切手の愉しみ

インターネットの特性を生かして、ネット上に現れた切手等を中心に記録していきます。けしからんと思われる方は訪問しないでね。

ロット

2006-12-14 23:59:59 | オークション
 タイさんが書いていた外国のオークションの日本切手、
富士鹿20銭が$11,000、軍事のシートが$10,000、40枚ブロックが$2,800ですが、売るのは大変でしょうね。軍事のシートを持っている日本のディーラーさんが、丸ごと売りたいけれども売れないと嘆いていましたし・・・・
 シート、ブロックのラージロットでもう一つ出ていた田沢中心?の方は、Scott価$8,599で見積もり$3,000~4,000は、結果は$12,500でしたが、素晴らしいものが出ていたのかな?1円ブロックは単独で2点出ていましたが・・・・
 ところで、今回のオークションは例のチーフ-のカバーが出たオークションですし、チーフ-のカバーを買ったディーラーが今回のロットを買ったのかな?そこそこに日本切手の知識をお持ちのようですし。多分eBayに出てくるか、もしくは香港のオークションにばらして出てくるか、どちらかでしょう。

補足:今回の田沢のロットは、ばらされてすでにeBayに出ているようです。チーフ-のカバーを買ったディーラーではありませんでした。

  
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宛名

2006-09-20 00:00:07 | オークション
フランスのオークション誌を見ていたら、日本宛に気になるものがあった。
一つは郵趣研究64号に掲載されている“伊東祐穀”宛、もう1通はメリアン小判のメリアン宛か・・・
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旧中国

2006-08-07 12:45:57 | オークション
スタンプショウでケン・ベーカーさんと中国切手のことを話したが、話題になったのは欧米のオークションに結構中国の偽物が出品されているということ。中国本土から直接出品しているケースが多いので、当該国で昔収集されたうぶな品物と思ってはいけないという話。
この品物もヨーロッパのオークションに出品されていた偽物。
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TOUVA

2006-07-25 00:00:04 | オークション
中国とロシアの地理的にも郵趣的にも境界領域の分野。
旧韓国のカバーと同じオークションに、このたぐいのカバーが3通出品されていたが、本物なら珍品。それぞれ結構な値段で落札されていたが、TOUVA発のカバーでないことは確実。このあたりは、難しい・・・
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旧韓国

2006-07-25 00:00:03 | オークション
終わったばかりの大手のオークションに出品されていたもの。
本当の意味でのコンビネーションならすごいのですが、ホルカムの鑑定がつぃていても当然のごとく不落札。
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タカハシ

2006-07-17 12:00:11 | オークション
 昨日は、タカハシのオークションに、久し振りに出席。
 2時開始のオークションに遅れていったら、すでに300番台、淡々と進んでいって、3時には清算が終了していました。JPSの時といい、最近のオークションは終了が早過ぎる感があるが、本当はもっと時間がかかった方が郵趣界にはいいのでしょうね。
 競りの一番最後、以前、Yahooに出ていて不落札だった政府印刷10銭を貼ったカバー、無事に最低値の120万円でメール落札。どんな経緯でタカハシに出たものでしょうか?
他に目立ったところでは、房1銭ペア貼り新潟・寺嶋局の不統一印のカバーがフロアで70万円。私の欲しかったものは、他に欲しい人もなく、最低値落札。好みがおかしいのかな?

 逓信総合博物館では「NIPPONの美」展を開催中(今日まで)、画家の原画を拝見できたのは良かった。藤田嗣治の原画は、先日の藤田展での全体的な傾向とちょっとタッチが違う作品。他の原画も、実際販売された記念絵葉書と受ける印象が違うため、だいぶ参考になりました。

 切手の博物館のワン・フレーム展も参観、展示内容に広がりがあって面白かった。以前のようにCDにするのもいいけれど、コピーで作品集とか作成してもらえるとありがたいのですが・・・個人的希望です。
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古書界

2006-07-13 07:00:05 | オークション
 J-stamp20氏が話題に出していた明治古典会、下見に行こうと思っていたが、結局行けなかった。カバーのロットが2点出ていたが、結果はどうだったのかな?写真で見る限りでは、以前より質が落ちる感じ。
 ところで、古書業界の業者間の市は定期的に開かれているが、古書に限らずいろいろ出品されるようで、ある古書店主から聞いた話では、名の知れた方のコレクションが出たが、最近、かなりの値段で落札されたとのこと・・・
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クリストフ

2006-06-30 00:00:00 | オークション
タイさんの書かれたドイツのオークション、終わったばかりだが、
興味を持っていた、旧小判12銭を貼った封皮は不落札、珍しいのですが、見積もりEUR9,000が高過ぎたのか・・・
菊と旧韓国切手を貼ったカバー、無効表示があって面白いとは思ったが、これも不落札。見積もりEUR800はやはり高過ぎか。
菊切手を貼った朝鮮使用の葉書は2点ともかなりの落札値に、買えたのかな???
穿孔葉書は予想以上の高値。
ちなみに私の勝率は2割を切ってしまい下支えにもならず残念・・・



  
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沿革志

2006-05-27 12:00:00 | オークション
 8月のジャパンに出品される立太子礼記念沿革志のカラーコピー集が、月末発送のところ注文後すぐに到着、あわせて添付されていたロットのリストを見ると、朝鮮字入りのページの最低値は200万円!集める時間の値段が含まれているのでしょうね。
 さあ、何人入札するのだろう???競りも一括入札併用という日本ではあまりなじみのない方法が取られるとのこと・・・

 ところで、先日のドイツの沿革志、結果を見るとアメリカ在住の日本人が7,050ユーロで落札したようだが、本当のところはどうなのだろう?ジャパンの下見の会場で聞かれたがよくわからない・・・

追記:皇室関係の沿革志は、どうも立太子関係だけではなくほかにもあるらしい。そして、もちろん朝鮮字入りが含まれているとのことだが、それに貼られているのも当然のごとく12.5とのこと。よくわからないが・・・リーチをかけているのは他にも何人か・・・

  
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JPSオークション

2006-05-03 18:00:01 | オークション
 先日のスタンプショウ会場で行われたJPSオークションは、興味あるものがいくつかあったので出席したいとは思ったが、中国郵便史研究の原稿書きが当日お昼過ぎまでかかったので、結局出席できず。原稿書きの影響で、ブログ更新の余裕もありませんでしたが・・・
 結構値が飛んだものもあったようだが、気になっていた出品物の中に、文献として、製本された中国郵便史研究の出品が2点あり、いくらになるのかなと思っていたら、最低値落札でした。安いのか高いのか・・・???若干記事を書いている身としては非常に気になるところ。

 ところで、遅れていったスタンプショウ会場では、あるブースで手招きされて行って見ると、天津差出の連合葉書、中継印に寛城子の欧文印、値段も30万円と立派なので手が出ず。数年前のケン・ベーカーのオークションでは、手数料込みで26万円ぐらいだったが・・・
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ガリ版刷り1

2006-04-25 07:30:00 | オークション
大当たりですね。
HPにカラー画像が掲載されているのは気が付きませんでしたが・・・
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Corinphila

2006-04-09 00:00:00 | オークション
「オークションを語りませんか?」を見たら、すでにCorinphilaの結果がアップされているとのことで、早速見たが、弱気の入札だったのですべて駄目。
それにしてもU小判3種貼りの小判切手つき封筒の、Sfr450→6,500はなんだろう?入れたけど当然のごとくかすりもしなかった・・・
震災切手の横浜消し外郵カバーは、データとして面白いと思ったが、Sfr350→600は妥当なところ?
カール・ルイスが差し出したらしいTin Can Mailもほどほどな値段で落ちてましたね・・・





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クリッパー便 ふたたび

2006-03-27 00:00:00 | オークション
 第2次世界大戦関係の郵便史研究で著名な荻原氏から、1941年のクリッパー便に関し、いろいろとご教示をいただきました。
 それでわかったことは、
・マニラ-香港間のシャトル便は1941年9月22日開始
・マニラ-香港間のシャトル便は、原則週2便ではあるが、実際のフライトは週1便のこともあれば週3便飛んでいることもある。
・マニラ-香港間のシャトル便が開始されても、11月初めまで、香港-サンフランシスコ間のクリッパー便が飛んでいる。
・11月にバタビア-マニラ間をKNILM臨時便が飛んでいるので、この便で香港からオランダ領東インドへ運ばれた航空便があるかもしれない。
・マニラ-香港間のシャトル便の12月の運行は次のとおり
 マニラ12月3日発、同日香港着、12月4日香港発、同日マニラ着、マニラ12月7日発、同日香港着

 以前取り上げたカバーをもう一度掲載してみます。
(上のカバー)香港ビクトリア局1941年12月1日受付でカリフォルニア宛航空便、12月8日の開戦時香港にあった郵便物で香港局の倉庫に隠された郵袋7袋分に入れられて、戦後逓送されたもの。
(下のカバー)フィリッピン・Benguet1941年12月2日差出、バギオ、マニラ中継、ラングーン経由で昆明で終戦まで留置、戦後香港着、誤って香港で4年間留置印が押されたとカタログに記載。

 具体的なシャトル便の運行状況がわかったので、上のカバーから次のようなケースが考えられる。
・12月4日の香港発便には、郵袋を搭載しなかった(何故か?)。
または
・12月4日の香港発便には、アメリカ方面行き航空便は、マニラでの乗り継ぎ便がないため、フィリッピン行き航空便しか搭載しなかった。その場合、12月8日香港発(予定)便ではなく、さらに次の便へアメリカ方面行き航空便を搭載するのが、Philippin Clipperの運行スケジュールから適当。
または
・手違いでこのカバーは、12月4日の香港発便に搭載できなかった(12月3日香港ビクトリア局引き受けカナダ宛航空便で、そのまま香港に留置されたものを確認しているので、考えにくいか)。

 また、下のカバーですが、カタログの説明とは異なりますが、
12月7日のマニラ発便に搭載されたが、12月8日の開戦で宛先に配達できず、そのまま4年間留置され、戦争終了後、(宛先が消されていることから)昆明経由の航空便で返送された可能性はないだろうか?

12月の香港局受付のデータを集積しているが、なかなか難しい。


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香港発クリッパー便はいつまで飛んだか?

2006-03-12 21:00:00 | オークション
 ①のカバーは、先月の香港John Bullのオークションに出品されたカバーで、1941年12月1日上海第9支局受付、香港でエアー・トランジット印押し、裏面にはニューヨーク1943年4月23日の着印有りとカタログの説明にはある。見積もりがHK$3,000-4,000のところ、結果はHK$10,500という高値になった。このカバーの郵便料金及び果たして香港発のクリッパー便に搭載されたかどうかが中国占領地郵便ブログで話題になった。「世界航空年表」によれば、香港発クリッパー便の最終は1941年11月30日発で、この便に搭載されたカバーは複数見ている。ところで、1941年12月に入っても、香港発マニラ行きのクリッパー便があったのではないかとの疑問が出されたので、ここ数年の香港に関する著名なセールからこの時期のデータを集めて見た。
 ②のカバーは、香港ビクトリア局1941年12月1日受付でカリフォルニア宛航空便、12月8日の開戦時香港にあった郵便物で香港局の倉庫に隠された郵袋7袋分に入れられて、戦後逓送されたことが表示からわかる。
 ③のカバーは、コロンボ1941年11月15日差出ニューヨーク宛航空便、ラングーンから重慶を経て香港12月2日着(裏面、カタログの記載による)、そのまま②のカバーと同じ運命をたどっている。裏面に貼ってある料金は西回りルートの料金のような気がするがよくわからない。航空表示が多分香港で抹消されているが、これはいつ押されたものか(戦後もこのタイプは使用されている)。
 ④のカバーは、ラングーン1941年11月26日差出ワシントン宛航空便、ラングーンから重慶を経て香港12月2日着(裏面、カタログの記載による)、そのまま②のカバーと同じ運命をたどっている。これも料金がよくわからないが、同じ料金のものを他にも見ている。③のカバーと同様、航空表示が多分香港で抹消されている。
 この後、12月8日までの香港局の消印でそのまま香港留置のカバーがいろいろデータとして残されている。
 いろいろなデータを見る限りでは、香港切手を貼った航空便(12月1日以降差出)でさえもそのまま香港に留め置かれている状況では、上海12月1日受付のカバーが香港でクリッパー便に搭載されるのは考えにくいと思うが、どんなものであろうか?私は、香港までは送られたが、開戦を迎えてしまい、上海に送り返されて、何らかのルートで米国に送られたのではないかと推測している。私の手元に上海本局12月1日中継日付印が押された米国宛航空便があるが、そのカバーも①のカバーと同じ頃ニューヨーク着である。①のカバーに、西海岸の中継印が見られないため、西廻りで送られたものか。経験的には、1941年11月下旬上海差出の米国宛航空便では、太平洋横断クリッパー便には間に合っていない。
 なお、①のカバーの受付日は12月1日であるが、書留なので、裏面に上海本局の差立日付印が押されている可能性がある。その日付がわかればある程度はっきりするのだろう。あったことの証明よりは、なかったことの証明の方が難しい。
 ところで、参考までに香港留置に関連して次のようなデータもある。
 ⑤のカバーは、フィリッピン・Benguet1941年12月2日差出、バギオ、マニラ中継、ラングーン経由で昆明で終戦まで留置、戦後香港着、誤って香港で4年間留置印が押されたとカタログには記載。香港の着印(裏面)は1945年のようだ。
 ⑥のカバーは、オランダ領インドネシアのSOERABAJA1941年11月28日差出、ラングーン経由で香港に到着したが、そのまま②のカバーと同じ運命。
 ⑦のカバーは、重慶から1941年12月6日香港に送られ、香港からクリッパー便で米国宛の予定であったが、日本占領により4年間香港に留置、戦後一旦重慶へ戻された後、1946年1月6日ワシントン着。
 ⑧のカバーは、広東1941年11月差出、香港でしばらく留置後、重慶に送られ付箋が貼られた後、再度広東重慶間往復後ウルムチ経由でニューヨーク1943年8月2日着。
⑨のカバーは、不思議なカバー、山東加刷切手を貼って煙台から上海宛に送られたが、香港で4年間留置、1945年12月2日上海中継で差出人に戻されたとカタログの説明にはある。①のカバーの落札値より、かなり高い値で落札された。
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オークション3

2006-03-12 16:00:01 | オークション
ジャパンでは神奈川検査済は無入札でしたか・・・スイスのオークションでは高かったのですが、もう15年も前のRadatz Japan collectionセールの話。
ところで、画像のような手彫カバーがスイスの4月のオークションで出ることになっているが、他にもいろいろと出るのかな?
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