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重慶でラン&山登り

マラソンと山登りが趣味。
重慶の街を走って見つけた面白いことを記録します。

4K完歩記11 最後に

2016-09-29 20:49:02 | 4K Alpine VDA
無事に完歩した後、一番つらかったのは宿に着くまで。
まずゴールから500m位先の受付までドロップバッグを取りに行かなくてはいけません。これが遠い。
更にそのドロップバッグを宿まで持っていかなくてはいけません。自分が予約していたホテルは受付から1km位先でしかもあの重いドロップバッグを持たないといけないと思うと気が重くて仕方ありませんでした。

受付にいってドロップバッグを受け取り、呆然としながらとりあえずその場にあるシャワーを浴びて、さらに呆然としているとバルトナンシュでお会いした日本人の方がいてビールを持ってきてくれました。これは本当においしかった。また既に完走していた日本人の方もホテルが同じで荷物を運んでくれるのを手伝ってくださり、自分は歩くだけで本当に助かりました。

いつか自分も他の選手を助けてあげられるような強い選手になりたいなと思いながらホテルに到着。
ホテルではホテルの奥さんが自分のことをGPSで追跡していてくれたようで完走の祝福をしてくれました。

荷物の整理や足のケアとかやらなきゃいけないことが沢山あったけど、すべてを無視してとりあえず眠ることに。翌日は閉会のセレモニーがあるのでそれまでには間に合うよう起きれることを祈りながら・・・

翌朝、全身の痛みで目が覚めます。足はガチガチ、股擦れは悪化し膿み、足のマメも痛く靴下はおろか靴も履けない。ふくらはぎと足首はむくんで象のようになり、足の裏は針の上を歩くようにびりびりとしびれる状況。よくもここまで体を酷使できたなと自分でも久しぶりの感覚で少しうれしくもあります。

朝起きるとお腹が劇的に空いており、ペンギン歩きでロビーに行って朝食をとります。

やっと普通のパンが食べれました。

10時からセレモニー開始。完走した人にはフィニッシャーズジャケットが配布されました。

ジャケットをきてゴールゲートにて。ほとんど歩いてたけど完走。


レース中は少し雨が降ったけどほとんど快晴でした。今日も快晴。


結構待たされましたがセレモニーが開始。

完走者が行進してゴールゲートまで歩きます。本大会のテーマソングは「Alegria」シルクドゥソレイユの音楽です。これがこの先数日間頭の中でリフレインし、その度に4Kの感動がよみがえります。


ゲートの周りにはたくさんの人。本当にうれしい。

心の底から祝福されている気がします。

凄い人です。これは感動しました。

完走したのは309人。選ばれた人のような錯覚がします。

帰国のフライトの関係からセレモニーの途中で抜け出しアオスタへ向かうバスに向かいましたが、この後飲んだり食べたり楽しい時間が過ぎたようです。
知り合いになれた方にも簡単な挨拶しかできませんでしたが、お別れをして帰路につきます。

帰りのバスの中過ぎ去る山を見ながら頭の中で「Alegria」がリフレインし、「辛くてやめたいと何度も思ったけど結局ほとんど走れなかったのは残念だったな。いつかしっかりと準備してもう一度挑戦してみたい」と既に思いはじめている自分に少しびっくりしました。


最後に今回の旅を振り返って思ったことをいくつか書きたいと思います。

・この旅を完歩できた要因は?
 家族の理解があった。天気が良かった。歩き続けることを心がけた。同じペースで行ける選手がいて話ができた。レッドブルがスポンサーで飲み放題だった。ペーパーナプキンが偶然落ちていた。日本人選手やお仲間が声をかけてくれたり引っ張り合うことができた等々、どれか一つかけていても完歩できなかったと思います。

・何故トレランをするのか?
 6日目か7日目の朝、マメが痛くて、眠くて、股擦れがひどい状況についてある選手と話をしてると、「それが楽しいんだよね。それを経験するためにトレランをしているんだ」と意気投合。やっぱここまでや体や精神を追い込んで頑張らないと体験できない事をやりたいんだろうと思う。どこまでもMだな自分。

・エプソンMZ-500(GPS腕時計)
 ベースキャンプで充電しながらログをとる事ができました。しかし5日目にアラームがなり悲しいお知らせが表示されました。「メモリがいっぱいです」。そう100時間までしかログがとれませんでした。その後は只の腕時計となってしまうことに。距離を把握したかった為にしばらく悩んだ結果、泣く泣く100時間のログを消去し残りのログをとることを選択。過去と決別し未来を進む道を選んだと自分は当時はかっこよいと思っていた。

・睡眠時間
 振り返ってみると結局は1日目2時間、2日目5時間、3日目3時間、4日目4時間、5日目3時間、6日目1時間+αで20時間程度だったと思います。
多いか少ないか良くわかりませんが睡眠時間と走る時間はトレードオフの関係にあると思われます。ゆっくり休むために頑張って走るか、ゆっくり走って頑張って寝ないか。でもしっかり休む事はこのレースにおいては絶対大事だと思います。

・思うこと
 この大会は自分にとってはトレランではなくファストパッキングの旅でした。実質走った(といってもジョグですが)距離は合計で10kmもないと思います。いろんな条件が揃い体調さえ持てば歩いてでも完走できるということを実証しました。しかし本当に想像力の準備不足で初日の山で面食らってしまい、日々歩むことに全身全霊を注ぎ景色や人々との交流は楽しめたけれど旅自体を心より楽しむことはできていなかったと思います。もっと走れるところは走り、山小屋や草むら等でも休むところで休むといったメリハリをつけることができる実力があればより自然を楽しんだり、いろんなものを食べたり、ビールやワインを飲んだり、色んな人と交流したりと一層充実した旅になったのではないかと思います。これも今回の経験があったから気づけたことで今後の自分の糧にしていきたいと思います。

・自然について
 今回は天気に恵まれ自然の美しさとその中の自分の小ささを感じることができました。一方で一週間後に開催されたトルデジアンでは土砂降りの雨となったり、山では雪も降ったようで、同じコース(逆回り)で一週間でこんなにも変わるのかと改めて自然の恐ろしさを感じました。山に入るからには気持ちも装備もきちんと整えてから行きたいですね。

・家族
今回は無理を言って長い休みを使いレースに参加しました。本来なら日本で家族と過ごすべきなのはわかっていますが自分のワガママを聞いてくれた家族には本当に感謝です。色々思うところはあったでしょうが最終的には応援してくれ、本当に心の支えになりました。この支えなくては間違いなくゴールできませんでした。改めてメンタルのスポーツだなと思いました。無事に帰れて良かったです。

・最後に
このブログを読んでくれた方、長々とお付き合いありがとうございました。
来年も4Kは開催されるようです。興味のある方は是非ご参加ください。なんやかんや書きましたが超お勧めです。


終わり。


追伸:
イタリアの旅から1日後、北京に到着するも北京から重慶に戻る便がキャンセルになり空港は混乱。

夢から現実に一気に戻されました。

4K完歩記10 Donnas-Cogne

2016-09-28 21:44:42 | 4K Alpine VDA
9月9日

いよいよ最終セクション。

泣いても笑っても最後。ここまで来たらできれば笑ってゴールしたい。泣いてでもゴールしたい。

だれもがそう思っているはず。

朝2時に目を覚まします。出発の関門まで1時間。股擦れは最悪に痛く、足のマメも潰しましたが乾くまでには至らず、靴下もきれいなのは5本指の物しかなく、5本指の靴下は足の指がむくみとマメで履くことができず、やむなく汚れた普通の靴下を履きます。

ラオウさんを探すも見つけることができず、もしかしたら昨日の関門間に合わなかったのかもしれないと思ったらしっかりと準備されていました。あの下りを腸脛を痛めた状態で降りてこられたのは本当に尊敬です。

ここにいる人は誰しもがもはや極限状態。みな気力だけで頑張っています。

最後は今までの中では元気だったらご褒美のコース。

約2500m登って1500m下るだけ。距離は46km。いままでにない緩やかで楽しめるコースです。あくまでも元気だったらの話です。

ゆっくりとしかできない準備を済ませ、関門の10分前にDonnasのベースキャンプを出発です。ゴールの制限時間迄あと17時間10分。ここまで138時間。距離は300kmを越えています。泣いても笑っても本当に最後です。

真っ暗な街の中を進みます。
日本は朝の8時。奥さんに電話して元気パワーをもらおうと試みます。すると「まだ走ってたんだ・・・」とビックリされます。てっきりリタイアしているものだと思っていたようです。ここまできたら完走してさらにビックリさせてやろうと、前向きパワーを注入しながら電話をしているとコースロストしてしまいました。すぐに戻って事無きを得ましたが集中力が欠如してきています。

そんな中歩いているとラオウさんが追いついてきます。そしてその他日本人選手2名も一緒になり4名の日本チームになります。自分以外の3名は知り合いの様で和気あいあいと会話されています。どうやらトルデジアンつながりのようです。今までほとんど自分のペースで歩いてきたのですが、ここに来て皆さんの早いペースに合わせてちょっとリズムが狂います。が眠さが半端ないため、会話しないと本当にゴールできそうになく、頑張ってペースも話題にもついていこうとします。それでもずっと一緒のペースではない為、誰かが前に行ったり誰かが遅れたりします。すると前の方で犬が寝ていると思ったら先行していた選手が寝ていたり、そのまま寝過ごしてしまいそうになったりと、7日目の良くわからないハイテンションな状況で進んでいきます。自分も秘蔵の柿の種をこっそり食べて一人だけボリボリ言いながら登ったり、また新しく覚えたスキル「寝ながら登る」を繰り出したりと楽しいひと時をすごしました。

そうして10km程先のエイドPontbosetに到着。

野戦病院のように床の上に選手が寝ているのが印象的でした。みんな本当に限界ですね。

くっついたり離れたりしながらも4名での行動はしばらく続きますが、皆さんと話していると色々と勉強になりました。
ある選手は体調を崩して前半は6時間近くベースキャンプで寝て体調を回復させたそうです。ある選手は山小屋をうまく利用して定期的に睡眠をとっているそうです。自分はいつも関門ギリギリでゆっくり休むことができず食事もままならない状況が続き、山小屋の有効活用ができておらず、お酒を飲んだりとかもっといろいろと楽しむことができるだけの実力がほしいなぁと改めて思いました。
お腹もすいてきましたがなかなか次のエイドにたどり着きません。

すると川沿いにエイドっぽい建物が見えます。選手も休んでいるのでエイドと思い向かいます。
しかしここはエイドではなくただの売店でした。しかし我慢できなかった自分はパンとピザを購入。このレースで初めてお金を出して購入しました。
その間他の皆さんは休憩して待ってくれてなんか自分だけ申し訳ない気分。自分が食べ終わるのを待って出発します。
しばらくすると本物のエイドChardonneyに到着。

皆さんビールを飲まれてたので自分も1口だけ飲んでみました。ちょっとだけ冒険。

この先は楽しかったですね。すっかり日も上り、ビールを飲んで少し気持ちよくなった選手が順番に眠りに落ち、歩いては眠り、眠っては歩くを繰り返します。まるでドリフのコントのようになかなか前に進まみません。最終日で後すこしという気持ちの余裕もあったでしょうか、リラックスした雰囲気で歩いていきます。

こんな草原、昼寝しないわけにはいきません。

どんどん気温も上がってきて、湧き水で体を冷やしたりして進みます。しかしここでアクシデント。湧き水で顔を洗っていたとき、足を滑らせて転倒します。そしてその際にストックが体の下に入ってしまいストックを折ってしまいます。体は肘を擦りむいただけで済みましたが、最後の登りのストックが1本だけになってしまいました。本当に最終日でよかったと思いながらストック1本ではバランスが取れず、ストックは収納して使用しないことにしました。

ゆっくりピクニックみたいに遊んでいるうちにふと時計を見ると時間がなくなっていることに気が付きました。
実は先のエイドのChardonneyまではDonnasから16kmですがここまで7時間近くかかっています。のこり30kmを10時間で進まなくてはいけません。
自分は足のマメと股擦れと膝の調子が悪く下りはスピードが出せません。このまま楽しく進んでいくと折角の完走の機会を逃してしまいかねません。他の選手は自分よりも経験ありそうで最後は何とかしそうですが、自分は全くその余裕がありません。ストックも折れてしまいました。

できれば最後まで一緒に行きたかったけど、自分の実力では最後取り残されると思い、ここから少しペースを上げて登っていくことを決意。
仲間となった皆さんに「自分は下り自信ないので登りのあるうちに先に行きます」と別れを告げます。

砂利道の登りが10km程続きます。

おそらく最後のピークと思い撮影しましたが、偽ピークでした。

登りの最後のエイド。ここでレッドブルを補給。

ここにもメニューは無し。山小屋で有料メニュー食べたかった。

そして最後の力を振り絞り登ると

本当に最後のcolが見えてきました。

13時30分。Fenetre de Champorcherに到着。Cogneまで後19km、1300mの下りを残すのみとなりました。

後はここを下るだけ。でもかなり急です。足はもう終わっているので、下りでもスピードが上がりません。むしろ歩くたびにマメが靴に当たり激痛が走り登りよりも遅いくらいです。
そんな中、予想通り朝ご一緒した日本人選手が快調に走って抜き去って行きました。ここまできてまだ走る余力があるのは本当にすごい。自分とは別次元です。
そして急な下りの下にあるエイドRif Socnoに到着。ここがこのレースの最後のエイドです。

何故か自分をじっと見ている人がいたので1枚。彼はこの後下りをものすごいペースで走り去って行きました。
そしてついにここでメディカルの力を借ります。足のマメの治療をしてもらいます。

靴下を脱ぐとこんな感じ。小指が一番ひどかったのですが、これ以上体を曲げると全身が攣りそうだったのでこの角度まで。

隣をみると同じように処置してもらっています。
待っている時間が気になりましたが、これで処置してもらい少しでも楽に走れるのであれば時間は取り返せます。
足の処置をしてもらいましたが、それでも痛みはあまりひきませんでした。ついでに股擦れもみてもりましたが、処置はできずガーゼを置くのみ。でも幾分楽になりました。

その後も制限時間との闘いです。単純な道であれば間に合いますが、岩場やテクニカルな下りが来れば間に合いません。どういう道がまっているのかわからないので後は運との勝負みたいなものです。

するとここで奇跡の出会いがありました。
前方からすごい勢いで走って登ってくる選手がいます。トレランの練習かなと思っていると自分のことをみつけ「○○(僕の名前)俺のこと覚えているか?」と声をかけられました。自分が??になっていると「ほら泊まっていた宿の受付のドミニコ(Domenico)だよ」と説明してくれました。「何してるの」と聞くと「友達がこの先の山小屋でへばっているらしいから応援しにいく」とのこと。「もう完走したの?」ときくと「残念だがCourmayeurでリタイヤした」とのこと。「宿のみんなも○○がまだ走っているの知っていて応援してるんだよ、頑張れ!」と宿に泊まっただけなのに皆が応援していることを知って、なんか元気をもらいました。

その後一緒に写真をとり颯爽と山小屋へ駆け上って行ったドミニコ。かっこよすぎでした。

そんな興奮もつかの間、辛い時間に戻ります。今まで歩いてきた150時間近くの時間を考えると残った数時間はほんの一瞬でしかないはず。でもその数時間が長く感じられます。ゴールが近づいてきて緊張感が緩んでくるのと同時に体の痛みも脳に直接訴えるようになり、我慢すれば早歩きできたのに、今はそれすらもできなくなっています。それでも少しずつでも確実にゴールは近づいてきており、勢いで参加してしまったレースも終わりが近づいてきました。

ついにCogneが見えてきました。と思ったらその手前のLillazという街。
ここからCogneまでの5km。普通にあるいて1時間位の距離。平坦で最後は走りたいと思ったけど全く走れず切ない気持ちで歩いていきます。すると前方から日本人がきます。どうやらラオウさんを探しているようです。とっくに先にいっていると思いそう伝えると、自分に付き添ってゴール付近まで一緒に行ってくださいました。この方は翌週に開催されるトルデジアンに参加されるとのことで少し先にイタリア入りされ友人の応援に来られたとのこと。

そして本当のCogneに戻ってきました。先の日本人の方は結局ラオウさんが自分の後ろにいることが判明し探しに行かれるとのことでここで別れました。

最後の数100m。Cogneの街を歩きます。人が沢山いたのですが、結構選手に注目している人が少なくコースがベビーカーで塞がれて通れなかったりと思いの他感動はしませんでしたが、やっと終わるという安堵感が強くあったのを覚えています。ゴール前には子供たちがいて一緒にゴールしようと行ってくれました。すると不思議なことに今まで歩く事しかできなかった足が最後だけ走れるようになりました。本当に不思議な感覚でした。最後は気持ち的には子供たちと手をつなぎたかったのですがこの手はいつかUTMBをゴールする時、本当の家族とつなぐ為に残しておこうと一人でゴールしました。

でもゴールした瞬間、多くの人に囲まれて祝福を受け、しかも良くわからないですがインタビューまでされて今までにないゴールを味わうことができました。
インタビューに対しては「運営及びボランティア、選手のみんなそして家族にありがとう」と簡単ですが素直な気持ちを言ったと思います。本当にみんなの支えがなければ完歩できませんでした。


完走した人だけが撮れる写真。

時間は153時間30分。
おそらく人生で最長の旅がようやく終わったのでした。

続く。

4K完歩記9 Gressoney Saint Jean-Donnas

2016-09-27 23:49:01 | 4K Alpine VDA
だいぶ記憶があいまいになってきていますが、写真を頼りに記憶を掘り起こしレースを振り返っていきたいと思います。書いていると色んな思いが溢れ長文になってしまいますが、もう少しでこのシリーズも完走しますので、もう少しお付き合いください。

9月8日

遂に6日目。この日を乗り切れば後1日。気力で何とかなるはず。とりあえずこのセクションが最後の砦です。

このセクションはこんな感じ。


距離は56kmと長く、アップダウンが続きますが、なんといっても最後の約2000メートルの下りが鍵。ここで足をやられない事。これに尽きます。

記録を見ると朝0時30分出発しています。ということはこのベースキャンプには5時間滞在していたということになります。食事やら準備やらで1時間30分を使用したとしても3時間強は睡眠がとれたことになりますが、疲れている本人はあっという間の時間でした。しかも今日は長丁場の為早めに起きる予定で目覚ましもちゃんとかけていたのですが、関門ギリギリまでしっかりと寝ています。

ベースキャンプも最早セットがほとんど片付けられており、間違いなく最後尾集団です。見ると昨日お会いしたラオウさんも出発の準備をしています。関門間に合ったようで良かった。一足先に出発します。

また今朝から股擦れができ始めていました。基本的にワセリンを塗り股擦れ防止をしていたのですが、あせや汚れ等でワセリンが効いていないのかもしれません。再度ワセリンを塗りましたが、不安材料です。


最初は平坦な道を数キロ進みます。途中に橋とかもあり晴れていればきれいな景色なんだろうなと想像しながら進みます。そして両脇が石壁で石畳の道があり石壁の向こうは農場か放牧場のような場所が広がるゆるやかな登りが続きます。暗くて良くわかりませんが、きっと未来少年コ○ンでラナが住んでいたハイハーバーのような街並みが広がってるんだろうと想像しながら進んでいきます。

そして遠くからカウベルの音が聞こえてきます。牛もあさから元気だなぁと思っていると・・・

エイドのおっちゃんが頑張って鳴らしてくれていました。朝の2時です。遠くにヘッドライトが見えると選手を勇気づけるために鳴らしているとのこと。ここでも温かいコーヒーとクラッカーを食べて先に進みます。

それにしてもまだ朝の2時。3時間以上寝たとはいえここまでの疲れも蓄積されており、眠くて仕方ありません。朝日が出れば元気にもなるのですがまだまだ先です。それでも目の前にある山を越えていかなくてはいけません。暗闇の中ヘッドライトの明かりだけを頼りに一歩一歩進みますがどうしても眠いです。しかし進みます。でも眠い。でも進まなきゃ。と考えているうちに知らず知らず寝ながら山を登っていました。気が付くとかなり進んでいます。崖でもなんでもない道なので滑落することはないのですが、目を一瞬開けて足のルートを確認し目を閉じながらストックを杖代わりにして寝ながら登り、また一瞬目を開けて自分の場所と次のルートを確認するという作業を無意識に繰り返していたような気がします。
ここに来て新しいスキル「寝ながら山を登る」を習得することに成功。但し極限状態にならないと発動されません。
寝てる間に進めるという少しお得な時間がしばらく続き、


本日最初のcol Lasoneyに到着。
ここから下りです。「寝ながら下る」というスキルはまだ習得していません。というかそのまま地面に転がり落ちてしまうため一生習得できないと思いますが、とにかく下りはひたすら歩くしかできません。そんな下りも約2時間でエイドに到着。


何故か催促されTシャツにサインをして、遂にここで力つきます。

眠くて仕方ありません。時間はありませんが、10分だけ寝ようと椅子に横になります。しばらくするとラオウさんがエイドに到着した気配で目が覚めます。時計を見ると6時15分。30分近く寝ていました。エイドのボランティアの方はのんきに6時30分にエイドは撤収するからそこまで寝てていいよと言いますが、予定より寝てしまい動揺して慌てます。そして少し元気にはなったけどまだまだ眠い状態で出発します。ここからは去年のUTMFと同様、眠いのを抑制するためラオウさんに声をかけお話させていただきながら進むことに。聞くとラオウさんは昨年のトルデジアンに出られており途中で大会が中止となったリベンジで今回4Kに参加されているとのこと。そもそも相当の実力者で腸脛の怪我がなければもっと前を走っている選手。本当は早く走れる実力があるのに、痛みに耐えながらゆっくりとしか進めない葛藤は相当なものだろうと思います。しかもまだ痛み止めは服用していないとのことで本当にタフな選手です。自分もこのレースの苦しいかったことや家族の説得や感謝等本当に色々な話をしながら進みました。そしてこの先にある山小屋のCoda小屋では裏メニューがあるらしく、去年のトルデジアンでは他の選手が食べていた有料メニューが激うまらしく是非食べたいという話がお腹の空いた二人には目標として一番盛り上がったと思います。登りはラオウさんが早く、下りは自分が早い。お互いにおいつき追い越ししながら時には引っ張り合いながら進みます。


ようやく太陽が出てきました。自然と力が湧いてきます。


コルに到着。

もらえる温かい飲み物。もう何度目かわからないですが、いつでもこの1杯は体と心にしみわたります。今回はたき火つき。


こんなコルも越えます、ラオウさんに撮影してもらいます。

でもこのコルは地図には乗っていません。コースマーカーは間違っていないので、コースが若干変更されているようです。

先に進むと

おいしそうな石焼ハム(たべれませんでしたが)


道をふさぐ牛。


再びcol。

少し下った先に小屋があり家の前にいた美女が・・・

おいしいドリンクを差し入れしてくれました。

そしてCoda小屋のすぐ手前まで到着。

ラオウさんの記憶ではこの先にCoda小屋があるそうです。二人で「パスタ!」「ピザ!」「ボロネーゼ!」「贅沢はいわないのでマルガリータで!」とか叫びながらCoda小屋(裏メニュー)をめざしますした。そしてついにCoda小屋に到着!!。期待したその先には・・・

なんと中には入れず、屋外の軒下での簡単なエイドしかありません。
4K切なすぎです。楽しみにしていた有料裏メニューは注文することすらもかないませんでした。

立派なCoda小屋。いつか普通の登山客として訪問してパスタ食べたいな。

補給もそこそこにCoda小屋を出発。時刻は18時過ぎ。

ここから標高2224mから330m迄の約2000mの一気の下り。距離は18km程。関門まではまだ7時間あります。単純計算では時速2.5km強で良いため十分に余裕があると思われます。腸脛を痛めて下りが苦しいラオウさんと別れ再び一人旅となります。

この稜線の中間地点くらいから右方向へ降りていきます。

少し下って上を見上げると結構急な角度を下りてくることがわかります。
半分くらい下ってくるとだいぶ町が近づいてきますが、ここで足を使い切ってしまいました。

石畳の道が増え路面が固くなり足にさらなるダメージを与えていきます。

気分を紛らわすために教会を撮ってみたりします。
かなりおりてきましたが、今度はすこし平坦な下りが続きます。再び夜になり眠気が襲ってきます。まだ時間は多少ありますが、寝過ごさないように選手が通ると起きれるように道のすぐ脇で10分程目を閉じます。眠気は無くなりませんがとりあえず先に進みます。

晴れていたら良いシャッターポイントとなりそうな橋げたを過ぎて街に入ります。
しかし膝が痛いためゆっくりとした歩きになります。緩やかな下りでも膝へ痛みが走ります。今までにも増してトボトボとある事が出来ず心が折れそうになります。
すると町中で子供たちが外で遊んでいます。

時刻は22時30分。イタリアっ子は夜遊びいいのか?と思っていると

エイドまで案内してくれました。
どうやらボランティアの子供のようです。遅くまで起きているのはあまり関心できませんが、応援してくれていることは素直にうれしかく、東洋人の自分にも興味を示してくれて元気がもらえました。
そのあとはすぐにベースキャンプにつくのかと思いきや、街を観光させてもらえます。

街中を通り

たぶん有名であろう橋を渡らせ

たぶんみんなが集まるだろう広場を横切り

0時10分。最終ライフベースのドンナス(Donnas)に到着。関門の50分前です。


結局下り早々で足を使い切ってしまい、最後は徒歩よりも遅いペース。下りではどうしても足先が靴に当たってしまい、つぶしたマメの下から更にマメができており、特に小指はもはやどうしようもない状況。そして股擦れも悪化しており、かぶれは最悪な状況。ベースキャンプでは歩くこともままならず、しばし呆然とします。
シャワーに入る時間もなく、入っても色々と染みるだけだし、何よりも眠くて仕方ありません。体をウェットティッシュで拭いて、湿布を張るだけ張り、明日食べるアルファ米にお湯を入れてもらい、少しでも休もうとベッドへ行きます。

そして最終日を迎えるのでした。

続く。

4K完歩記8 Valtourenenche-Gressoney Saint Jean

2016-09-26 23:17:49 | 4K Alpine VDA
9月7日

4時30分起床。出発の関門時間である5時ギリギリまで寝ます。昨日は疲れてたため、足のケアをせず寝てしまい筋肉がガチガチになってしまいました。ケアするかしないかでこんなに違うのかと驚きながら慌てて湿布をします。

体育館に明かりがつき、選手を起こしています。選手はほとんど残っていません。

ここから天候は快晴のようでクランポンは携帯不要になりました。荷物が幾分軽くなります。何よりかさばらないのが嬉しい。

日本人選手のサポートしていた方もまだいらっしゃり、見送りしてくれました。嬉しいですね。

駐車場を抜け

暗い街を抜けまた山をめざします。

今日のコースはこんな感じです。

1000mUPの山を二つこえるだけ。距離も35kmと一番短いセクション。しかし関門も本日23時迄とコースタイム想定では18時間しかありません。
レースもいよいよ後半戦。そうは言っても時間的貯金がない為その日暮らしの生活ですのでいつ関門アウトとの闘いが続きます。

昨日の鼻血は何とか止まりました。念のためティッシュを詰めます。寝る前にお湯を入れて戻しておいたアルファ米の炊き込みご飯を食べながら歩みを進めます。

改めて考えてみると昨日リタイアしなくて本当に良かった。この様な長い旅ではトラブルが起こらない事はまずありえません。みんな足のマメは勿論のこと、熱を出したり、胃をやられたり、ハンガーノックや、脱水症状とかトラブルを抱えている選手は多いはず。そもそもそれぐらいは乗り越えないと完走出来ないタフなレースです。自分も負けなくて良かったと本当に思いました。
ゴール後鼻血の話を他の選手にすると、「あー鼻血ね。僕も出たよ。ティッシュとか道におちてるよねー。」とか軽い感じで、自分最大のトラブルも歴戦の猛者達には軽い通過儀礼のようで、自分の未熟さを思い知る一幕もありました。

話はもどり、朝からの登りをしばらく進むと4KとTDGのコースマークの旗が同じところにあるのがかなり多くなりました。

ほぼ同じコースを逆に走るため当然と言えば当然なのですが、いろいろ事情はあるにせよなんか複雑な心境です。

しばらく進むとまた新たな日本人選手に出会いました。どうやら仮眠をとろうと場所を探しているようです。こんな寒いところでよく寝るなぁと思いながらも、休むべきと思った時は道端でも休むという重要性を学びました。

実はここのどこかで仮眠をとられています。

その後10分くらい寝たその選手はあっさりと自分に追いつきます。少し話をしましたが、どうやらチョウケイがやられて下りが走れないとのこと。チョウケイ?聞いた事があるような?あっ、腸系ね。胃がやられたのかと思い、胃薬ありますか?というと胃ではなく膝の筋らしいです。ちょうけい・・・長兄ってラオウか?と心の中で思いながら、痛み止めありますか?と聞くと、あるけど最後まで飲まないとの事。この人凄いです。自分ならあっさりロキソニン投入してます。確かに痛み止めを使用しない選手は少なくないですが、でも中盤のこの時点で最後尾のギリギリにいてもまで我慢されるこの精神力。只者ではないなぁ。そういう意味でもラオウだなぁなんて事を思っているとその選手(以下勝手にラオウさんと命名)はあっさりと自分を抜き去り遥か彼方へと行ってしまいました。自分は相変わらずマイペースで歩きます。

朝は雲の多い天気でしたが、ふと振り返ると雲の隙間から

マッターホルンらしき山が見えました。
イタリアの南方から見ると少し四角く見えると、聞いていたので多分合っていると思います。

いつか登りたい山です。でも退職後ですかね。

しばらく行くとcolに到着。

でもこれはダミー。本当のcolは先にあります。

ここではアイベックスのような野生の山羊のようなものがいて、急峻な斜面をいとも簡単に登ってました。

そしてcol de nannazに到着。そして目の前にこの景色が広がります。

トレッカーに聞くとこの雪山はモンテローザとのこと。

colの上では別の山羊が雪山をバックに岩の上に佇んでいます。これは絵になりすぎです。慌ててカメラにおさめます。

この景色には大興奮した。ここまで物凄く辛かったけど、こんなご褒美の景色を見る為に頑張ったんだなぁと心の底から思い、テンションごあがりまくります。体の中のアドレナリンが放出されどうしても走りたくなります。ここでこの大会最大のランをします。


雄大な自然の中最高の景色を見ながら駆けおりる幸せ。トレランやってて良かったと心の底から思った瞬間でした。

少し出っ張った岩場があり、そこから眺めるモンテローザ。最高です。
ここまで頑張った足と一緒に。

だいぶ筋肉ついたかな?(ただむくんでるだけでした)

すれ違いのトレッカーにおねがいしての1枚。

これ、わざとでしょ!

どれだけ感動したかというと思わず奥さんに電話してしまうくらいです。

しかしアドレナリンは出続けることはなく、興奮が冷めてくると、走ってダメージを受けた足が残っていました。でも後悔はありません。また歩きに切り替えてトレッキングスタートです。
下る途中で先ほどのラオウさんはやはり膝が痛いらしくスピードがでず自分が追い抜きます。

その後山を下る中では

山小屋あり

パスタあり

カウベルあり

森林限界までおり

麓にもどり

大きめのエイドChampolucに到着。
時刻は丁度12時。朝から7時間強。

ベッドで休みたい衝動をこらえ、休憩だけにします。

ここでもパスタいただきますが口の中は口内炎だらけでトマトソースがしみます。違うソースも持ってきておりドロップバックの中に入れていましたが、面倒臭くて最後まで食べることはありませんでした。

ここにはPCがあって自分の順位の確認できました。確か325位だったと思います。ですが後ろには10人しかいないとの事。でもここまで300人近くがリタイアしているのでまだ残っているだけでも凄いわ!と言われます。完走率が半分くらいになりそうで、去年のUTMFのように変なヤル気がでてきます。

そうは言っても地道に進むことしか出来ないので、気持ち早歩きで進みます。

天気は最高。

私設エイドもありました。
そして本日二つ目の山に入ります。

いつまでも見ていたいと思う景色。

中腹には町がありました。そしてそこがエイドのRefuge Vieux Crest。

水だけの補給ですが中世の街並みにある雰囲気が良く隣のテラスで昼食を食べていた人たちが応援してくれました。

ちなみに応援の掛け声には色々あります。
よく言われるのがブラボーとブラビーです。当時は勉強不足で違いがわかりませんでしたが、比較級か何かで最高級はブラベストかなぁなんて考えていました。

帰国後調べてみると次のようにつかいわけてるみたいです。
ブラボー Bravo は男性に対して
ブラバー Brava は女性に対して
ブラビー Bravi は複数に対して

そのほかにも「フォルツァ(Forza!)」(頑張れ!)や、「アレアレ(allez allez)」(イケイケ!みたいな感じ)もよく言われます。

後、感動したことと言えば登山者は必ず選手に対して登りも下りも道を譲ってくれます。選手のことを本当にリスペクトしているのだなぁと日本や中国との違いを肌で感じました(ですが選手はほとんど道を譲ってくれないので抜くときは声をかけるか強引に抜くかしかありません)。

そして鼻をいじらないように鼻にティッシュを詰めていたことから、いろんなに人から大丈夫か?と声をかけられました。途中からはあまりにも親切にしてくれるので人とすれ違う時はティッシュを隠し何事もないように通り過ぎるようにしました。


そして冬はスキー場となるような場所を登って行きます。

振り向くと雲に隠れたマッターホルンがうっすらと見えます。

高度を上げていきます。自分が歩いてきた軌跡を見ると、同じように前に広がる果てしない道もまた進めるような気になります。

そして16時10分col Pinterに到着。今日の最高地点です。


景色を楽しみ

オシャレなエイドで

カプチーノを頂きます。これも無料。

そして19時20分

ベースキャンプのOressoney Saint Jeanに到着。

この日は距離が短く、関門時間の3時間30分前に到着。しかし次のセクションは56kmの長丁場。コースタイムは24時間の設定がされていますが、後半の疲れているところでペースがどのようになるかわかりません。少しでも早く出発したいところ。
シャワー浴びるのが面倒臭く、せっかく持ってきたのに使ってなかったウエットティッシュで汚れを落とし、クリームで足をマッサージしながらご飯を食べ、クリームが浸透した後、湿布を張って眠りについたのでした。

続く。

4K完歩記7 Ollomont-Valtourenenche

2016-09-21 20:28:38 | 4K Alpine VDA
9月6日

関門は朝の5時ですが起きたのは3時。途中電話対応ありながらも2時間の睡眠ができました。食堂にいくと・・・

またも何も残っていません。飲料がまばらにあるのみ。他の選手も急いで支度をしている感じです。

本日のコースです。

1200mのアップダウンの後1500m位登りいくつかのColを越えながら徐々に降りていくルート。道中細かい登り降りがあるため、筋肉としては休むことができるかもしれませんがなかなかハードなコース。

自分も重い腰を上げ準備をして出発です。

まだ暗い中、先にヘッドライトの明かりが見えますがわずかです。ほとんどの選手はもっと先にいるのでしょうか。

6時30分頃、Col de Brisonに到着。

なんか雪山が見えます。誰かがQueen Of Mountainのモンブランだと言っていたような。

なんか岩山が見えます。誰かがKing Of Mountainのマッターホルンだと言っていたような。


1000m下っていとOyaceのエイドがあります。街が見えると少しホッとする。

8時15分到着。

このボランティアの女の子が面倒を見てくれ色々と持ってきてくれます。

パスタとスープはもはや定番。ゆっくりと休憩をして出発します。

町中に石窯があるんですね。西洋な感じ。
とここで、スイーパーが近くにいることがわかります。スイーパーとは最後尾にいて道標の旗とかを回収する係りの人。すなわち自分は略最後尾にいることが名実ともに証明されました。わかってはいましたが、現実を突きつけられると結構ショックなものです。
しかし自分の出せる力は限りがあるので、黙々と歩みを進めることしかできません。

雄大な自然にいやされ、

今日もこの地を歩けることに感謝します。

エイドのArp Damonを過ぎ

又も巨大なColに向かいます。

よく見るとナウ○カの巨神兵みたい?

Colの手前で歩んできた道を振り返ります。自分にこんだけ進む力があることに改めて驚きます。

13時15分Col de Vessonazに到着。ここで体調に異変が。お腹が少し痛くなってきました。
峠を越えて下を見ると

山小屋があります。あそこまで頑張ろう。

そして山小屋到着。外に立っていた早速トイレはあるかお兄さんに確認します。すると両手を広げ「ここがトイレさ!」と満面の笑みで答えてくれます。いや「大なんですが・・・」と言っても「気にしなくていいぞ!」満面の笑み。トイレがないことだけはわかりました。というわけで山小屋で少し休憩をして先に進み物陰に隠れて用を足すことに。水に溶けるティッシュを持参していたので自然に与える影響は少ないと思いますが、イタリアンアルプスと一体になることができたのでした。

この自然のどこかと一体になりました。

しかし、ここでティッシュを消費したことが後々の事件に後を引く事になるとはこの時は知る由もなかったのです。

体もすっきりし、再び歩みを続けます。

地図ではあまりアップダウンはないように感じるのですが、実際は結構アップダウンがあります。でも楽しいハイキングが続きます。それにしても良い天気です。


振り返っても良い景色。ずーっと続けばいいのになぁ。


いくつかのColを過ぎ、

先の見えない遥か先をめざします。

トラバース的な道も多くありました。

エイドに着くたびに本当に癒されます。

それにしてもいい天気、そして乾燥しています。自分は走ると鼻が詰まりやすく、鼻をかむのですが、頻度が多く鼻血を出してしまうことがあります。今回も少なからず鼻血を何度か出しており、出血はすぐ止まるのですが鼻をかむと又出血するというような状況が続いていました。

そんな状況下高度を下げていきまます。

そして又鼻をかんだ瞬間、今まで以上の出血です。詰めたティッシュの先から血が滲み出てくるほどのの出血です。あわててティッシュを取り替えます。しかし血はまだまだにじみ出てきます。いこうなれば文字通りの出血大サービス。いつか止まるだろうと垂れ流しながら歩いていきます。ティッシュの先から服やゼッケンに血が滴り落ちながら下って行くと、通りすがりのハイカーや道を譲って抜き去っていく選手が「大丈夫か?」と聞いてきます。当然「OK」と答えますが正直全くOKではありません。血が止まる気配がありません。

血があまりにも滴る為、ティッシュを取り替えようと鼻からティッシュを抜くとデローンとしたものが一緒に出てきます。これは小さい時に血がもうすぐ止まるよの合図と教わった血の塊ですが、通常は大きくても3センチくらいなのですが、今回は10センチ以上の巨大ナメクジみたいなもの(以下デローン)が出てきました。正直焦ります。しかももうすぐ止まるような気配が全くありません。とりあえずティッシュを詰めなおしトボトボ下っていくとまた選手に抜かれます。するとこの選手も「大丈夫か」と聞いてきます。すると大丈夫そうに見えなかったのか水を出して「頭と首にかけろ」と言ってきます。この選手、本人曰く医者だそうで4Drsertsの大会でもmedicalをやっているとのこと。素直に水をかけて頭と首筋を冷やします。すると気持ちが少し楽になりました。

お礼を言うと彼は颯爽と走り去っていきました。正直あんなに足があるのになんでこんな最後尾にいるのか不思議でしたが、なんか運命的なものを感じました。

下りる途中に見えた景色。

丁度上高地の河童橋から見える穂高の景色に似ていると思いました。きれいだなぁと思っていましたが、この後ここを登っていくことになるとはこの時知りませんでした。


その後エイドにたどり着きますが、みんな「大丈夫か」「大丈夫か」とうるさいく聞いてきます。今思えば、この時冷静にゆっくりと休めばよかったのですが、元々時間に余裕がないレース展開をしていてゆっくり休むことができないと思っていたことや、治療に時間が取られたり万一ドクターストップがかかったりするのが嫌だったと思ったということもあり、なぜか余裕だよという顔を写真におさめ早々にエイドを出発します。

余裕じゃなさそうですがね。

しかしその後30分歩いても鼻血は全く止まらず逆に悪化しているような感じです。水を頭にかけたりしますが、なかなか止まりません。水場が近くにありそうもなく水も節約しなくてはいけません。そしてここでようやく血が止まらないのは動いているからなのではと思い横になる事を決意。なんでいままで休まなかったのかが逆に自分でも不思議でしたが、鼻血はいつか止まるものだと思い込んでいた事があると思います。10分程休みます。少し良くなったような気がして再出発をします。ティッシュを詰め替えて再出発をしようとします。この時も10センチのデローンが発生。しかしここで大事件が発生。ティッシュが最後です。先の大自然で使用したのと鼻血の詰め替えで持っていたものが無くなってしまいました。この最後のティッシュは大事に使わなくてはいけません。エイドまで戻ろうかと一瞬思いましたが30分かけて戻るの勇気がなく前に進むことに。しかし最後のティッシュ、願いもむなしく血だらけとなってしまいます。再び血が滴り始めます。かれこれ1時間近く鼻血が出続けています。勇気をだして通りすがりのトレッカーに声をかけます「ティッシュもってませんか?」答えは・・・「NO」。いや持ってるでしょ・・・いや持っているはずだ・・・いや持っているべきだ。でも「NO」と言われれば仕方がありません。抜いていく選手にも「鼻血が出てて・・・ティッシュないですか?」と聞くと「NO」との悲しい返事。レースの時お腹いたくなったらYOUどうするの?って思いながらもこれもまたレース。余分に持っていない自分がいけないのです。仕方なく血を垂れ流しながら進みます。

この時考えていたこと・・・
「このまま血が止まらなかったらどうしよう。エイドに戻って治療してもらった方がいいかな。でもそうしたら間違いなく完走できないな。それにこの血でエイドに戻るの恥ずかしいしな。でも1時間以上も止まらないの人生で初めて、これって病気かも。このまま止まらなかったらどうしよう。『邦人イタリアンアルプスの山岳レースで出血死(鼻血で(笑))』と三面記事を飾ってしまったら家族に申し訳ないな。そうだ生きて帰らなきゃ」
上を見上げると

まだまだ先は長いです。そう思ってリタイアを覚悟します。


その時目の前にある物を発見します。それはペーパーナプキンです。エイドで食べ物とかと一緒においてある手を拭くやつです。きっとだれかがビスケットとか補給した際に使ったやつだと思われます。しかし、これはトラップでもしかしたらそのナプキンは自分と同じく大自然に帰った物が安置されているかもしれません。しかし背に腹は代えられません。勇気を出してペーパーナプキンを拾います。すると・・・トラップはありませんでした。少しビスケットみたいな汚れがありますが、十分使えそうです。
これは天の恵みかもしれません。早速ティッシュを詰め替えます。この時またも10㎝くらいのデローンと遭遇。こんなに血が出て大丈夫なのでしょうか?でも新たな詰め物をゲットした為、もう少し進むことにします。すると小川に遭遇しました。これで水も遠慮なく使えます。頭と首を冷やし顔を洗い体を休めます。ただし血はまだ止まりません。ここで拾ったナプキンも使い果たしてしまいました。これはいよいよやばいと思いエイドに戻ろうかと思いましたが、どうせエイドにいくならこの先のエイドを目指そうと考えを改めます。そしてゆっくり前に進んでいきます。
この時考えていたこと・・・
「まじで新聞に載るかも。なんで無理しちゃったんだろう。デローンって血の塊だよな。どれくらい血が出たんだろう。そういえば目の前が暗くなってきたような。アカギって漫画の鷲巣麻雀では2000CC位の出血で死ぬとか言ってたっけ。じゃぁまだ大丈夫かな・・・でも自分には帰らないといけない場所がある」
次の水場で休んだ時に血がとまらなかったらリタイヤしようと覚悟が決意にかわりました。

しかし水場までの道中、またもペーパーナプキンを発見。今度は先ほどのと比べたら汚れていました。何の汚れであったかは不明でしたが、十分使えます。そしてナプキンを詰め替えたその時、なんとデローンが出てきません!!もしかしたら血が止まったかもしれません。しかし油断は禁物。鼻にショックを与えたり、間違えて鼻をかんでしまったら振り出しに戻ってしまいます。ナプキンを詰め、足より体より鼻に注力しながら歩みを進めます。

そして何とかColのFenetre De Tezanに到着。

自分にとって本レースで一番つらかった時間帯でした。こんなに長く書いたのに鼻血のくだりの写真が景色の写真1枚しかないのはよっぽど余裕がなかった証拠ですね。

下りの一コマ。苦労を乗り越えた旅人の影です。

また日が陰ってきました。

そしてまた牛君が邪魔してます。

その後も鼻に最新の注意を払い、血が止まった後も間違って触らないようにずっと鼻に詰め物をします。

そしてエイドに到着。

自前の味噌汁にお湯を入れてもらいホット一息。こっそりペーパーナプキンを大量に補給します。

暗闇の中

colを越え

4Kとトルデジアンが同じところに刺さっている旗が徐々に増えてきているのを横目に見ながら

最後のエイドを越えて

遂に街に到着。そうベースキャンプに到着です。時刻は23時30分。

地図ではバルトナンシュ(Valtoureneche)に到着。マッターホルンのふもとのチェルビーノに近い街のようです。

そして寝床を確保し

食堂に行くと昼間にあったドクターの選手と再会。鼻血は大丈夫か?と覚えてくれていました。

Tシャツのレースを宣伝してくれと言われたのでとりあえず載せておきます。

食欲はあるようなないような。でもしっかりと食べます。胃はまだやられていません。というか歩いているだけなのでやられる理由もあまりないのですが・・・。


そして日本人で残念ながら途中でリタイアされた選手がこのベースキャンに仲間のサポートに来ていて、自分にも声をかけてくれました。鼻血大丈夫?とかクランポンを持っていかなくて良くなったとか、ちゃんと食べてるとか。自分一人ではなかなか冷静に判断できなくなってきており、人に言われれて気が付くこともいっぱいあって大変助かりました。そして今日初めて日本語で話ができてストレス解消できたのと、応援してもらいTeam Giapponeseの一員になれたみたいでうれしかったです。ありがとう!

そして鼻血が今後出ないことを祈りながら眠ったのでした。

続く。