昨年後半には個人の外面も内面もレームダックになっていた人が首相を続けている国で大災害が起きるとどういうことになるかを日本は今経験しているのですが、もっともその前とその前は更に質の悪い神輿とその担ぎ手達が重大な出来事がある度「日本」の崩壊を様々な形で加速してくれたわけで。それを考えれば事態はまだリニアに進行していると言えるのかもしれません。沢山の人達が「この先行ったら崖から落ちるからやめてくれ!」と叫ぶ時間があるのですから。お腹が痛いので今日はこれくらいで…
「認知世界の物質世界への侵食・融合・重ね合わせを描いた作品」といえば、アニメの『Re:CREATORS』もそうでした。アメコミのフランチャイズ映画みたいにキャラクターが多いのですが、良質な正統派のSF作品です。しっかり描くべきことを描いて、ダラダラ続かない、しっかり終わったところもいい。音楽も澤野弘之氏が「ぴったりはまった」仕事をしています。オタクの痛い所を突いたストーリーなので、作品の出来など関係ない所で嫌われて(憎まれて?)、あのパッケージから当然期待された盛り上がりは得られなかったようですが。まあ近年アニメで大きな話題になっているのは、僕が「なぐさめ系」と呼んでいる、(建前はどうあれ)パターン化されて、自意識をささやかに満足させるか、怨念を内に向かって爆発させるようなものばかりのようなので、アニメや(より動的なコンテンツである)ゲームの主流はどんどん生成AI製のものに取って代わられてゆくのでしょうね。
元旦は朝から飲み食いで夕方には大地震があって、もう「体調的に」、PCに向かってもさすがに仕事に気持ちが向かなかった…
さて、最近は現実世界の動きがダイナミック過ぎて、創作世界分野のコンテンツを楽しむときはかなり保守的になってしまっています。で、数年前にアニメ化された『Pet』、の原作漫画をやっと取り寄せて寝る前に楽しんでいました。原作は東洋マフィアの世界を舞台にしたサイキックスリラーとでも言いましょうか、これを少女漫画?でみかける柔らかいタッチで描いた紛れもない傑作なのですが、アニメ版では絵を劇画風に寄せて非常に上手に仕上げたこれまた傑作です。原作よりもよりリアルに見えてしまうので、とっつきにくいと感じる人もいるかと思いますが、OP・EDはじめ音楽、編集のし方もうまくて、特に最終回は原作を知らなかった僕でも感心するレベルでした。
で、この作品では、いわば無意識レベルで彼我の境界が自然に確立できない(放っておくと常に混乱状態になる)問題を抱えるが、それゆえに人間(/生き物)の自我を形作っている記憶を操作できてしまう「潰し屋」と呼ばれる人たちが主人公です。これ、突飛なようですが、個人的には色々成程と思える設定で、今まで自分や他人が苦しんだり傷ついていた色々な出来事が腑に落ちた感じがして、期せずして癒しの様なものが得られた気がしました。もちろん僕は超常現象的な経験はありませんが、経験的に現実感を感じたわけです。
この様な認知世界?の物質世界への侵食・融合・重ね合わせを描いた作品としては、僕は筒井康隆の『だばだば杉』を思い出しましたが、物理学の方では、宇宙とはなんぞや、という話から、「情報」の扱いについてもとても興味深い研究が進んでいるようです。そして僕はAIの研究も、「使える」AGIを期待するより、認知機能から出発して、人間の「内面」の成り立ちと可能性に関する豊かな収穫を期待するし予想します。
さて、最近は現実世界の動きがダイナミック過ぎて、創作世界分野のコンテンツを楽しむときはかなり保守的になってしまっています。で、数年前にアニメ化された『Pet』、の原作漫画をやっと取り寄せて寝る前に楽しんでいました。原作は東洋マフィアの世界を舞台にしたサイキックスリラーとでも言いましょうか、これを少女漫画?でみかける柔らかいタッチで描いた紛れもない傑作なのですが、アニメ版では絵を劇画風に寄せて非常に上手に仕上げたこれまた傑作です。原作よりもよりリアルに見えてしまうので、とっつきにくいと感じる人もいるかと思いますが、OP・EDはじめ音楽、編集のし方もうまくて、特に最終回は原作を知らなかった僕でも感心するレベルでした。
で、この作品では、いわば無意識レベルで彼我の境界が自然に確立できない(放っておくと常に混乱状態になる)問題を抱えるが、それゆえに人間(/生き物)の自我を形作っている記憶を操作できてしまう「潰し屋」と呼ばれる人たちが主人公です。これ、突飛なようですが、個人的には色々成程と思える設定で、今まで自分や他人が苦しんだり傷ついていた色々な出来事が腑に落ちた感じがして、期せずして癒しの様なものが得られた気がしました。もちろん僕は超常現象的な経験はありませんが、経験的に現実感を感じたわけです。
この様な認知世界?の物質世界への侵食・融合・重ね合わせを描いた作品としては、僕は筒井康隆の『だばだば杉』を思い出しましたが、物理学の方では、宇宙とはなんぞや、という話から、「情報」の扱いについてもとても興味深い研究が進んでいるようです。そして僕はAIの研究も、「使える」AGIを期待するより、認知機能から出発して、人間の「内面」の成り立ちと可能性に関する豊かな収穫を期待するし予想します。
21世紀に入ってから、今回の #イスラエル による #ガザ侵攻 時と同じような「動き」が所謂西側諸国で起こった出来事がある。それは「#ウォールストリートを占拠せよ(#occupywallstreet)」運動だ。あの時どんな連中がどんな反応をし、何が起こったか。つまり同じプレイヤー、同じ利害、同じ「問題」。
https://twitter.com/maxthaler/status/1739474569956864257
https://twitter.com/maxthaler/status/1739474569956864257
導入を書いてから半年空いてしまいましたが…
Open AIのCEOの追放&復帰事件の原因は、結局AI開発に関してイケイケ(効果的加速主義(e/acc))のアルトマンに対して幹部達が危険を覚えたから、というのがやはり真相らしいとBusiness Insiderなどでポロポロ報じられ始めました。まあこうなると研究開発担当が殆どの一般社員は、e/accのカリスマであるアルトマン側につくわけで、「アルトマンがマイクロソフトに行くならみんなついてきます!」と言い出し、元の鞘に戻ったところで良識派(効果的利他主義(Effective Altruism:EA))の幹部を追い出して決着、となったようです。
さて、連日のように目を見張るようなAI関連の研究成果がアナウンスされていますが、(1)いかにAIを人間の脳の機能(/能力)に近づけるか、という目標以外に、(2)人間(の脳)はいかにして人間(の脳)たりえているのか、の解明も「必然的に」進むことになり、余計に注目を集めています。
AIの能力向上方法については大雑把に言って、(1)よりパワフル(/大規模)なシステムの構築(2)より洗練された仕組みの開発(3)より効果的な対話方法の研究、そして(4)より効果的な学習のさせ方、があると思います。僕が特に興味がある、というか「本命」と考えているのが、(4)より効果的な学習のさせ方 なのですが、所謂マルチモーダルでも、単に複数の入力形式やその組み合わせを論じる前に、AIの成長段階に合わせて、学習データの形式や抽象度、強度を変えてゆくことが必要なのではと思います。つまり、人間の成長プロセスをなぞる、人間の様に育てるという事です。
そうやってとにかく所謂AGIに近づいてゆこう、更により凄いものをつくろう、というのがe/accに限らず多くのAI研究者や開発者、そして企業家たちの姿勢なわけですが、このシリーズで前にも書いた通り、万能になるほどエネルギー効率や精度、処理速度は落ちてゆくでしょう。丁度執筆している今日、『人工培養脳をチップに融合させ「ひらめき」で考えるバイオAIを開発!』という記事が出ましたが、エネルギーやコスト効率、そしてたぶん拡張性も考えると最終的にこれがAGI用システムの最適解になると思います。(これを完全な人工知能と呼んでいいのかとか、倫理的にどうなの?といった問題はありますが。)
で、どんな形態にせよAGIらしきものができたとして、例えば「神」として無垢で疲れを知らぬ優秀な指導者や何らかのディシジョンメーカーになれるのか?
ここで問題になるのはやはり「育ち」、つまり何をどのように学んできたか、それを誰が使い、誰が評価する/恩恵を受けるか、です。
もうわかったでしょう。人間は人間以上の知性を「つくれない」し、評価できません。将棋やネット対戦ゲームが強いかどうかぐらいはわかりますが。
もっと色々書くことあった気がしますが、眠くなってきたので今回はこれくらいで。そしてとりあえず〆としてもう一度。「AI について「知りたい」なら、『翠星のガルガンティア』を観ときなさい。」
Open AIのCEOの追放&復帰事件の原因は、結局AI開発に関してイケイケ(効果的加速主義(e/acc))のアルトマンに対して幹部達が危険を覚えたから、というのがやはり真相らしいとBusiness Insiderなどでポロポロ報じられ始めました。まあこうなると研究開発担当が殆どの一般社員は、e/accのカリスマであるアルトマン側につくわけで、「アルトマンがマイクロソフトに行くならみんなついてきます!」と言い出し、元の鞘に戻ったところで良識派(効果的利他主義(Effective Altruism:EA))の幹部を追い出して決着、となったようです。
さて、連日のように目を見張るようなAI関連の研究成果がアナウンスされていますが、(1)いかにAIを人間の脳の機能(/能力)に近づけるか、という目標以外に、(2)人間(の脳)はいかにして人間(の脳)たりえているのか、の解明も「必然的に」進むことになり、余計に注目を集めています。
AIの能力向上方法については大雑把に言って、(1)よりパワフル(/大規模)なシステムの構築(2)より洗練された仕組みの開発(3)より効果的な対話方法の研究、そして(4)より効果的な学習のさせ方、があると思います。僕が特に興味がある、というか「本命」と考えているのが、(4)より効果的な学習のさせ方 なのですが、所謂マルチモーダルでも、単に複数の入力形式やその組み合わせを論じる前に、AIの成長段階に合わせて、学習データの形式や抽象度、強度を変えてゆくことが必要なのではと思います。つまり、人間の成長プロセスをなぞる、人間の様に育てるという事です。
そうやってとにかく所謂AGIに近づいてゆこう、更により凄いものをつくろう、というのがe/accに限らず多くのAI研究者や開発者、そして企業家たちの姿勢なわけですが、このシリーズで前にも書いた通り、万能になるほどエネルギー効率や精度、処理速度は落ちてゆくでしょう。丁度執筆している今日、『人工培養脳をチップに融合させ「ひらめき」で考えるバイオAIを開発!』という記事が出ましたが、エネルギーやコスト効率、そしてたぶん拡張性も考えると最終的にこれがAGI用システムの最適解になると思います。(これを完全な人工知能と呼んでいいのかとか、倫理的にどうなの?といった問題はありますが。)
で、どんな形態にせよAGIらしきものができたとして、例えば「神」として無垢で疲れを知らぬ優秀な指導者や何らかのディシジョンメーカーになれるのか?
ここで問題になるのはやはり「育ち」、つまり何をどのように学んできたか、それを誰が使い、誰が評価する/恩恵を受けるか、です。
もうわかったでしょう。人間は人間以上の知性を「つくれない」し、評価できません。将棋やネット対戦ゲームが強いかどうかぐらいはわかりますが。
もっと色々書くことあった気がしますが、眠くなってきたので今回はこれくらいで。そしてとりあえず〆としてもう一度。「AI について「知りたい」なら、『翠星のガルガンティア』を観ときなさい。」