新・定年オジサンのつぶやき

残された日々をこの世の矛盾に対して勝手につぶやきます。
孫たちの将来に禍根を残さないよう、よき日本を「取り戻したい」。

こんなヤツらはいらない「暗い馬鹿」と「明るい馬鹿」

2021年02月11日 11時59分33秒 | 菅義偉

いくら茶坊主の世耕弘成参院幹事長が、「余人をもって代えがたい」と言って、自民党挙げて“森喜朗続投”の流れをつくろうとしていたのだが流れは徐々に変わり、「外堀」が埋められ始めている。
 
最もカネを拠出している五輪・パラリンピックの最高位スポンサーのトヨタも黙認はできず社長のコメントを発表していた。
 
最高利益を上げ続けているトヨタを決して手放しには評価しないが、経済界からのトップのコメントはそれなりに影響は大きい。
 

 トヨタは日本に生まれ、世界各国の多くの方々に支えられ成長してきたグローバル企業でございます。私たちは、大変お世話になっている街の人々に笑顔になっていただける街一番の会社を目指して、世界各国で企業活動を行っております。そして、ホームタウン、ホームカントリーと同じように、私たち人類の故郷である地球というホームプラネットを大切にしたいと考え、SDGsの目標の実現を目指して日々、努力を続けております。これは、スポーツを通じた平和で、差別のない社会、全ての人々が参加できる社会を目指すオリンピック・パラリンピックの精神そのものでございます。その精神に共感をして、私たちはオリンピック・パラリンピックのスポンサーになることにいたしました。しかし、今回の大会組織委員会のリーダーのご発言は、私たちトヨタが大切にしてきた価値観とは異なっており、誠に遺憾であります。

 
グローバル企業であるがゆえに自社の車が欧米で「不買運動」に発展することに危機感を覚えたのであろう。
 
森会長の進退に沈黙する政府 菅首相や室伏氏の働きかけは可能なのに…」「自ら判断すべき」繰り返す政府なのだが、組織委の顧問会議は、菅義偉が最高顧問・議長を務めるほか、特別顧問に麻生太郎副総理や加藤勝信官房長官らも名を連ねている。
 
さらには定款では、顧問会議は組織委運営に「助言できる」と定めている。
 
  
         【東京新聞より】
 
特別顧問のメンバーでもある加藤勝信官房長官は、「会長人事は組織委自体が独立した法人として、自ら判断するべきものと考える」と逃げていたが、そもそも自らの進退すら考えられない「サメの脳みそ」程度の失言男の進退はみんなで後押しして上げなければならない。

かつては、自由民主党の総裁ネット戦略アドバイザーを務めた経験があるこの男もこのように批判していた。
 
森喜朗会長『辞任した方がいい』 山本一太・群馬県知事が批判」   
 
「日本のイメージを悪化させた。日本の国益を大きく損ねている」と指摘しながら、森喜朗の発言は欧米メディアで報じられており、さらに批判が高まった場合に大会をボイコットする動きが広がる危険性があるとして「問題を決着させた方がいい」と語っていた。
 
これが本当なら欧米で東京五輪のボイコット運動が起きてほしいものである。
 
昨日の国会で野党議員からも指摘されていたこの問題。


五輪の公式ツイッター画像がコロナに続き、森発言で揺れる中でのヘッダー画像変更となれば、すでに森喜朗の去就どころか、本当に蜃気楼の如く消えてしまったのかもしれない。
 
さて、「オンライン古本屋の店主が綴る独断・偏向コラム」という主は、特に「公人」の場合にはコピーライターらしい適切なキャッチコピー風の敬称をつけて呼んでいる。
 
ちなみに自民党の連中はこう呼ばれている。(最近のほんの一部)
 
初老の小学生・ペテン総理安倍晋三
特高顔のカス総理(菅義偉
◆土建政治・二階君(二階俊博
◆茶坊主・世耕君(世耕弘成
◆シンキロー森(森喜朗
◆化粧崩れの総務大臣(高市早苗
・特別出演
◆フリップ小池君(小池百合子
まさに枚挙に暇がない程、豊富な呼び名が生まれているのだが、「特攻顔の菅義偉」という呼び名は辺見庸が言い始めたらしい。
 
ともに人間性が顔に表れている森喜朗と菅義偉の『没落への道』
 菅義偉が総理大臣になった頃、辺見庸が菅の顔を「特高顔」だと評したが、うまいこと言うなあと思った。実は私も以前から菅の人相が嫌いで嫌いでたまらなかったのだ。あれは後ろ暗さを感じさせずにはいられない人相だ。実際、菅は総理大臣になるや、安倍晋三からの申し送りではあるらしいが学術会議の任命問題でパワハラをやらかしてその人事を撤回しようともしなかった。また新型コロナウイルス感染症対策は何もしないばかりか明らかに逆効果である「GoToキャンペーン」に固執した結果、第3波だけで5千人以上もの死者を出した。ところがその一方で議論にはからっきし弱く、国会での答弁の時間は短いし、その短い答弁も何を言っているのかわからないことが多い。
 要するに菅とは頭が悪いけれども地位を笠に着たパワハラだけは得意な陰湿な人間だ。その陰惨な人間性は10年以上前に私が菅の顔を最初に見た時からはっきり顔に表れていた。
 森喜朗の場合は菅義偉のように陰々滅々とはしていないが、頭の悪さには昔から定評があり、しばしば「鮫の脳みそ」との言葉で語られた。そんな森に対するイライラを爆発させたのがエリートの加藤紘一だったが、2000年末の「加藤の乱」は失敗に終わった。当時から森の首に鈴をつけることは難しかったのだ。結局、昨日20年目を迎えた「えひめ丸事故」で、事故の一報を知りながらしばらくゴルフ場にとどまった行動が批判を浴びて内閣支持率が低下するなどして退陣に追い込まれた。
 菅と森とを比較すると、菅が「暗い馬鹿」なのに対して森は「明るい馬鹿」といったところだろうか。テレビで口を尖らせた森の顔が映ると、昔よく使われた「パッパラパー」という言葉をお思い出す。もちろん大時代的な森の価値観は論外だが、ああいうのは時代とともに廃れていくものだろう。今では選択的夫婦別姓に反対する人は2割くらいしかいないし、日常生活で主に元号を使う人間も同じくらいしかいないのではないか。もちろん森は代えた方が良いというか代えるべきだが、今になって稲田朋美が森を批判したくらいで稲田をほめたたえるのもおかしい。稲田が「わきまえたい女でありたい」とTwitterで呟いたくらいで「勇気ある意見発信だ」などとは私は全く思わない。そもそも稲田の正体が「人気とりのための極右」に過ぎなかったことは今では明らかになりつつある。稲田は新たな時流に乗ろうとしているに過ぎない。
 時代の変化は、ある時期まではそれまで長く続いた因襲に押さえつけられてなかなか表に表れないが、ひとたびその因襲に亀裂が入り始めると、怒濤のように表面に出てくる。多くの人々が森喜朗批判へと舵を切ろうとしている今がその時期なのかもしれない。稲田朋美はおそらく、今までのような極右の演技をしているよりは、森喜朗を批判した方が楽なのではないか(しかも明らかにその方が得だ)。それくらい森を批判するためのポテンシャルの壁は下がってきている。
 森喜朗の東京五輪組織委員会委員長辞任は、もはや時間の問題だろう。菅義偉政権の終焉も、そう遠い先の話ではない。

少なくとも国民にとっては、「暗い馬鹿」も「明るい馬鹿」もどちらも「無用の長物」であることは確かである、とオジサンは思う。
  

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