op's weblog

文字通りのログ。経験したことや考えたことの断片のアーカイブ。

レビュー:ベイビーステップ (20)

2012年03月19日 21時57分16秒 | Weblog
インディアンウェルズが終わって、イズナーも本格的に開花した感じだけど、まあ、あの体でグランドスラムの最長試合勝った時点で時代が変わったと思った人も少なくなかっただろうね。


さて、レビューと題しておきながら、探って読み取る(誤読する?)部分はあまりないかな、という巻。ちょっと「根性論」がらみで思い出したエピソードを一つ紹介。

…例えば、ザァーザァー降りのひどい条件の下で1セット

…さんさんと日が照りつける中でボリスに一度もコートチェンジをさせなかったこともある

…ほとんどどうしようもないようなガットの張り方をした使い古しのラケットを渡し、彼はそれを使って私と1セット対戦しなければならないこともあった。

…同じ年ごろの選手たちと試合をするとき、私はよく審判になって、わざとミスジャッジをしてボリスに不利になる判定をした。

…私とボリスは、そのようなストレス状況を作り、繰り返し練習した。われわれは4-4からの試合を何セットも戦ったり、タイブレークを10回続けさせたりした。私は励ましの意味で勝者には賞品を出した。

『ボリス・ベッカーのテニス』ボリス・ブレスクヴァール 著 日本文化出版 刊 135ページより

合理主義の権化のような国から出てきた傲慢なサイボーグといった印象もあった選手もこのような“理不尽な”訓練を経てきたようだ。ただし、学年による序列をベースとする「訓練」についての記述は見あたらなかったが。

また、ベッカーについては、フィジカルに加え闘争心とデターミネーションの強さが元々突出していた、生来のエリートスポーツマンであった点もまた、付け加えるべきかも知れない。やるべきことを自分から探してきちんとこなすという部分はこの漫画の主人公と似ているかな(だから早くに開花し、その後すぐに消えてしまうこともなかったのだろう。)。いずれにせよ本人が「やらされている」という状態ではこの手の練習の効果も低いだろう。


それにしても本当に波乱と無縁の漫画だよね。こういう漫画もあってもいいとは思うけど、これって今時は普通なの?
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120318テニスメモ

2012年03月18日 20時34分35秒 | Weblog
雨が上がり、風はなくそれほど寒くはないが、陽は差さない午前中プレイ。またハードコートでのゲーム。


ボールが重い日だった。これはXT8だからとか、湿気があったからという類の話ではなくて、技術的な問題。

前に福井烈氏が雑誌に書いていたが、ボールが重く感じるのは要は振り遅れているからというのが良くわかった。飛んでくるスピードはそれほどでもなくとも、厚い当たりでしっかりトップスピンをかけてくるボールは、ハードコートではなおさら跳ねてからスピードが落ちる割合が少なくなる。で、微妙にタイミングがズレて食い込まれるわけだが、何にも考えないで相手をしてしまうと、肩から先に力を込めて押し返す感じになってしまう。すると打ち返すスピードとコントロールは落ち、さらに相手のフットワークが結構良かったりすると無理に主導権を取り返そうとしてまた力が入る悪循環に陥る。

終わってから頭を冷やして考えてみれば、相手の球を重く感じるときほど腕の力を抜いて振らないといけない。ヒットするタイミングの修正と同時に、必要なスピードと回転の両方を得るにはやはりヘッドスピードを上げなくてはいけないからだ。しかもただでさえ腕を伸ばして打つタイプなのに、力を入れると腕が縮みがちになってしまった。

サービスをするときもやはり球が重かった。当たった瞬間気持ちよくないし、ボールのスピードや歪み方、もちろんコントロールも明らかに不足している。打つポイントが少し後ろにずれているという以外に、どうもヘッドスピードをきちんと上げることができていない。脱力が不十分なのだろうなという気はするが、いずれにせよまだ“練習では結構できる”というレベルなのだろう。むりやり打ったケースも多かったので、肩や背中を痛めなかっただけましだった。どこが問題か判断するためのチェックポイントの更新と、修正の方法を確立する必要がある。
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120315テニスメモ

2012年03月15日 20時31分05秒 | Weblog
一昨日同様日は出ているものの風があり気温は低め。ただ、より寒くなったせいか花粉はそれほどでもなく、目が少しかゆくなったぐらい。


重さは若干違うが、ストリング仕様を揃えている2本のうち一本にドライタイプのオーバーグリップをつけて試した。ドライタイプとは言っても、このヨネックス製のモデルはウェットタイプの表面だけサラサラ加工をしたような感じで厚みもある。トーナ製より持ちがいいという評価が多かったので取り寄せたのだが、むかーしの硬い繊維でつくった包帯のようなシロモノを想像していたので、実質グリップサイズ「5」を越えた状態で使えるかな?とちょっと心配していた。結論から言うと良い結果で、これについては後述。

今週は先週顕著になった問題への対処、つまりヒットした後の動き出しを早くすることで、守備範囲の拡大とショットの精度を向上(フットワークに余裕ができればミスも減る)させる練習がメイン(つまりアジリティの強化)。ポイントはまず軸を最後までブラさないこと。これはヒットした後“外側の”足に体重をかけすぎないで比較的コンパクト(足幅をあまり広げすぎずに)に止まることとセット。もちろんサーフェイスの状況によって微妙に変わるし、やっと届くような球を打つときは逆に打ったらそのまま一度駆け抜けてしまうイメージでいいらしい(ショットの精度の確保以外にも、体勢を立て直す時間はその方が短くできるようだ)。

打って止まったらすぐサイドステップでセンター方向へ移動するわけだが、僕は止まる形と移動方法の両方を間違って覚えていたようだ。止まったとき(これは一瞬の停止)、足の親指側への加重を重視しすぎて内股気味になっていた。これは外側に体重をかけると捻挫につながりやすいという理由もあるのだが、内股になると移動の際下半身の力が真っ直ぐ地面に伝わらなくなってしまう。そしてサイドステップに関しては、もっと外側の(移動方向と反対の)足の力を使った動きをする方がいいらしい。ここらへんは、youtubeでもフェデラーあたりのフットワークを解説した動画が見つかるので、後でじっくり鑑賞しよう。

そんな感じで息つくヒマないタイミングで振り回され続け、(普段の運動不足の結果なのだが)かなりきつい週だった。もちろん、脳の特性上、こうしないと動きを深いレベルに定着させられないらしいことはわかっているのだが。


サービスに関しては、今日は一昨日よりまあまあ良かった。最近まではこれほど膝のバネを積極的に使ったスタイルではとても打てなかったのだが、足首→ひざ→腰→背中→肩という連鎖がスムーズに行くようになってきた。かえって膝を使わないとミスヒットの確率が上がる感じだ。そして、オーバーグリップを巻くと手首の動きはやや制限される感じだが、ミスヒットした時の衝撃が小さくなるし、スイングのブレも小さくなる。さらに、オーバーグリップつきで打ってから、レザーのみの方で打つと、滑りの心配からくる無駄な力みが取れているので、またうまくいった。ちなみに今回試したヨネックスのドライタイプは、厚みはそれなりにあるが、やや硬めでフワフワしていないので使いやすかった。


そういえば最近スポーツの動きを物理学的に分析した本を読んだのだが、そのなかで褒められていた、野球のダルビッシュ氏の投球フォームの特徴が、サンプラスのサービスと似ていることに気がついた。つまり、テイクバックで一度肩から先の力を充分抜いてから加速を始める部分。そこから最後の瞬間、つまりヒットの瞬間手首も使ってラケットヘッドをグンと加速させるところはバレーボールのスパイクのプロセスともよく似ている。但しテニスだけは打ちたいボールの軌道が違うので、加速のタイミングは若干早くなる(フラットサービスと言っても、まともに打ち下ろすのではなくやや上へ抜く感じにして少し縦の回転を入れる必要がある。ネット越して無回転で入るのは、カルロビッチかサービスの速度が遅い人である。)。特に手首と握りを極力脱力してトロフィーポジション→インパクトの直前までもってくるのは、多分ボリス・ベッカー以外のビッグサーバーに共通する特徴だろう。まあ、ベッカーの場合はラケットが団扇に見えるような体格だったのでべっかくということか?


ヒモの通し方を変えたシューズ、相変わらず調子がいい。というか、何だかだんだん逆に締まってゆく感じさえする(笑)
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死にゆく「見る」という行為。 レビュー:『ポエトリー アグネスの詩』

2012年03月09日 13時34分00秒 | Weblog
●違う場所で芽吹いた二つの種

昨年強烈な印象を残した『ビー・デビル』と同じ事件から着想を得ていながら、『ビー・デビル』とは対照的なスタイル、ストーリー、そして違う視点を持った、やはりすぐれた、そして非常に興味深い作品だった。


舞台やテーマについては、『ビー・デビル』は永い歴史の中で変わらぬ見えない「システム」によってその都度強いられてきた死について、離れ島という物理的に閉じられた環境を使って描いている。一方、この『ポエトリー アグネスの詩』では対照的に街中のいわば(やはり物理的に)開いた環境*を舞台に、時間の流れにしたがって弱って死んでゆく様々なものについて描いている。

*前者では若い主人公が身動き取れない状況であるのに対し、後者では老女が交通機関で頻繁に移動している。



●老いにより言葉を失くしてゆく老女と言葉への信頼を失くしてゆく社会

老女は失いつつあるものを意識したためだろうか、せめてその痕跡を残したいという気持ちになったためだろうか、いや、まずその華やかな外出着同様辛い現実から逃避する術としてか、詩を学ぼうと思い立つ。教室では「見ること」の大切さが説かれるが、見ることより見ないこと、言葉で表現できることより表現すべきでないことを意識しないとやっていけない生活の中で、見る対象からのフィードバック、見る対象を鏡にして映る自らの心が語ることは、無かごく断片的なものに留まってしまう。

そんな時、愛する孫が犯したおぞましい罪とそれをなかったことにしようとする社会を知ってしまう。主人公は「見ざるを得ない」状況に追い込まれること、そして図らずも詩を学んでゆくことにより、「見て」こなかった自らの罪と、そこから、自らにとって最も大切な何か、それゆえに「自分にとって一番美しい」もの、それゆえに最も表現すべきだったこと、そうすることによって最も周囲と共有すべきだったものを、掘り起こすことになる。


主人公は「見させられた」時、それを容易に共有することができない「世の中」に自分がいることに気づく。いつのまにか、もはやガラだけ残して完全に空洞化してしまっている、「言葉」を始めとする他者との認識共有のための道具たちが運んでいるのは“外見”と全く別のものであることが常態化し、皆それを、つまりは破綻を知っている、それに絶望しているため「実は別のところを“みている”」ことが暗黙の了解になってきたことを自覚する。もちろんそもそもその破綻は、「見ること」が「見ないこと」に負ける歴史によって起こっているのだが。


主人公は自らの罪を自覚し、様々な罪を犯すことで贖罪する。そして被害者と同化してゆく自らの心を最初で最後の詩にして遺す。



既に高い評価を得ているイ・チャンドン監督の作品、あまりカタルシスを期待できない分「キツイ」話であることが多いため、観ることはできるのだが正直今まで避けてきてしまった。この作品もハードな話なのだが、とにかく見せ方では盛り上がりをつくらない(映画にとってリアルとは何ぞや?と考えてしまうレベルかも。)。だからその分観る側に「補完」させる、つまり観る人によっては能動的に深く感じたり考えることを要求させるつくりになっている。そういう意味では、結構サディスティックな作家と言えるかもしれない。

とはいえ、例によって(もはや例によって)、出演者たちの演技は皆素晴らしい。主演のユン・ジョンヒ氏が色々な映画祭で主演女優賞を総なめにしたのも全く不思議ではないと思う。この60半ば過ぎの、俳優としてはとっくに引退同然だった昔のスターがここまでできる環境とは一体何なのだろう。『韓国映画 この容赦なき人生 ~骨太コリアンムービー熱狂読本~』の『ビー・デビル』のページで、園子温氏も日本の俳優とのコミットメントの差を嘆いていたが、もはやフィクション映画の新作については韓国製しか金払って観る気がしないというのが今の正直な気持ちである。まあ、園氏も言うように、だんだん韓国映画界も(悪い意味で)成熟してゆくのだろう。そしてそれがもしかしたらパンフレットでイ監督自身が言っている、「映画が死にいく今」ということなのかも知れないが。改めて言うまでもないが、「映画が死にいく」こと、それでも映画を撮る意味の問いかけを、この作品では詩に重ねている。
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120308テニスメモ

2012年03月08日 18時11分52秒 | Weblog
気温は下がったがまだ最近にしては暖かかった。というか湿度があるのであまりきつく感じない。1時間10分でドリンク500ml。


一度引退させた初代X-アーマーのヒモのパターンを変えてつかってみたが、大成功。まだまだイケル。特にX-アーマーは木綿の平たいヒモなので、元々緩みにくい。打っているうちに足の方が若干ふくれるのできつくて痛くなったくらいだ。2年前のモデルだが、オムニ/クレーで(4ヶ月ちょっと?)しか使っていないので靴底の劣化も感じられない。


プレーの方はと言うと、フォアハンドストロークのフィニッシュを低め(高めの球を打つときは除く)に修正、ワイパースイングでヘッドを走らせる意識を強めたら大分良くなった。バックハンドは最近つなぐ(フォアで攻めるパターンをつくるための)練習が多いので、何だか球威が落ちてきた。スパッと振りぬく感覚とフェイスに当てるポイントの使い分けをもっとしっかり意識しないと、本当に攻められなくなってしまいそうだ。

ストロークもそうなのだが、ボレーで踏み込みとそれに合わせてしっかり腰を落とす作業が不十分。その分腕が動きすぎてミスが出てしまった。

サービスは悪くない。トスの安定性と打ち急ぎは依然課題だが、コンパクトなフォームと充分な脱力が維持できればかなりアテにできる。あとは変にいじって肩や背中を痛めないように気をつけること。


攻めは練習(パターン練習)より実戦の方が楽なくらいだが、レシーブとクロスコートでバックを攻められたときの“堅牢さ”を強化したいところ。
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