新・定年オジサンのつぶやき

残された日々をこの世の矛盾に対して勝手につぶやきます。
孫たちの将来に禍根を残さないよう、よき日本を「取り戻したい」。

あれから12年、死者たちの13回忌

2023年03月11日 11時39分13秒 | 原発関連

新聞、テレビメディアは、「関東大震災から100年、東日本大震災から12年」というタイミングでそれなりに特集を組んでいる。
 
在京大手メディアの各社もそれなりの内容の「社説」を書いていた。
 
いまさらそれらを列挙しても大して意味がないので、震災の翌日の「オジサンのつぶやき」を 再掲しておく。
 

東北地方太平洋沖地震】
 その時オジサンは日比谷公園を見下ろす高いビルの地下の会議室にいた。
15時10分前くらいに最初の揺れを感じた。
次第に机が椅子が揺れ始め、窓もない地下会議室なので全員1階に退避した。
既に大きな数メートルもあるガラスが音を立てて揺れ、隣の高層ビルがはっきりと眼で識別できるほど揺れていた。
誰かが震源地は宮城県らしいと言ってきた。
数日前にもそこでは地震が発生している。
しかしその余震にしては今まで体験したことのない揺れ具合であった。
危険なので外に出てみた。
日比谷公園に面したビルの入り口付近には、災害発生時の緊急避難手続きにしたがってビル住民が集まっていた。
しかしなんとなくゆとりがあり、その後の未曾有の事態を全く感じさせない雰囲気だった。
緊急避難地域にしていされている公園側を見ると、続々と人々が公園内に進んでいる。
公園内に三々五々集まってきた周辺のサラリーマンたちは会社が用意したらしいヘルメットをかぶっていた。
そして彼ら、彼女たちのその後はどうなったかはオジサンは知らない。
オジサンは地震とは関係なしに事前に決めてあった場所に17時に集まり総勢8名となった。
有楽町付近は、乗客のいない下り新幹線が頭の上で停車しており、既にJR各線は運転を終日中止したにもかかわらず、駅に向かう人もかなり多かった。
オジサンたち「不良中年団」は、地震の影響から線路点検を人手で行っているので時間がかかるが、いつか運転再開するとの信念で、ひとまず夜露をしのげる場所で待機することになり、30分後には生ビールのグラスを持っていた。
入った店は駅から引き返してきた客でたちまち満席になった。
十分腹ごしらえした後、都内在住または帰宅可能な者たちと別れ、オジサンたち数名は歩いて40分ほどの事務所で2次会をしながら交通状況をにらんでいた。
日付が変わった頃、地下鉄の一部が運転を再開し、オジサンは何とか乗り継いで2時前にようやく帰宅できた。
 今朝の朝刊は、オジサンが今まで見たことのない2ページ分の見開きトップで特大活字でがその地震の被害の甚大さを現していた。
テレビでは終日地震関連のニュースが続いていて、今でも長野での地震の影響でオジサンの目の前のディスプレイが揺れている。
海外でも津波の被害が伝えられている。
そして米国のイラク侵略時に活躍したあのアルジャジーラでも大きく報道されている。
津波の被害はこれから時間をかけて復旧していかなければならないが、時間が経てば経つほど危険な兆候が次第に明らかになっている。
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福島第1原発「炉心溶融が進んでいる可能性」保安院
  2011/3/12 15:30
 経済産業省の原子力安全・保安院は12日午後2時、東京電力の福島第一原発1号機で原子炉の心臓部が損なわれる「炉心溶融が進んでいる可能性がある」と発表した。発電所の周辺地域から、燃料の核分裂に伴うセシウムやヨウ素が検出されたという。燃料が溶けて漏れ出たと考えられる。炉心溶融が事実だとすれば、最悪の原子力事故が起きたことになる。炉心溶融の現象が日本で確認されたのは初めて。
 検出された種類は、いずれも本来は金属容器で封じ込めている物質。炉心溶融で大量に放射性物質が出れば、被曝(ひばく)の被害が広がる恐れもある。
 保安院は今回の炉心溶融について「放射性物質の広がりを計算した結果、現時点では半径10キロを対象とする住民避難の範囲を変更する必要はないだろう」と話している。
 震災にあった1号機は、核燃料棒を冷やしていた水位が下がり、露出していたとの報告もあった。
 燃料を包む金属容器は高温に耐えるとされる。溶けたとなれば、燃料周辺が相当の高温にさらされたとみられる。金属容器ばかりか原発の圧力容器や格納容器を溶かせば、放射性物質が外に漏れ出す。
 原発の運転中は、炉心で核燃料が核分裂を起こしている。発熱反応が連鎖し、冷却水を蒸気に変えてタービンを回し、発電している。
 冷却水があるうちは熱が一定に保たれるが、本来の水位が下がると燃料が生む熱の行き場が無くなる。最悪の事態では、原子炉の心臓部である炉心溶融が起きる。
 この事態を受け、保安院は自衛隊に給水支援を要請した。大量の水を使って熱を冷ますためだ。
 過去の大きな原子力災害も、炉心溶融が原因のものがあった。1979年には、米ペンシルベニア州のスリーマイルアイランド原発にトラブルが発生。緊急炉心冷却装置が働かず、高温になった燃料が炉心を溶かす大事故につながった。
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 どうも政府の発表が後退していることから、かなり危険な状況に移りつつあるのではないだろうか。
「原発神話」はこのような大地震によって崩れ去るので、もはや手遅れになるということを、今回の大地震は物語っている、とオジサンは思っている。

 
その後、福島第一原発の1号基と2号基が大爆発して、多くの住民が避難し、帰宅困難者が多数発生し、原発が存在する双葉町は今でも当時の住民の1%(60人)しか戻っていないという。
 
原発事故の教訓はどこへ…原発回帰を強める岸田政権 不十分な議論、再生可能エネルギーに消極姿勢」 
 
             
                                     【東京新聞より】
    
東京電力福島第一原発事故から12年が経過し、岸田政権が原発回帰を強めている。政府が封印してきたリプレース(建て替え)や60年超の運転容認を決定。岸田文雄首相は、ロシアのウクライナ侵攻などを受けたエネルギー価格の高騰などを理由に挙げるが、国会で十分な議論をせず、昨年の参院選でも国民に説明していない独断による大転換だ。事故を教訓に推進してきた再生可能エネルギー普及の姿勢にも疑問符が付いている。
◆「リプレース」「60年超」独断で決定
 首相は今月3日の参院予算委員会で、原発の必要性に関し「エネルギーの安定確保と脱炭素は世界的な課題だ。選択肢の1つとして、原子力に向き合うことを決断した」と強調した。
 政府は昨年12月、原発のリプレースや運転期間の延長容認を盛り込んだ新方針を決め、今年2月に閣議決定した。運転延長を巡っては、政府の原子力規制委員会で地質学者の石渡明委員が安全性への懸念から反対を表明。最終的に多数決で了承という異例の経過をたどった。
 野党は「拙速だ」と批判したが、首相は「専門家と100回以上議論した。会議のありようにも不備はなかった」と取り合わなかった。
 原発事故後の政府方針からは、原発依存からの脱却と再エネ普及を進める意思が読み取れる。2014年の国の第4次エネルギー基本計画(エネ基)では、事故前の3次計画(10年)で示された新増設の推進が消え「可能な限り原発依存度を低減する」と明記。「再エネの導入加速」も記し、18年の5次計画は「再エネの主力電源化」を掲げた。
 前提としていたのは、新規制基準に適合した原発の再稼働は認めても、運転期間が「原則40年、最長60年」に達した原発は廃止するという姿勢だ。新増設やリプレースについても政府は「想定していない」という立場を貫いてきた。
 ひっくり返したのは首相。参院選を終えた直後の昨年8月、唐突にリプレースの検討を表明した。それから約7カ月。エネ基の方針は骨抜きになっている。
◆再エネ「政府の本気度足りない」
 立憲民主党は18年、他の野党とともに原発の再稼働禁止や再エネへの抜本的転換を明記した「原発ゼロ基本法案」を国会に提出した。与党の反対で審議されず、衆院解散に伴い廃案になったが、泉健太代表は「再エネを伸ばしていくのが本筋」と主張する。
 政府が21年に改定したエネ基の6次計画でも、原発のリプレースや運転延長は盛り込まず、再エネは主力電源化へ倍増という目標を掲げている。21年度の全電源に占める再エネ比率は約2割で、倍増なら4割台が目立つ欧州諸国に迫る。しかし、首相は「日本は山と深い海に囲まれ、再エネ適地が少ない」との考えを示すなど、原発に比べて消極的な発言が目立つ。
 自然エネルギー財団の大野輝之常務理事は、原発新設コストの高騰や建設期間の長期化を挙げ「原発推進が脱炭素に貢献し、電力価格が安定するという政府の説明は、根拠に乏しい」と指摘。原発・火力依存の体制を温存しようとする姿勢が再エネの普及を遅らせているとして「足りないのは再エネ適地ではなく、政府の本気度だ」と語った。

 
311放射能社会<本澤二郎の「日本の風景」(4741)」 
 
<無責任政府原子力ムラと無知国民が連携する放射能核共存社会か>
2011年3月11日がやってきた。その教訓は政治や行政に全く生かされていない。それどころか「放射能核共存社会」を強要している。庶民の目線だと、無色無臭の放射能社会が定着しているとしか思えない。莫大な311東北復興のための血税はどこへ消えたか。
 ぶっちゃけて言わせてもらうと、人間性がひとかけらもない学術会議や血税目当ての学者群ばかりが目に付く。政界や言論界は、容易に電通や財閥にひれ伏す。巨大地震国に原子力発電所はいらない。建設してはならない。核兵器の原料となるプルトニウム確保に突進したA級戦犯・岸信介の亡霊に清和会の安倍晋三どころか、菅義偉はたまた宏池会の岸田文雄までが服従して、原発回帰の政策を強行するという。
 54基どころかアメリカ並みに100基建設しようというのか。放射能まみれ、放射能核共存社会にしようとしているとしか思えない。「美しい日本」はどこに消えてしまったのか。
<放射能下の生活を強いられている多数のフクシマ県民(福島エートス)>
 それにしても、市民が立ち上がらない無知な福島県民にも驚愕させられる。神奈川県や千葉県にはやくざが跋扈して、警察行政を破壊しているが、はるかに恐怖の放射能に対して甘すぎるフクシマ県民は、311事件を忘れてしまって、こともあろうに現地の知事に、原子力ムラの震源地である経済産業省のOBを選んでいる。これもすごいことであろう。
 フクシマ原発に反対した佐藤栄作知事(元宏池会参院議員)は、東電など原子力ムラによって排除された。それを後押しした言論界!この国の狂気に言葉もない。
 「福島エートス」という言葉を少し前までは、全く知らなかった。それに反対した被ばくジャーナリストが刑事告訴されたことも。文鮮明の言う「悪魔の国」ということなのか。原子力ムラの科学者は悪魔の人間で構成されているのか。
 すなわち「放射能の下で生活しなさい。放射能は大したことはない。安心していい」などという嘘で固めた屁理屈を住民に押し付けて放射能共存を強いる悪魔の行政のことである。被ばくを強要する原子力ムラの手口を容認させられている福島県民は、正に棄民そのものである。悪魔の行政に従う子羊に声をかける言葉などない。
 これに日本医師会も正義のはずの民医連も服従している。人々の声はかき消されているのである。健全な言論の不存在の恐怖を物語っている。一党独裁国と変わらないフクシマである。
<婦女子の健康管理は大丈夫か=奇形児の扱いが心配>
 甲状腺がん患者らが裁判を起こしたことは承知しているが、その後の消息は伝わってこない。チェルノブイリの教訓さえも学ばない原子力ムラ主導の地方自治に対して、司法は目を覚ますかどうか。根本の住民自治は抑え込まれている。
 本末転倒する福島県といえるだろう。平(たいら)出身の正木清や大平正芳の盟友・伊東正義の二代目は、誕生していないのだ。
 チェルノブイリでは、当然のことながら被ばくした乳牛のミルクを飲んだりした婦女子から、沢山の奇形児が生まれてきている。フクシマはどうか。強制的に堕胎させているのだろうか。
 原子力ムラが支配する国は、闇の世界である。真実は闇から闇に葬られるのだ。甲状腺被爆者に対して、担当医は「放射能とは関係ない」とわざわざ念押しすることも公表されている。人間の命を救う崇高な使命を医師は放棄している。ハルビンの生体実験で知られる関東軍の731部隊が、新たに誕生しているのであろうか。
 余談だが、房総半島の袖ヶ浦市の水源地・林地区に埋設された放射能ゴミ近くの住民にも癌多発が報告されている。袖ヶ浦市も千葉県も環境省も科学的な検査をしない。嘘で住民を誤魔化している。
<被爆地での食糧生産や生き物は?猛毒トリチウム投棄で魚介藻類危機>
 除染作業は承知しているが、それを100%処理できるわけがない。人間のやることだ。手抜きもあろう。森林には手をつけることが出来ない。安全な大地や住宅は望むべくもない。被爆地は依然として放射能汚染危険地区だ。
 そこでの野菜づくりや果樹・コメ作りは無理である。採れた食材が安全であるわけもない。汚染地区での生活や畑作水耕は無理だ。諦めるしかない。東電に負担させるほかないのだが、第一いまも東電が存続していること自体がおかしい。
 人類には廃炉技術はない。ロボットを駆使しても無駄である。今は猛毒トリチウムを海洋投棄するのだという。朝鮮半島や大陸の住民は反対している。いい加減な国際原子力機関IAEAを懐柔できても、無駄なことである。電通やNHKを使って安全宣伝しても無理だろう。
 それでも強行すれば、海産物を食べることが出来ない。食卓から魚介類は消える。漁業者は生きられない。
<廃炉は幻か!それでも原発回帰の政府原子力ムラの暴政>
 廃炉は無理だ。東大原原子力工学科には出来ない。欧米も無理だ。チェルノブイリのように蓋をかけて放出を抑さえるしか方法はない。そもそも核に手を出す方が大きな間違いなのだ。
 それでも原子力ムラは、原発回帰に舵を切った。岸田の無責任な政治にもあきれる。従うだけの公明党創価学会カルトも脅威である。神道は戦争屋そのものだが、仏教は虫も殺すなと教えている。神道と共闘した変質した創価学会は危険極まりない。
 政権交代が無理ならば、この国の主権者はすべて棄民となる運命に置かれてしまっている。

最後に、2003年6月8日付のスペインの新聞EL MUNDO紙の記事「調査報告/原子力発電所における秘密 日本の原発奴隷」から冒頭部分を紹介しておく。  
 

日本の企業は、原子力発電所の清掃のために生活困窮者を募っている。 多くが癌で亡くなっている。クロニカ〔本紙〕は、このとんでもないスキャンダルの主人公達から話を聞いた。
DAVID JIMENEZ 東京特派員
福島第一原発には、常に、もう失うものを何も持たない者達のための仕事がある。松下さんが、東京公園で、住居としていた4つのダンボールの間で眠っていた時、二人の男が彼に近づき、その仕事の話を持ちかけた。特別な能力は何も必要なく、前回の工場労働者の仕事の倍額が支払われ、48時間で戻って来られる。2日後、この破産した元重役と、他10名のホームレスは、首都から北へ200kmに位置する発電所に運ばれ、清掃人として登録された。
 「何の清掃人だ?」誰かが尋ねた。監督が、特別な服を配り、円筒状の巨大な鉄の部屋に彼らを連れて行った。30度から50度の間で変化する内部の温度と、湿気のせいで、労働者達は、3分ごとに外へ息をしに出なければならなかった。放射線測定器は最大値をはるかに超えていたため、故障しているに違いないと彼らは考えた。一人、また一人と、男達は顔を覆っていたマスクを外した。「めがねのガラスが曇って、視界が悪かったんだ。時間内に仕事を終えないと、支払いはされないことになっていた」。53歳の松下さんは回想する。「仲間の一人が近づいてきて言ったんだ。俺達は原子炉の中にいるって」。
 この福島原発訪問の3年後、東京の新宿公園のホームレスたちに対して、黄ばんだ張り紙が、原子力発電所に行かないようにと警告を発している。“仕事を受けるな。殺されるぞ"。彼らの多くにとっては、この警告は遅すぎる。日本の原子力発電所における最も危険な仕事のために、下請け労働者、ホームレス、非行少年、放浪者や貧困者を募ることは、30年以上もの間、習慣的に行われてきた。そして、今日も続いている。慶応大学の物理学教授、藤田祐幸氏の調査によると、この間、700人から1000人の下請け労働者が亡くなり、さらに何千人もが癌にかかっている。
完全な秘密
 原発奴隷は、日本で最も良く守られている秘密の一つである。いくつかの国内最大企業と、おそるべきマフィア、やくざが拘わる慣行について知る人はほとんどいない。やくざは、電力会社のために労働者を探し、選抜し、契約することを請負っている。「やくざが原発親方となるケースが相当数あります。日当は約3万円が相場なのに、彼等がそのうちの2万円をピンハネしている。労働者は危険作業とピンハネの二重の差別に泣いている」と写真家樋口健二氏は説明する。彼は、30年間、日本の下請け労働者を調査し、写真で記録している。
 樋口氏と藤田教授は、下請け労働者が常に出入りする場所を何度も訪れて回り、彼らに危険を警告し、彼らの問題を裁判所に持ち込むよう促している。樋口氏はカメラによって―彼は当レポートの写真の撮影者である―、藤田氏は、彼の放射能研究によって、日本政府、エネルギーの多国籍企業、そして、人材募集網に挑んでいる。彼らの意図は、70年代に静かに始まり、原発が、その操業のために、生活困窮者との契約に完全に依存するに至るまで拡大した悪習にブレーキをかけることである。「日本は近代化の進んだ、日の昇る場所です。しかし、この人々にとっては地獄であるということも、世界は知るべきなのです。」と樋口氏は語る。
 日本は、第二次世界大戦後の廃墟の中から、世界で最も発達した先進技術社会へと移るにあたって、20世紀で最も目覚しい変革をとげた。その変化は、かなりの電力需要をもたらし、日本の国を、世界有数の原子力エネルギー依存国に変えた。
 常に7万人以上が、全国9電力の発電所と52の原子炉で働いている。発電所は、技術職には自社の従業員を雇用しているが、従業員の90%以上が、社会で最も恵まれない層に属する、一時雇用の、知識を持たない労働者である。下請け労働者は、最も危険な仕事のために別に分けられる。原子炉の清掃から、漏出が起きた時の汚染の除去、つまり、技術者が決して近づかない、そこでの修理の仕事まで。
 嶋橋伸之さんは、1994年に亡くなるまでの8年近くの間、そのような仕事に使われていた。その若者は横須賀の生まれで、高校を卒業して静岡浜岡原発での仕事をもちかけられた。「何年もの間、私には何も見えておらず、自分の息子がどこで働いているのか知りませんでした。今、あの子の死は殺人であると分かっています」。彼の母、美智子さんはそう嘆く。
 嶋橋夫妻は、伸之さんを消耗させ、2年の間病床で衰弱させ、耐え難い痛みの中で命を終えさせた、その血液と骨の癌の責任を、発電所に負わせるための労災認定の闘いに勝った、最初の家族である。彼は29歳で亡くなった。
 原子力産業における初期の悪習の発覚後も、貧困者の募集が止むことはなかった。誰の代行か分からない男達が、頻繁に、東京、横浜などの都市を巡って、働き口を提供して回る。そこに潜む危険を隠し、ホームレスたちを騙している。発電所は、少なくとも、毎年5000人の一時雇用労働者を必要としており、藤田教授は、少なくともその半分は下請け労働者であると考える。
 最近まで、日本の街では生活困窮者は珍しかった。今日、彼らを見かけないことはほとんどない。原発は余剰労働力を当てにしている。日本は、12年間経済不況の中にあり、何千人もの給与所得者を路上に送り出し、一人あたり所得において、世界3大富裕国の一つに位置付けたその経済的奇跡のモデルを疑わしいものにしている。多くの失業者が、家族を養えない屈辱に耐え兼ねて、毎年自ら命を絶つ3万人の一員となる。そうでない者はホームレスとなり、公園をさまよい、自分を捨てた社会の輪との接触を失う。
“原発ジプシー"
 原発で働くことを受け入れた労働者たちは、原発ジプシーとして知られるようになる。その名は、原発から原発へと、病気になるまで、さらにひどい場合、見捨てられて死ぬまで、仕事を求めて回る放浪生活を指している。「貧困者の契約は、政府の黙認があるからこそ可能になります」。人権に関する海外の賞の受賞者である樋口健二氏は嘆く。
 日本の当局は、一人の人間が一年に受けることが可能である放射線の量を50mSvと定めている。大部分の国が定めている、5年間で100 mSvの値を大きく超えている。理論上、原子力発電所を運営する会社は、最大値の放射線を浴びるまでホームレスを雇用し、その後、「彼らの健康のために」解雇し、ふたたび彼らを路上へ送り出す。現実は、その同じ労働者が、数日後、もしくは数ヵ月後、偽名でふたたび契約されている。そういうわけで、約10年間、雇用者の多くが、許容値の何百倍もの放射線にさらされている説明がつくのである。
長尾光明、78歳、多発性骨髄腫に罹患。東電・福島第一原発で働いた自分の写真を抱える/ 撮影:樋口健二 長尾光明さんは、雇用先での仕事の際に撮られた写真をまだ持っている。写真では、彼は、常に着用するわけではなかった防護服を着ている。病気になる前、5年間働いた東電・福島第一原発で、汚染除去の作業を始める数分前にとった写真である。78歳、原発ジプシーの間で最も多い病気である骨の癌の克服に励んで5年を経た今、長尾さんは、原発を運営する会社と日本政府を訴えることに決めた。興味深いことに、彼は、契約されたホームレスの一人ではなく、監督として彼らを指揮する立場にあった。「大企業が拘わる仕事では、何も悪い事態が起こるはずはないと考えられてきました。しかし、これらの企業が、その威信を利用し、人々を騙し、人が毒される危険な仕事に人々を募っているのです」と長尾さんは痛烈に批判する。彼は、許容値を超える大量の放射線にさらされてきたため、歩行が困難となっている。
 30年以上の間、樋口健二氏は、何十人もの原発の犠牲者の話を聞き、彼らの病を記録してきた。彼らの多くが瀕死の状態で、死ぬ前に病床で衰弱していく様子を見てきた。おそらくそれ故、不幸な人々の苦しみを間近で見てきたが故に、調査員となった写真家は、間接的にホームレスと契約している多国籍企業の名を挙げることに労を感じないのだ。東京の自宅の事務所に座り、紙を取り出し、書き始める。「パナソニック、日立、東芝…」。

 
12年目に入っても、「フクシマの復興」は形だけであり、大爆発により空気中に拡散された放射線と被曝した労働者たちの苦しみはまだまだ続いているのであり、決して「アンダーコントロール」ではないことだけは確かである、とオジサンは思う。  
 
【追伸】 こんな声が飛んでいた!!
 
「本当にマスメディア特にテレビは野球ばかり放送している場合じゃない。。大谷選手がナイスプレーしたからって庶民の税金が軽くなるわけでもなし単なる気休めだろう。なんでもっと国民の為になる本質的な報道ができないんだ。反省しろ」  

 

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