので紹介します。
▢ 妊娠7週で風疹に感染「80%の確率で、赤ちゃんの目・耳・心臓に大きな障害が出ます」、産むか産まないか選択を迫られて【前編】
▶ 先天性風疹症候群体験談
2月4日は風疹の日です。妊娠初期に風疹にかかると、どんなリスクがあるか知っていますか? 12年前、第2子の妊娠7週目に風疹にかかり、赤ちゃんが「先天性風疹症候群」と診断された経験を持つ西村麻依子さんは、現在「風疹をなくそうの会『hand in hand』」で活動をしています。「『あの人みたいになりたくない』と思われてもいいから、自分の経験を知ってもらって、風疹をなくしたい」。そう語る西村さんに、風疹感染が判明したときのことや妊娠中の悩み、生まれた赤ちゃんの症状、活動のきっかけなどについて聞きました。
▶ 妊娠7週で風疹に感染。ことの重大さをよくわかっていなかった
2007年、24歳で結婚した西村麻依子さんは、2009年、第1子となる男の子を出産しました。そして、この妊娠中にあることが判明したのです。 「妊婦健診で『風疹の抗体価が低い』と言われたんです。ただ、妊娠中は風疹の予防接種を打てないので『出産したら、予防接種を打ってね』と言われていました。 そのとき言われたことはずっと頭の片隅に残ってはいたのですが、産後入院中や退院時にも何も言われなかったし、『完全母乳のうちは、ワクチンはダメなのかな』と勝手に思い込んでしまっていて(※)。2歳ごろまで長男が母乳を飲んでいたこともあり、風疹の予防接種を受けないまま、第2子を妊娠したんです」(西村さん)
※ 授乳中でも風疹の予防接種は可能です。
西村さんが第2子を妊娠したのは2012年。このとき、西村さんはまだ風疹の予防接種を受けていませんでした。このころ日本では、2003~2004年の風疹の小流行のあと、2010年まで落ち着きつつあった風疹患者数が、海外での集団感染をきっかけに2011年に再び増加して全国的な流行となり、2013年に流行のピークを迎える、その最中のことでした。 「ある日、首の後ろにしこりができていることに気づいたんです。そのあとに、顔に肌荒れしたようなブツブツが出てきて。かゆみはなかったんですが、顔から首、腕とどんどん広がっていって、これはおかしいと思ったんです。その時点で夕方遅くになっていたので、救急病院を受診しました。 ただ、救急には風疹を調べるキットがないとのことで、翌日に皮膚科や産婦人科がある総合病院に行ったほうがいいと言われ、そのまま帰宅することに。『本当に風疹だったら、起き上がれないくらいもっと熱が出るけどね』とも言われ、そのとき私は熱がなかったので、風疹ではないのかなと思いながら帰宅しました。でも、翌朝に発熱し、『ああ、やっぱり風疹かもしれない』と…。 私は第2子妊娠でかかっていた個人産院に電話をし、症状を伝えて受診しました。個人産院では、小さな隔離部屋で血液検査をしたのですが、検査が早すぎて1度目は陰性。その後、2回目の血液検査をして、風疹にかかっていると判明。確定診断まで少し時間がかかりましたが、感染したのは妊娠7週目のことでした」(西村さん)
妊娠12週までの妊娠初期に風疹ウィルスに感染すると、おなかの赤ちゃんは、胎内で風疹ウイルスに感染し、目、耳、心臓の障害や、体・心の発達に遅れが出る「先天性風疹症候群(せんてんせいふうしんしょうこうぐん)」という病気になる可能性が高くなります。西村さんの場合、風疹にかかったのは妊娠7週。赤ちゃんが「先天性風疹症候群」になる可能性が高い時期の感染でした。 「風疹に感染していることが確定したとき、産院では、医学書を見せられながら『妊娠7週目くらいで風疹にかかると、赤ちゃんの目と耳と心臓に約80%の確率で大きな障害が出る』と言われました。 そのとき、私はまだ先天性風疹症候群がどんなものかよくわかっていなくて、その産院はハイリスクになると転院しなければならなかったこともあり、『これって、ハイリスクになるんですか? 』と聞いたんです。 すると、先生はものすごく声を荒げて、『これはハイリスク以外の何者でもない!80%という確率はほぼ100%だ。目と耳と心臓にこれだけの確率で大きな障害が出るっていうのに!』って…。私はびっくりしつつも、産むか産まないかの選択は1度持ち帰ることになりました」(西村さん)
自宅に戻り、夫と両親、義理の両親に事情を伝えた西村さん。ただ、西村さんと夫には、最初から中絶をするという選択肢はありませんでした。保育士でもある義理の母は2人の気持ちを尊重してくれましたが、実の母は当初「今回は諦めたら…」と産むことに反対をしていたそうです。しかし、夫婦の決心はかたいものでした。 「実は私、長男を産む前、妊娠初期で流産をしたことがあるんです。産みたくても産んであげられなかった命。そのときに、十分、命の重みを感じたんです。 風疹のワクチンを打っていなくて、赤ちゃんを守ってあげられなかったのは私。それなのに、障害が出るかもしれないという可能性だけで、この命をなかったことにはできない、どうして諦めなくちゃいけないの? どんな障害があったとしても、私たちでこの子を絶対に幸せにしたい!と思いました。 だから、最初から中絶することは考えていませんでしたし、夫も同じ気持ちでいてくれました。話し合いでこの気持ちをしっかりと家族に伝え、母にはしぶしぶ了解をもらいました。 産院に産むことを決断したと伝える日には、夫も一緒について来てくれて、2人で先生と話しました。先生には『この産院では産ませることはできない。産むなら、別の病院へ行ってくれ』と言われたので、妊娠11週くらいから、長男を産んだ総合病院に転院することになったんです」(西村さん)
▶ どんな障害があっても産むと決めた命。でも、不安は尽きず…
夫婦で「どんな障害があったとしても、この命を産む」と決め、お互いの両親にもそう伝えた西村さん夫婦。ですが、もちろん不安や葛藤もありました。 「最初の産院で、産む!と決め、その後もその気持ちはゆるぎませんでしたが、先天性風疹症候群について調べるうちに、改めて大変なことが起こっていることを実感したんです。 妊娠中には赤ちゃんがどの程度の障害を持っているか詳しいことはわからず、転院した病院の産科の先生にも『生まれてみないとわからない』と言われて…。産むことは強く決断してはいましたが、どんな状態で生まれてくるんだろうと考えると、すごく不安にもなりました。 自分でもあのときの気持ちがよくわからないのですが、私、娘の妊娠中はマタニティマークをつけられなかったんですよね。おなかの中に赤ちゃんはいるんだけど、普通の状態じゃないことで、ずっと自分を責めていました。自分は普通の妊婦さんとは違う、みたいな気持ちになってしまっていたんです。傍から見たら私も普通の妊婦さんでマタニティマークをつけてもよかったと思うのですけど、ほかの妊婦さんがマタニティマークをつけているのを見て、いいなぁって思っていました」(西村さん) 西村さんがひとまず転院したのは、長男を産んだ総合病院の産婦人科。ただ、この総合病院に小児科はありましたが、NICU(新生児集中治療室)がありませんでした。おそらく先天性風疹症候群で生まれてくる赤ちゃんにどんな処置が必要になるのかわからないため、転院してすぐに、西村さんはNICUのある病院での出産をすすめられました。そして、病院間の話し合いで、妊婦健診は総合病院で行い、出産はこども病院でするということになったそうです。 「総合病院には妊娠29週まで通院しました。その総合病院では、赤ちゃんは小さいけれど、小さいなりに成長しているから大丈夫と言われ、少しホッとしていたんですね。でも、こども病院に転院してエコーで詳しく診てもらったら、赤ちゃんがすごく小さくて、発育不良があるだけでも心配だから入院して様子を見ましょう、と言われ、即入院になりました。 とはいえ、経過観察なのでとくに何か治療や検査をするわけでもなかったため、妊娠33週ごろ、1度退院しますか? という話もあったんです。でも、どういう状態で生まれてくるかわからないとずっと言われていたので、私としては、退院してもし急に生まれてしまったら…と、怖いことしか考えられませんでした。なので、申し訳ないけれどもう少し入院させてくださいとお願いし、入院を継続することになったんですが…。 その約1週間後に、胎動がなくなってしまったんです。その日の午前中に、NST(ノンストレステスト)の機械で診ているときに動いている様子がない。赤ちゃんが寝ているだけかもしれないからとそのときは様子見になったのですが、午後にも胎動がなくて。大きな音を出しても、エコー検査で見ても動いている様子がなかったんです。 いくつか検査をしたあと、先生に『赤ちゃんは貧血などでしんどい状態になっている可能性があります。赤ちゃんの体は小さいけれど、臓器としては出来上がっているので、外に出しても生きていける。外に出てから治療してあげたほうがいいと思う』と言われ、緊急帝王切開で出産することになりました。それを聞いて、あのとき退院しないで本当によかったと思いました」(西村さん)
こうして2012年秋、西村さんは出産予定日よりも約1カ月半早く出産しました。体重1500gの小さな赤ちゃんは、葉七(はな)ちゃんと名づけられ、検査の結果「先天性風疹症候群」と診断されるのです。
妊娠初期に風疹に感染し、不安な妊娠生活を送った西村さん。感染経路ははっきりとはわかっていないそうです。ただ、予防接種をしていた長男は風疹にかからなかったものの、夫婦がほぼ同時に感染し、お互いの職場にも周囲にも風疹に感染した人はいなかったため、外出したときにどこかで感染したと考えられるそうです。大切な命を宿している女性に、知らないうちに感染させてしまう恐れがあると考えると、とても怖いことです。 後編では、先天性風疹症候群と診断された葉七ちゃんのその後や、風疹をなくすために西村さんが行っている活動などについて聞きます。 ・・・
▢ 「元気に生まれてくるはずだったのに、私のせいで娘に障害が…」後悔は一生消えない【後編】
(2025/02/02:たまひよONLINE)より一部抜粋(下線は私が引きました);
・・・
▶ 生まれた娘は1500g。「先天性風疹症候群」と診断されて…
妊娠初期に風疹に感染し、妊娠34週に緊急帝王切開で出産した西村さん。妊娠12週までの妊娠初期に風疹ウイルスに感染すると、おなかの赤ちゃんは胎内で風疹ウイルスに感染し、目、耳、心臓の障害や、体・心の発達に遅れが出る「先天性風疹症候群(せんてんせいふうしんしょうこうぐん)」という病気になる可能性が高くなります。西村さんの場合、風疹にかかったのは妊娠7週。赤ちゃんが「先天性風疹症候群」になる可能性が高い時期の感染でした。
「生まれた長女・葉七(はな)は出生体重が1500gと小さく、すぐにNICUへ。そして検査の結果、右目の角膜がにごっていて白内障の疑いがあり、さらに出生後は閉じるはずの動脈管が閉じない動脈管開存症(どうみゃくかんかいぞんしょう)があり、先天性風疹症候群と診断されました。医師からは、成長するにつれて、耳にも障害が出る可能性もあると言われました。
本当だったら元気に生まれてくるはずだったのに、私が予防接種をしていなかったために、娘に障害を持たせてしまったと思うと娘に申し訳なかったですし、私自身もつらかったです。後悔は一生続くと思います」(西村さん)
退院後は、定期的にこども病院で診察を受けてはいたものの、葉七ちゃんはすくすくと成長。みんなに見守られながら育ち、今はもう12歳。小学6年生になり、まもなく小学校卒業を迎えます。
「心臓の動脈管開存症は、経過観察をしていましたが、赤ちゃんのうちにふさがりました。耳は6歳まで病院の診察でフォローしてもらっていましたが、おかげさまで難聴の可能性はなくなりました。
白内障の疑いがあった右目ですが、経過観察の結果、白内障も緑内障もありませんでした。でも乱視がひどく、弱視で、斜視があり、小さいころはアイパッチをつけて過ごしていたこともあります。今でも眼鏡をかけていて、経過観察をしていましたが、今年病院での診察フォローも終了しました。
ただ、出生後、脳室が拡大していて、一部石灰化をしていました。1歳までにそれもなくなったのですが、脳室拡大の影響はあって、軽度の発達障害・学習障害があり、小学校は支援学級に通っています。
会話をする分には問題ないのですが、感情のコントロールがうまくできないことがあるので、人間関係が難しいですね。学習面については、小学校6年生ですが、今ようやくかけ算やわり算を頑張っているところ。時計を読むのはなかなか難しいようです。
発達障害について大変なところはありますが、最近は普通の子育てになってきたなぁと感じることもありますね。理解のある人たちに囲まれて、とてもかわいがってもらえて、できないことがあってもフォローのための対策を考えてくれたりして、前向きないい環境で過ごさせてもらっています。
葉七は現在、保育園と連携のあるデイサービスに通っているんですが、そこでの園児さんたちとの交流も刺激になっているようです。葉七は絵を描くのが大好きなので、今年度は全員の顔を描く!と張りきっていて、描いた絵は園児さんや保育士さんはもちろん、親御さんにも見てもらえているそうです。
これからも大変なことや困難はあるかもしれないけれど、自分でやりたいことを、自分の手で見つけてほしいなと思いますね」(西村さん)
「生まれた長女・葉七(はな)は出生体重が1500gと小さく、すぐにNICUへ。そして検査の結果、右目の角膜がにごっていて白内障の疑いがあり、さらに出生後は閉じるはずの動脈管が閉じない動脈管開存症(どうみゃくかんかいぞんしょう)があり、先天性風疹症候群と診断されました。医師からは、成長するにつれて、耳にも障害が出る可能性もあると言われました。
本当だったら元気に生まれてくるはずだったのに、私が予防接種をしていなかったために、娘に障害を持たせてしまったと思うと娘に申し訳なかったですし、私自身もつらかったです。後悔は一生続くと思います」(西村さん)
退院後は、定期的にこども病院で診察を受けてはいたものの、葉七ちゃんはすくすくと成長。みんなに見守られながら育ち、今はもう12歳。小学6年生になり、まもなく小学校卒業を迎えます。
「心臓の動脈管開存症は、経過観察をしていましたが、赤ちゃんのうちにふさがりました。耳は6歳まで病院の診察でフォローしてもらっていましたが、おかげさまで難聴の可能性はなくなりました。
白内障の疑いがあった右目ですが、経過観察の結果、白内障も緑内障もありませんでした。でも乱視がひどく、弱視で、斜視があり、小さいころはアイパッチをつけて過ごしていたこともあります。今でも眼鏡をかけていて、経過観察をしていましたが、今年病院での診察フォローも終了しました。
ただ、出生後、脳室が拡大していて、一部石灰化をしていました。1歳までにそれもなくなったのですが、脳室拡大の影響はあって、軽度の発達障害・学習障害があり、小学校は支援学級に通っています。
会話をする分には問題ないのですが、感情のコントロールがうまくできないことがあるので、人間関係が難しいですね。学習面については、小学校6年生ですが、今ようやくかけ算やわり算を頑張っているところ。時計を読むのはなかなか難しいようです。
発達障害について大変なところはありますが、最近は普通の子育てになってきたなぁと感じることもありますね。理解のある人たちに囲まれて、とてもかわいがってもらえて、できないことがあってもフォローのための対策を考えてくれたりして、前向きないい環境で過ごさせてもらっています。
葉七は現在、保育園と連携のあるデイサービスに通っているんですが、そこでの園児さんたちとの交流も刺激になっているようです。葉七は絵を描くのが大好きなので、今年度は全員の顔を描く!と張りきっていて、描いた絵は園児さんや保育士さんはもちろん、親御さんにも見てもらえているそうです。
これからも大変なことや困難はあるかもしれないけれど、自分でやりたいことを、自分の手で見つけてほしいなと思いますね」(西村さん)
▶ 「あの人みたいになりたくない」そう思われてもいいから風疹をなくしたい
現在、西村さんは保育士として働きながら、「風疹をなくそうの会『hand in hand』」で共同代表を務めています。この会の主旨は、風疹になった女性や家族への情報提供や、お子さんの交流の場の提供、そして、風疹をなくすために国や自治体、企業などへ風疹対策の提言を行う活動。その活動のきっかけはどんなことだったのでしょうか。
「2012年の風疹がはやり始めていたころに、NHKの記者の方がこども病院に取材の申し入れをしてくださいました。先天性風疹症候群の赤ちゃんが生まれたことについて話を聞きたいと。断ってもいいけどどうする?っていう話を主治医の先生からもらったんです。
そのころ、私も先天性風疹症候群についてもっと知ってもらいたいと思って、妊娠中に風疹に感染した体験をブログに書いていたんですが、全然閲覧数が伸びなくて。どうすれば自分の経験をいろんな人に聞いてもらえるだろうと思っていたので、その取材を受けました。それを見た現共同代表の可児さんから連絡をもらったのが、この活動を始めたきっかけです」(西村さん)
時期的に、風疹が流行していて、先天性風疹症候群の赤ちゃんもどんどん生まれていました。なんとか風疹の流行を止めたいと、当事者同士がつながって始まった活動は、医師も協力して緊急会議を開いたり、厚生労働省に要望書を出したりと、広まっていきました。
「ワクチンを打っても抗体がつかない女性もいる中でどうやって女性を守っていけばいいんだろうと考えたとき、子どものころに風疹のワクチンを打っていない世代(昭和37年4月~54年3月生まれの男性)がかかることで、風疹が流行してしまうというところにたどり着きました。
その世代にどうやって予防接種を受けてもらうかがカギだったので、厚生労働省に話をしに行ったり、対策会議にも参加させてもらったりしてできたのが、昭和37年4月2日〜昭和54年4月1日生まれの男性を対象にした、無料の追加接種クーポンです。
ただ、わざわざそのために医療機関へ行くのは面倒ということもあってかクーポンの利用率は約3割(2024年5月時点)と低く、そのうえ並行してコロナがはやったり、ワクチンの不備があったりで、風疹ワクチンが品薄になってしまい、子どもの定期接種を優先させる関係で、打ちたくても打てない人も出てきたりしている状態で、接種率はなかなか上がっていません。
まもなく、このクーポン配布は終わり、無料で抗体検査などができる期間も終了してしまうのですが、このまま終わってしまったら、この日本から風疹をなくすことにはつながらないので、国にはぜひ次の策を考えてほしいと思っています。今後、万博などもあり、海外からたくさんの人が日本に来ますしね。
私もそうでしたが、危険性はわかっていても、まさか自分が風疹にかかるとは思っていなくて、どこか他人事なんですよね。自分が妊娠するわけでもない独身の男性なら、なおさらだと思います。そんな他人事の人にとって、抗体価を調べるために病院を予約して、低かったらまた別の日に予約してワクチンを打ってという現在のクーポンのシステムは、私が考えても面倒くさいなって思うんですよね。
だから、この手間をどうやって省くかが重要だと思うんです。以前、Jリーグの会場で、特設ブースを開設してもらって無料で風疹の抗体価を調べるイベントを行ったりしたこともありましたし、企業の健康診断の項目の中に入れてもらうとか、企業内接種を実施してもらうとかをお願いしたこともありました。ただ、大企業ではやってくださった会社もあるんですが、小さいところだとなかなかできないですよね。
どうにか手間をなくして、クーポンがなくても抗体価を調べたり、予防接種を受けたりできるしくみがあったらなと思っています」(西村さん)
風疹はワクチン接種で予防できる病気です。みんなが風疹の予防接種を打っていれば、風疹の流行を抑えられるし、悲しい思いをする女性や子どもも少なくなります。西村さんのように、せっかく宿った命に対して中絶をすすめられることもなくなるでしょう。
「私がこの活動を始めたいちばんのきっかけは、私が失敗してしまった経験を知ってほしい、私みたいになってほしくないっていう思いからでした。私が予防接種をしてなかったから、子どもに迷惑をかけてしまったんです。ぜひ私の失敗を知ってもらって『あの人みたいになりたくないよね』と思ってほしい。そして、じゃあどうしたらいいかを考えてほしいんです。
ただ、私が葉七を出産したことは『失敗』ではありませんし、後悔したことは1度もありません。でも、妊娠中に風疹にかかってしまったら、もしかしたら私のようにつらい選択を迫られることがあるかもしれません。だからと言って、すぐに赤ちゃんをあきらめることはないとも思って欲しいんです。おなかの赤ちゃんの様子をしっかり診てもらったり、先天性風疹症候群で生まれてきたけれど楽しく過ごせている子もいるということを知ってもらったりしたうえで、妊娠を継続するかどうかの選択をしてほしいと思っています。
そのためにも私の経験をまずは知ってほしいし、この記事を読んでくださった方にも、ぜひまわりの人に話をしてほしいです。そして、自分が予防接種を打っていない世代に該当していたり、身近な人が該当していたりしたら、ぜひ抗体検査をしてみてほしいし、ワクチンを打ってほしいです。ワクチン1本で風疹から小さな命を守ることができるので、1歩踏み出して、行動してもらえたらなと思います」(西村さん)
「2012年の風疹がはやり始めていたころに、NHKの記者の方がこども病院に取材の申し入れをしてくださいました。先天性風疹症候群の赤ちゃんが生まれたことについて話を聞きたいと。断ってもいいけどどうする?っていう話を主治医の先生からもらったんです。
そのころ、私も先天性風疹症候群についてもっと知ってもらいたいと思って、妊娠中に風疹に感染した体験をブログに書いていたんですが、全然閲覧数が伸びなくて。どうすれば自分の経験をいろんな人に聞いてもらえるだろうと思っていたので、その取材を受けました。それを見た現共同代表の可児さんから連絡をもらったのが、この活動を始めたきっかけです」(西村さん)
時期的に、風疹が流行していて、先天性風疹症候群の赤ちゃんもどんどん生まれていました。なんとか風疹の流行を止めたいと、当事者同士がつながって始まった活動は、医師も協力して緊急会議を開いたり、厚生労働省に要望書を出したりと、広まっていきました。
「ワクチンを打っても抗体がつかない女性もいる中でどうやって女性を守っていけばいいんだろうと考えたとき、子どものころに風疹のワクチンを打っていない世代(昭和37年4月~54年3月生まれの男性)がかかることで、風疹が流行してしまうというところにたどり着きました。
その世代にどうやって予防接種を受けてもらうかがカギだったので、厚生労働省に話をしに行ったり、対策会議にも参加させてもらったりしてできたのが、昭和37年4月2日〜昭和54年4月1日生まれの男性を対象にした、無料の追加接種クーポンです。
ただ、わざわざそのために医療機関へ行くのは面倒ということもあってかクーポンの利用率は約3割(2024年5月時点)と低く、そのうえ並行してコロナがはやったり、ワクチンの不備があったりで、風疹ワクチンが品薄になってしまい、子どもの定期接種を優先させる関係で、打ちたくても打てない人も出てきたりしている状態で、接種率はなかなか上がっていません。
まもなく、このクーポン配布は終わり、無料で抗体検査などができる期間も終了してしまうのですが、このまま終わってしまったら、この日本から風疹をなくすことにはつながらないので、国にはぜひ次の策を考えてほしいと思っています。今後、万博などもあり、海外からたくさんの人が日本に来ますしね。
私もそうでしたが、危険性はわかっていても、まさか自分が風疹にかかるとは思っていなくて、どこか他人事なんですよね。自分が妊娠するわけでもない独身の男性なら、なおさらだと思います。そんな他人事の人にとって、抗体価を調べるために病院を予約して、低かったらまた別の日に予約してワクチンを打ってという現在のクーポンのシステムは、私が考えても面倒くさいなって思うんですよね。
だから、この手間をどうやって省くかが重要だと思うんです。以前、Jリーグの会場で、特設ブースを開設してもらって無料で風疹の抗体価を調べるイベントを行ったりしたこともありましたし、企業の健康診断の項目の中に入れてもらうとか、企業内接種を実施してもらうとかをお願いしたこともありました。ただ、大企業ではやってくださった会社もあるんですが、小さいところだとなかなかできないですよね。
どうにか手間をなくして、クーポンがなくても抗体価を調べたり、予防接種を受けたりできるしくみがあったらなと思っています」(西村さん)
風疹はワクチン接種で予防できる病気です。みんなが風疹の予防接種を打っていれば、風疹の流行を抑えられるし、悲しい思いをする女性や子どもも少なくなります。西村さんのように、せっかく宿った命に対して中絶をすすめられることもなくなるでしょう。
「私がこの活動を始めたいちばんのきっかけは、私が失敗してしまった経験を知ってほしい、私みたいになってほしくないっていう思いからでした。私が予防接種をしてなかったから、子どもに迷惑をかけてしまったんです。ぜひ私の失敗を知ってもらって『あの人みたいになりたくないよね』と思ってほしい。そして、じゃあどうしたらいいかを考えてほしいんです。
ただ、私が葉七を出産したことは『失敗』ではありませんし、後悔したことは1度もありません。でも、妊娠中に風疹にかかってしまったら、もしかしたら私のようにつらい選択を迫られることがあるかもしれません。だからと言って、すぐに赤ちゃんをあきらめることはないとも思って欲しいんです。おなかの赤ちゃんの様子をしっかり診てもらったり、先天性風疹症候群で生まれてきたけれど楽しく過ごせている子もいるということを知ってもらったりしたうえで、妊娠を継続するかどうかの選択をしてほしいと思っています。
そのためにも私の経験をまずは知ってほしいし、この記事を読んでくださった方にも、ぜひまわりの人に話をしてほしいです。そして、自分が予防接種を打っていない世代に該当していたり、身近な人が該当していたりしたら、ぜひ抗体検査をしてみてほしいし、ワクチンを打ってほしいです。ワクチン1本で風疹から小さな命を守ることができるので、1歩踏み出して、行動してもらえたらなと思います」(西村さん)
★ 風疹のワクチンが含まれているMRワクチンは、2回接種すると効果的と言われます。定期接種の1回目は1歳代、2回目は5歳以上小学校入学前。公費で受けることのできるこの2回の接種は必ず打つこと、そして抗体を持っているかどうかがわからない場合は検査を受ける、妊娠中に抗体価が低いことが判明したら産後入院中に風疹の予防接種を受ける――。私たち1人1人が確実にこなすことが、未来の小さな命を守ることになるのだと強く感じました。
<参考>
■ 風疹をなくそうの会『hand in hand』のWEBサイト
■ 風疹をなくそうの会『hand in hand』のInstagram
■ 参考文献 先天性風疹症候群に関するQ&A (2013年9月)(国立感染研究所)
■ 産婦人科医からみた2012、2013年の風疹流行の課題(国立感染症研究所)