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ぽこぽこ暮らして、やさしいご飯

体も心も軽くなるナチュラルでやさしいごはんと、ひとりごとブログです。

奇跡のキャベツ湿布(パスター)

2010-09-18 | マクロビオティック
先日、テーブルの脚に左足の中指をぶつけて、突き指し、めっちゃ腫れたことを書きました。
その時に、当日は里芋湿布を、翌日は指にペロンとキャベツを貼って靴を履いた・・・・と
いうことも書きました。

里芋湿布とキャベツパスターのお陰で、3日目には、「突き指したっけ?」みたいになっていました。
里芋さんも、キャベツさんも凄いですね(^^)

ということで、忘れないうちに(別に忘れても問題ないんだけど)、キャベツ湿布についての思い出を
書いておこうかな・・・・・と(笑)


この話は、知ってる人もいると思うけど、あれは、私が高校2年の時。
もちろん、マクロなんてものが存在することすら知らない、う~~~んと昔の話。

夏休み前から仲良くなった男の子がいて、2学期になってからはなんとかしようと躍起に
なっていました。

そこで、ちょうど9月の末。別の高校の学祭に一緒に行く約束を取り付けたのです。
むふふふふふふふ。やった~~~~ヽ(^。^)ノ

何着ていこうかな・・・・とか、行ったら何しようかな・・・・とか色々妄想するわけですよ、はい。
思春期の正常な女の子ですから・・・・・・


そうして迎えた当日の朝、何がきっかけだったのか全然覚えてないけど、母と大喧嘩を
したんですよねぇ。
もともとエネルギーが似通っているのか、お互いに反発することが多かったんです。
だから、きっと些細なことでやっちゃったんでしょうね。

テンションアゲアゲ状態だったのに、「なんやねん!」ともう完全、不機嫌状態。
母は仕事に行き、私はそんな気分のまま、遅い朝食、いや早い昼食をとることにします。
面倒くさいから、インスタントラーメンでいいや!って・・・・・・

ラーメンが出来上がり、器に移そうとしたとき(この時も私はまだブーブー言ってたはず)、
なんと鍋の取っ手が取れたんです
もともと、取っ手の所が緩んでいた、古いアルミの行平鍋。
その行平の取っ手が取れて、ラーメンは器に入らずに私の両脚へ・・・・・・・


「あっぢ======っ!!」

イライラしながら作っていたから、ラーメンもグツグツに煮立っててさぁ・・・・・・
それが両脚にひっくり返ったんです。時は9月。私はショートパンツをはいていました。

スープだけでなく、ラーメンもあんよに乗っかっているわけですわ。
ラーメン部分の熱いことったらもう!!  慌てて風呂場に行き、冷やしました。
もう必死です。

こんなとこで火傷してる場合やない。デートがデートがなくなるっ!」

そう思ったとたん、私の頭が働き始めました。

「まずは、病院に行かなきゃ。今日は休日だから、救急病院だな。救急車を呼ぶか。
いや、近くに住む叔父ちゃんに連れて行ってもらおう。電話だ、電話」

ということで電話をすると、おっちゃんとともに、叔母ちゃんがすっ飛んできました。

叔母ちゃんの手には、包帯とともに、大きなキャベツが1玉

そして、おもむろに、バリバリとキャベツをはがしだして、
「こんなに広い範囲。女の子やのに・・・・とにかくキャベツを貼りなさい」というんです。

ジンジンと熱さを感じる両脚に、キャベツを貼られ、その周りに包帯をぐるぐる巻きに
されながら、

「これは、あかん。今日のデートは完全にキャンセルやわ(-_-;)」

そんなことばかりを思っていた私。

何とか車に乗り込み、救急病院の治療室に入ったら、看護師さんたちが大笑い!

「火傷したからって、キャベツを巻いてきた人なんて初めて見たわぁ~」って・・・・・・

手当をしてもらっている最中も、
「凄い量のキャベツやねぇ・・・・・・帰りにこれ(貼ってきたキャベツ)、持って帰りよぉ」
散々冷やかされる始末。

いつもなら、恥ずかしい、気まずい思いをしたのかもしれないけど、私は
「デート、キャンセルの電話をどう入れようか・・・・・」そんなことばかり考えていました。

思春期ですねぇ・・・・・って、私がもしかして変ですか????


翌日、救急病院は遠くて、消毒に通えないからと、通える病院に行ったときのこと。

お医者さんは、言いました。

「こんなに広い範囲を火傷したら、赤ん坊だったら、命が危ないで!」
「でも、初期の手当がよほど良かったんやな。いい病院に行ったわ。これなら、痕も残れへん!」
と。

その時は、「あんなに笑われたけど、あの病院に行ってよかった(^^)」ってマジで思ったんですよ。
私は基本、素直ですから・・・・・。

でもね、その事件から〇十年もたって、マクロビオティックと出会い、キャベツ湿布の存在を知った私。

「あれは、救急病院のお陰なんかやないやん!キャベツさんのお陰やんか!」と気づいた訳です。

あの時、救急車を呼んでいたら、私の両脚にキャベツが貼られることもなかった訳ですよ・・・・
だとしたら、もしかしたら、今の火傷痕のない脚は存在しなかったのかも知れないでしょう?

キャベツを持って現れた叔母ちゃんも凄いし・・・・・・・・

私って、やっぱりマクロをやるように生まれてきたのかもしれないよね・・・・・・・そう思いません?(笑)


ということで、火傷にはキャベツをはじめ、青菜パスターは効きますよ。
頭の片隅に、入れておくといいと思います。なんせ、経験者ですから・・・・・(^^)v




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私はこうしてマクロビオティックを始めました その10

2010-09-13 | マクロビオティック
この2度目のドカン(大きな排毒)の状態を見て、普通の親なら、救急病院に
運んでいたかもしれません。
当然、ほっとけないですよね。。。。。

うちの母親は、生まれたときからの付き合いの私の頑固さを、充分すぎるぐらい
知っていたので、本人(私)が言い出すまでは・・・・と思っていたのかもしれません。

それにしても、よく我慢しましたよね。スゴイです。
その代わり、豆腐パスターや生姜シップなどのお手当ては、本を見ながら
してくれました。
生姜シップなんて、タオルの搾り方を知らないから、全部つけちゃって

「アヂヂヂヂヂヂヂヂヂヂ==ッ!」て手を真っ赤にしてやってくれました。

今、思い出しても、本当にありがたいです。

そんな究極の頑固者の私も、さすがに

このままでは、体力がなくなって、自分で治癒する力もなくなるかもしれへん・・・・

とだんだん、思い始めてきます。
そして、まずは、とにかく、熱だけは熱だけは下げようと、とうとう母に頼みます。

「解熱剤を買ってきて・・・・・」

マクロビオティックを始めてから、ず~~~~~っと避けていた薬を、使用しようと
決心したのです。

解熱剤のお陰で、私の熱はすっかりひきました。
約2週間ぶりに、一日中、起きていられるという有難さを味わいました。
その後、再び、熱が上がるということもありませんでした。

この解熱剤の服用が、良かったのかどうかは分かりません。
熱によって、体内の毒だしをしていたのなら、私は毒を出し切らず、封じたことになります。
でも、熱が下がったことで、お腹がすくという感覚も戻ってきて、私は心の底から、
一息つくことができました。

これだけは、言っておきます。
私のような、極端なやり方は決してしないでくださいね・・・・・・て、
する人がいるとは、思えませんが・・・・(笑)
とにかく、私は無謀なんですよ~~~!
なんて言われなくても、無謀だって分かりますよね。


秋になったこともあり、食欲も次第に戻ってきました。
それでも、体重は回復せず、39キロにまで落ちていました。
マクロビオティックを始めた時よりも、10キロ減です。

「いくらんなんでも、このまま、縮んでしぼんで行ったらどうしよう!!」

と私は焦っていました。
とにかく、およそ2週間寝ていたので、体力というか、筋力が落ちていて、
体に力が入りませんでした。

そこで、食事を見直すことにします。
体の中心を養うのは、玄米だけど。。。。。。
それは分かっているけれど、この時には、玄米+少量の野菜がいいのかどうか
だんだん、分からなくなってきていたのです。

あんな辛い排毒を「またしろ!」って言われたら、「ご免被りたい!!」というのが
正直な気持ちでした。

そこで私は、まず、主食を玄米から分搗き米+雑穀ごはんに変更しました。
毎日でなくても、時には動物性も少しは体に入れよう。
さすがにお肉は体に負担がかかり過ぎる。
それなら、お魚を週に2~3回少しだけ食べようか。。。。

そんなことを今度は思い、やってみることにしました。
ちょうど、幕内秀夫さんの「粗食のすすめ」のようなメニューです。

体重はすぐには戻らなかったけれど、体に力は入るようになっていました。
これで、かなりホッとして、「これなら、私はもう大丈夫!」と思えるようになっていました。

多くの人は、ここで、マクロビオティックとサヨナラするのかもしれません。
「マクロでいいのか? 大丈夫なのか? 粗食の方が調子がいいじゃないか・・・・!」ってね。
私にもありました。もちろん。揺れ動きますよね。

でもね、私は「体が元に戻ったら、またしっかりと、今度は様子を見ながら始めよう!」と
思っていたんです。

時は、2003年12月。運命の炊飯器との出合いからちょうど1年が過ぎていました。

これは、マクロビオティックに対する執着なのか、それとも意地なのか・・・・・
疑えば、そのようにも思えます。
それでも、直感として、「マクロビオティックは宇宙の真理である」という気持ちを
捨てることは出来なかったんです。

それが証拠に、私のこの年の手帳の最後には、
初めて作るマクロのお節メニューのことで、いっぱいでした。


黒豆、きんとん、昆布巻き、たたきごぼう、煮しめ、紅白なます、カボチャの伊達巻、
擬製豆腐、りんご羹・・・・・


-☆☆☆☆☆-

長い間、お付き合いくださって本当にありがとうございました。
「こうして始めましたシリーズ」はこれで終了します。

マクロビオティックを始めて、本当に心も体も右往左往しまくった最初の1年の
ことを書こうと最初から決めていたし、何よりも「始めました~」がずっと続くのも
どうかとも思うし。。。。(笑)

皆さん、ご存じのように、私は今も「私のマクロビオティック生活」を送っています。
マクロビオティックを、お病気治しだけのことのように思ってらっしゃる方、
マクロビオティック=お料理だと思っていらっしゃる方、色んな方がいらっしゃると
思います。

私も、最初の1年目ほどではないにしても、時にはやり過ぎたり、ある時は
「マクロが何ぼのもんやんねん!」と思ったりと、色んな時期がありました。

それでも、続けてこられたのは、
陰陽という魔法のめがねが、物の見方を変えたくれたし、五行が自分の体や
心の声を、また、物事は移ろいやすいものだということを教えてくれたから。

マクロビオティックに出合っていなければ、私は今も「自分探しの旅」を
し続けていたかもしれない。
ありのまま、そのままの自分を受け入れることができずに・・・・・


今度、もし書く機会があるとするならば、どうして続けることができたのか・・・・
そんなお話になるかもしれません。

題して
「マクロビオティックが止められない!」  なんてどうかしら?(笑)

懐かしのC-C-Bのヒット曲から遊んでみましたが、C-C-Bを知っている人の方が
少なかったですね。。。。。(^_^;)



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私はこうしてマクロビオティックを始めました その9

2010-09-12 | マクロビオティック
何度も書いていますが、玄米には排泄作用があって、玄米を食べ始めると
人によってはドカンと大きな排毒があるらしい・・・・ということは分かっていました。

マクロビオティックを始めるとき、母にもそのことは話していました。

「どんな形でかは分からないけど、きっと大きな症状がでるよ」と。。。。

そして、私に表れたドカンは、前回書いたように、生まれて初めて経験する
40℃の発熱でした。それは、6月末のことでした。


蒸し暑い残暑、夏の玄米の食べ方、マクロの夏の料理法など、分からないこと
だらけで迎えた最初の夏。

動物性のものを食べていないのに、思ったよりも暑くて(そりゃそうよね、夏なのに
煮炊きしたものを中心に食べているんだから・・・・)、かなり元気をなくしていました。

そんな夏の体にこもった熱を出すかのように、2度目のドカンがやってきたのです。

2度目も発熱という形で表れました。
私は子供の頃から、あまり高熱を出したことがなかったので、1年に2度、
それもこんなに短期間のうちに、発熱するなんて、ちょっと異常な?ことでした。


8月30日 夕方より発熱。夕飯も食べずに寝た。前回と違って、呼吸がハアハアと
       苦しい・・・・体もめちゃくちゃしんどい・・・・

8月31日 誕生日。今日も発熱中。友人から、おめでとうメール届くが、返信する
       元気もない。腰、右側のわき腹が痛くて、息が止まりそうだ。

9月1日  大根湯を飲んで寝る。大根湯、飲みにくい。私には大根湯はあまりきかない
       みたい。
       すごく寒気がして、そのあとすぐに汗が出始めた。でも、熱は39度台。

9月2日  熱下がらず。わき腹まだ痛いが、腰や関節の痛みはかなりましになる。

9月3日  眠りについて1時間で、寒くて目が覚める。
       熱帯夜だというのに、極寒の地にいるような寒さ。
       厚手の長袖を着ても、ますます寒くなり、母に頼んで、梅醤くず番茶を
       作ってもらう。布団だけでは足りずに、タオルケット2枚もプラスして寝た。
       滝のような汗が、ようやく出た。頭も、首も、背中も、とにかくすごかった。
       お陰で熱は一気に下がった・・・・・・

2度目のドカンは5日間の発熱でした。今回は、体力も気力も奪われた5日間で
本当に厳しかったです。。。。。。と書きたいところですが、実際には、このあとおよそ
1週間、発熱は続きました。

高熱が下がったのは一時的なものでした。このあと、1週間は、朝は熱が下がっているけれども、
その後、上がるということの繰り返しでした。
朝は37度を切るぐらいにまで下がるのですが、日中になると39度近くにまで上がってしまうのです。

母は、豆腐パスターをしてくれました。
豆腐パスターをすると、本当に一気に熱は下がるんです。冷えを感じるぐらいに。。。
でも、外すと、再び発熱する。
梅醤番茶を飲むと、体が熱くなってたまらないのに、汗はかかない。
リンゴのすりおろしを食べると、心身ともにホッとするのに、今度は寒くて寒くて
たまらなくなる・・・・・・

というように、<熱⇔寒>の間を、行ったり来たりしていました。
「どうすりゃいいねん!」ともう大混乱です。

私はまるで変温動物やな」と思わず母に話したのを覚えています。

この1週間のことは手帳にも記されていません。
メモをとるのもしんどかったのか、すっかりイヤになってしまったのか・・・・・・

自分には何でこんなことが起こっているんやろう?
なんで、こんな目に遭うんやろう?
それほどまでに、毒を溜めていたのか・・・・・・

そんな思いばかりが、私の心に浮かびました。

ただでさえ、痩せていた体が、さらに痩せていきました。
そして、体力もどんどんなくなっていきます。

ここで、自分の体に対して、「よく頑張っているね。ありがとう!」と声をかけてあげられれば
私の体は一気に回復の方向へと舵を切ったのかもしれません。

でも、そんなことはできませんでした。



※ ここに書かれていることは、あくまでも私の体験記です。
  決して真似はしないでくださいね。




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私はこうしてマクロビオティックを始めました その8

2010-09-11 | マクロビオティック
私がきっと私の体にも起こるはずだと信じていたドカン(排毒)は、こういう形で表れました。

2003年7月8日
 発熱。39.6度。
7月9日
 発熱。40.1度。昨日より、ダメージ。とにかくしんどい!! リンゴおいしい。
7月10日
 熱は下がったが、何を食べてもおいしくない。夜、のたうちまわるような腹の痛さ。
 脂汗がどっさり出て、トイレでは心臓発作を起こして死ぬのではないかと思った。
 生姜シップで楽になる。

以上のように手帳に記載されています。生まれて初めて、40度の発熱体験しました。
ただね、この3日間の発熱後、胸やお腹、内腿など柔らかい部分に出ていた湿疹が
熱が引くのと同時に、消えてなくなったのです。

す、すごい! 噂では聞いていたけど、本当にこんなことがあるなんて!!

私はすっかり良い気分になっていました。
ただ、季節は夏。この発熱で体力を使ったことに加え、暑さで、活動量も減り、
料理熱も、食欲も減少していました。

ずっとイケイケでやってきたので、「少しゆっくりとしたペースにしなさい・・・」ということなのね。
そんな風に考えていました。

8月に入り、免許証更新のための写真を撮りに行き、私は愕然としました。

いつも鏡に映る自分の姿を「痩せたな~」と見てはいたものの、頭はすっきりとしているので
あまり気にしてなかったんです。

ところが、写真に写った私は、とってもブッサイクだったのです。

ヤセギス、輝きがない、ブサイク過ぎ! この写真をこれから3年間、使用するのか・・・?
あかん。ショック過ぎる! 耐えられへん! 人様の目に、私はこんな風に見えているのか。
サイアクや~! サイアクや~! ブサイク過ぎる===!!

この事件(?)で、外部から見た現実的な自分の姿を、はっきりと意識したため、私は
真剣に食べることを考え始めます。暑いとかいってられへんわ・・・と。
でも、現実は、「しっかり食べなあかんわ」と思っているのに、


8月10日 玄米食べるのに、苦労。押し麦入れたり、混ぜごはんにしたり、コーン入れたりしてみるが・・・・・
早く玄米が食べやすい季節になってもらいたい。


と手帳に書いています。暑くて粒ものが喉を通りにくく、かなり苦労しているのが
わかります。
当時は、麺類に頼ることなんて、出来なかったのです。

粒こそが最高! 玄米食べずして、マクロと言えるか!

みたいに思っていて・・・・

完全に、偏っています。でも、体の声より、頭で得た知識を信じ、実行することこそが
重要だったのです。

8月の残暑の中、2ヶ月前まではあんなに、何にでも感謝していた私が、暑さもあってか、
いや、これが感情の排毒なのか、手帳からも「ありがとう」の言葉が消えていました。

それどころか、月末に北海道の親戚から、トウモロコシが送られてきた時のこと。

我が家には魚介類が贈れないので、親戚はきっと考えた上でとうもろこしを送ってきてくれたのでしょう。
今の私なら大喜びですが、当時の私は、


「もう秋の食事に移っていく時期なのに、とうもろこしなんて陰性なものを・・・・(-_-;)」
などと不届きなことを思っていました。

まったくもって、なんだかとってもイヤ~~な女になってしまっています。

感謝の気持ちをどこに置いてきたんでしょうね・・・・・・

そんな、イヤ~~な女に成り果てた私の元に、次のステップが訪れます。

生まれて初めての40度の熱を体験した私は、「もう、私の毒出しは終わった」とばかりに
ホッとしていました。

そんな私のもとに、予想していなかった2度目の「ドカン(大きな排毒)」がやってきたのです。

今度もまたまた、発熱。
ただし、前回のとは、比べ物にならない程の「ドカン」だったのです。

それは、8月30日。
私の誕生日の前日にやってきました!



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私はこうしてマクロビオティックを始めました その7

2010-09-10 | マクロビオティック
私が若い頃から、大阪では、食べっぷりのいい女の子がウケました。
一緒に食事に行って、「お腹いっぱい。もう食べられへん」と可愛くいう女の子よりも
「めっちゃ美味しい!」と言いながら、沢山、頬張る女の子の方が、可愛がって
もたえたのです。

私も調子に乗って、よく飲み食いしてましたっけ。。。。

「ようさん食べるのに、全然太ってないな~。羨ましいわ」と言われれば
「私、燃費が悪いんです。だから大丈夫みたい(笑)」なんて答えてました。
いやぁ、今思えば、ただ単に、消化不良だっただけなんですけどね。。。。

腸に負担かけまくりやもん、そりゃ、アトピーも治らんわよね・・・(^_^;)

それで、こんな燃費の悪い体のまま、マクロビオティックを始めたのですから、
痩せて行くのも、当然と言えば当然な訳です。

当時の手帳には、

522日 体にフィットするGパンもスカートもない。体重以上に体がしまっていて、かなりガリガリに。。。。。


とあります。
服はぶかぶかで、洋服に着られているみたいでした。

お洒落なものを着なくても耐えられるけど、貧弱に見えるのだけは嫌だな・・・・と考えていたのを思い出します。

その上、 短期間で、急激に痩せたので、お腹の周りの皮膚がたるたるになっていました。
子供を生んだことがないので、分からないけど、生んだ後ってこんな感じなのかしら? お腹の皮膚。どうですか?

61日 体の柔らかい所を中心に、湿疹だらけ。かゆい、腫れている・・・・

そして、この後、私は「ゼン・マクロビオティック(七号食の秘密)」という本に出合います。
「もしかしたら、私の体も劇的に変化するのかも! 手っ取り早く奇跡が手に入るかも・・・」
という期待もあり、「やってみよう」という気になって行きました。

体が痩せ続けているのに、こう考えた私って、ある意味、正常ではなかったのかもしれません。

ただね、厳格な七号食は、ちょっぴり怖くてできませんでした。

玄米と、梅干し、ごま塩+沢庵などのお漬物か、ヒジキ煮やきんぴらをどれかひと箸
という形で、玄米9割強、おかず1割弱みたいな形でスタートしました。

628日に始めて、10日間続けたのですが、最初はお腹がすいてたまらなかったのに、
続けるうちにどんどん食べる量が、少なくなっていきました。
体が欲しがらなくなるのです。玄米と梅干しだけで、それも少量で充分になっていました。

正直、これにはちょっとびっくりしましたね。
そして、頭の方は食事量が減るのと正比例するように、すっきりとクリアーに
どんどんなっていきました。



睡眠時間も短くなり、シンクロも増えていきます。そして、活動的になり、仕事も速い。

自分が自分でないほどの、気持ちよさ。

「私ってこんなに色んなことを同時にできるんだ!」と思うほど、物事がスピーディに運ぶのです。


「お腹が軽いっていうことは何て気持ちのいいことなんだろう!」


私はうっとりするほど、この状況に酔いしれていました。

このままだと本当に、霞を食べるだけで、生きていけるかも・・・・・
そんなことが頭を掠めたぐらいです。



ただ、この生活をしていても当然太るわけはなく、43キロまで落ちていた体重は
さらに
減っていました(当たり前ですよね・笑)


私にとっての気がかりは、やはり体重だったのです。

お腹のタルタルの皮膚もですが・・・・(笑)


それで、当初の予定通り、この生活は10日間で終えました。


玄米を食べ始めたときに感じていたあのこと・・・・

「私に大きな排毒(ドカン)があるとするならば、どういう形だろうか。

下痢か、発熱か、大怪我か・・・・・」

 

きっと自分にも表れるであろうと信じていた「ドカン」がこの後、すぐやってきたのです。



※これはあくまでも私の体験記です。間違っても真似しないでくださいね。


私はこうしてマクロビオティックを始めました その6

2010-09-09 | マクロビオティック
初めて、小豆カボチャを作ったとき、「これでいいのか」と手帳に書き記したほど、
マクロビオティックの調理法に「?」を感じていた私も、きんぴらや、圧力鍋で炊いた
もちもちの玄米ご飯などを食べているうちに

「あら、美味しいんじゃない?」と思えてきました。

何よりも私を感動させたのは、切り干し大根の煮物。
砂糖を使わなくても、あんなに甘い「切干しの煮物」を口にして、

「今まで私は何しとってんやろ?」と思わず口にしてしまうほどの衝撃を受けたのです。

その後、我が家ではしばらく、切干しの煮物がヘビロテになっていたぐらいですから(^^)

そうして、「マクロのお料理って美味しいじゃん!!」と体も心も受け入れ態勢が整うと、
今度は、もっともっと色々なものを作ってみたくなってきたのです。

当時はマクロのレシピ本も、今程、書店には並んでいなくて、「陰陽」という単語や
「マクロビオティック」という単語のつくものを、血眼になって探したものです。


‘陰陽調和料理で健康’‘からだの自然治癒力をひきだす毎日のごはn’‘陰陽重ね煮
クッキング’‘砂糖を使わないお菓子’‘砂糖を使わない和菓子’‘雑穀米の神秘’
‘玄米食つぶつぶクッキング’

これらは、2003年3月から6月の間に購入したレシピ本の数々です。
「どんだけ買ったら気が済むねん」・・・・て感じですが(^_^;)

そのほか、「マクロビオティック入門」、正食協会の月刊誌「むずび」の定期購読も
申し込んでいました。

とにかくこの当時は情報に飢えていて、手に入るものなら、何でも手に入れたい
気持ちだったのです。

色々なものを作ってみたいという欲が出てきていた私は、レシピ本を見て、
簡単そうなもの、出来そうなもの、美味しそうなものからトライしていきました。

私の調理の仕方がマクロの理論に本当に合っているのかどうかということには
不安がありましたが、私はレシピ通り、作って作って作りました。

もちろん、食べて、食べて、食べましたよ(*^。^*)

レパートリーが増えてくると、さらにもっと違ったものはないのか・・・と少し
凝ったものにも、手を出してみたりして・・・・・・・

この時期、一見面倒なマクロビオティックのお料理に負担を感じるより、
楽しい気持ちの方が強かったのを覚えています。

雑穀料理を初めて作ったときには、母と2人で

「今まで、鳥のエサぐらいにしか思ってなかったのがもったいないね。鳥はこんなに
美味しいもん食べていたんかぁ~」と笑いあったっけ。


この頃の私の手帳に記された、当時の気持ちは・・・というと

3月18日
 ブッシュの演説。48時間でイラクを攻撃するそうだ。
 戦争とは、何と簡単に始まるものなのか・・・・・
 マクロビオティックで平和な世界に・・・・・!!

4月26日
 マクロビオティックで人の役に立ちたいと思っていた。でもそれは自分が回復して
 からの話だ。自分が健康でないのに、人の役に立とうなんて筋違いだ。
 そうでなくては、今までの私の思考パターンのままだ

とあります。私は自分に突きつけられた現実から目をそらすかのように、人の
お世話をする癖がありました。
それまで、人に頼られることで、生きている実感を得ているようなところもありました。
そして、その人に起きている出来事が、自分にも責任があるように捉えるのが
私の思考パターンでした。
その癖を治し、他人に起きる出来事は、私のせいではないんだ!と思えるように
なる訓練をしていました。

5月も半ばを過ぎるとガラリと様子が変わります。

ご飯が美味しく作れた、ありがとう。
今日も一日、楽しかった、ありがとう。
今日もご飯を美味しくいただけた、ありがとう。
目に映る緑がとてもきれいだった、ありがとう。

というように、日常の細かな出来事にも、感謝の言葉を書き記すようになっています。


今の私はどうやろか? 忘れてへん? 忘れているよね。
あの頃の心の動き、響き。

思い出させてくれてありがとう、昔の私(笑) 余談でした(^^ゞ


ところで、ご飯が美味しくてたまらないということは、食べることが幸せってことでしょう?
そのような時は、どうしても食べ過ぎになりますよね? ね? ね?

だから、当時の私も玄米を中心にですけど、
美味しい!美味しい!っていっぱい食べていたんです。

それでも、体も心もマクロビオティックを始める前よりも、ずっとずっと軽くなって
喜んでいるのが、分かるんだもの。

この間中、体にブツブツが出来たり、相変わらず強い冷えを感じたりしているんですけどね。
それ以上に、喜びの方が大きかったんです。


毎日、喜びに満ちて、お腹いっぱい(?)ご飯を食べていた私にも、一つだけ
気がかりなことがありました。

マクロビオティックスタート時、49キロだった体重が、こんなに食べているのに、
このとき、43キロになっていました。

そして、体重減少に歯止めがかかる気配が感じられなかったのです。

「私はどこまで痩せるんやろか・・・・?」


つづきは、また。



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私はこうしてマクロビオティックを始めました その5

2010-09-08 | マクロビオティック
体が冷えてる、背中、手足。
お腹のまわりにブツブツが少し。
かゆいのは治ったが、頭が重くてボーっとする。
左目がはれぼったい。
鼻つまり気味。目もかゆい。
トイレ近い。膀胱の調子悪い。
体かゆい、頭重い、舌が荒れている
手荒れがひどい。
イライラする。
疲れがとれない。いつも寝たりない。
アトピーがでてる、痛いぐらいだ。
肩こり、頭痛、背中の痛み。


これらは、2003年3月の私の手帳に書かれていた体の状態です。
これではもう、未病の、いや病気のデパートですね(笑)

マクロビオティックを始めると、劇的に物事が改善すると期待する人も
いるみたいですが、私にはそういうところは最初からありませんでした。

本に載っていたクシ先生の「マクロビオティックをすると、生きることが楽しくなりますよ」
との一言で、この世界の扉をたたくことになったにも拘らずです。

マクロビオティックという言葉を知って、最初に検索をかけた時、ヒットしたのは
ほとんどがブログで、それも体験記でした。

当時はマドンナがやっているからなどという理由で始めた人のではない人たち、
多くの場合は体質を変えたい人や、ナチュラリストの方たちの記録が多かったのです。

それらの中には、玄米を食べると排毒があること、
また、人によって様々な排毒の仕方があることなどが書かれていたので、
私は自分がマクロビオティックを始めようと決心した時には、それらのリスク
(リスクと言えるのか?)も覚悟をしていたんです。
だから、すぐに「バラ色の人生」がやってくるなどという夢も持ち合わせていませんでした。

すぐには改善されない自分の症状に対して焦りを覚えることもありませんでした。
それよりも、自分にドカンと強い排毒があるとしたなら、どんな形で表れるのだろう?

宿便出しか? 発熱か? 大怪我か?  それとも、もっともっと違う何かなのか?

そんな思いが心の片隅にいつもありました。
変な話ですが、自分には必ずその「ドカン」が来ると信じていたのです。

だから、前出の、肩こり、冷え、鼻づまり、アトピー、手荒れ、頭の重さ、
疲れが取れない・・・・など当時の私にとっては取るに足らないものだったのです。

というよりも、これだけの症状があるかどうかは別として、現代人ならば、
慢性的な肩こりやアレルギー、下痢(この夏、下痢止めスト○パ、バカ売れだったそうですね)、
頭痛、冷えなど、いつも感じているのではないでしょうか。

これらを当たり前のことのように完全に受け入れて(笑)、異常なことだと意識しないで、
日常を過ごしているのだと思います。

私が最初に、この「私はこうして・・・・・」を書いてみようと思ったきっかけは、
過去の手帳に書かれた、これらの症状の多さにびっくりしたからでした。


今の私・・・・・冷え : ないない
        鼻づまり : ないない
        肩こり : めったにないない
        頭痛 : めったにないない
        アトピー : んん、時には出るなぁ(食べ過ぎたときとか)
        イライラ : ほとんどないない

の様に、手帳に書かれていたような症状が、ほぼなくなっていたからこそ、以前の
異常さが分かったのです。
逆に言えば、当時の私が、日々のこれらの症状をよく書き残していたな・・・と
思うぐらいですもん。

「ありがとう、当時の自分。ここに来て役にたっているよ(^^)」


それでは、その頃の私に行動や心の動きはというと・・・・・・・

3月2日 少し自信なくしている、マクロビオティックに対して・・・・
      でも、私の体は以前よりずっと良い
      それをお前は信じるか・・・・・・

とあります。症状が出ていて不安になっていても、それでも以前よりは
体の調子はいいと思っているんですね。そこが面白いです。

3月9日  身の回りのいらないものは捨てよう
       古いノートなどは処分した

3月10日 私はこの道をすすむ・・・・・・・

3月23日 私はただマクロビオティックをつづけたいだけ

こう見ると、進みたいけど進めないとどこかで感じているのでしょうか?
残念ながら、覚えていません。

でも、やめたいとは思っていないんですよね。

それでは、どうして、こんな風に感じているのでしょう。
それはマクロビオティックのお料理にありました。

続きは、また。



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私はこうしてマクロビオティックを始めました その4

2010-09-07 | マクロビオティック
マクロビオティックを始めると決心してから、スーパーの食品売場に行っても
覗く場所が少なくなっていきました。

欲しいものがほとんどないからです。

野菜売場の一部、お豆腐売場、調味料売場ぐらいです(よく行くスーパーには本醸造の調味料が売られていました)。


そんなある日、
「ああ、ここに来ても本当に欲しいものってないよな・・・・」と思いながら、ぐるっと
食品売場を一回りしてみたのです。

惣菜売場に行ったときのことです。
揚げたての天ぷらやコロッケと並んで、練り天(さつまあげ)などが、一ついくらで
売られていました。

実は我が家は、手作りの揚げたて練り天(さつまあげ)が大好きだったのです。
サッと炙ったり、青菜とあっさり炊いたりすると美味しくて、母の酒の肴にもなっていました。

もちろん、マクロビオティックを始めてからは、口にしていませんでしたよ。

そしてこのとき、何かのスイッチが入ったように、私の体は(脳は)、この場所のニオイに
反応したのです。


買う気など少しもないのに・・・・・

私はそのお惣菜コーナーをぐるぐるぐる・・・・・・・・何回まわったでしょう。

「ああ、食べたい。でも買わないぞ!」

ぐるぐるぐるぐる・・・・・・

後にこのお惣菜コーナーのニオイが嫌で、気分が悪くなる時期が
やってくるのですが、とにかくこの時はもう恋しくて恋しくて、ぐるぐるぐる・・・・(笑)


この時入ってしまったスイッチが悪かったのか、何とかやり過ごした帰り際に
今度はスーパーの入り口横にある、焼きたてパンのお店に激反応!

私はこのパン屋さんを、一度も使ったことがありませんでした。
だから懐かしさも何もないと思うのですが、無意識のうちに、そのお店に
入っていこうとしていたんです。

私のこの行動の原因は明らかに、あの砂糖の甘い香り!!

デニッシュ類の油のにおい、菓子パンのクリームのにおい、そして砂糖の
コーティング・・・・・・・


ふらふらふらとその香りに誘われて、入っていきそうになっていたのです。
(私は菓子パンがあまり好きではありません)

一瞬、我に返って、

「お前は何をしてんねん!」と自分にツッコミを入れたものの、そのお店の前で
私は何度も何度も大きく深呼吸をしていました。

気分を落ち着かせたいからではありません。

とにかく、皮膚からでも少しでも体の中に摂り入れたい! 感じていたい!という
気持ちから思わず出た行動でした。

どうにか自分に活を入れて、その場を去ったものの、私はもうフラフラです。
一気に目の前が暗くなってきて、ハアハアと呼吸が荒くなっていました。

傍から見れば、怪しすぎです(笑) でも恐ろしいですね・・・・・

こんなに自分が甘い物を欲しがるなんて!!

その事実にものすごくショックを受けながら、何とか家にたどり着くと、
私はすぐにレーズンを口にしました。

「はぁ~~~~~~~、少し落ち着いたぁ・・・・」と地獄から生還した気に
なったのを思い出します。


そう言えば、私は子供の頃からおなかがすくと、不機嫌になる子でした。

大人になってドライブデートをして田舎町に行ったとき、お腹がすいているのに
どこにも食べるようなところがなくて、車の中という狭い空間が、ものすごく
険悪なムードになったこともありましたっけ(^。^)

仕事のときも、夕方になると、デスクの引き出しを開けて、チョコレートを一つ
お口にポン!して、再びテンションを上げるということをしていました。


そうです! 私は低血糖だったのです!

このフラフラ事件があった頃、私が作ったメニューが手帳に書いてあります。

小豆カボチャ、カボチャのコロッケ、カボチャサラダ、カボチャの煮物・・・・・
カボチャのオンパレードです。
そしてそのどれもに、「美味しかった♡」と書いていました(笑)

加熱すると甘いお野菜は沢山ありますが、当時の私はカボチャぐらい
舌先にもしっかりと甘さを感じるものでないと、満足できなかったんだと
思います。

体、黄色くなってなかったのかしら? 記載がないから大丈夫だったのかな?

今なら、サツマイモでも強い甘さを感じただろうに・・・・と思うのですが、
当時、どうにか聞きかじったマクロの知識によると、サツマイモは陰性で
体を冷やすから、よくないものなんだ!と判断して、サツマイモを選択肢に
入れることはなかったのです。

それ以降、夕方、血糖値が下がって、どうしても甘いものが欲しくなった時は、
プルーンやレーズンなどのドライフルーツに頼っていました。

ドライフルーツの強い甘味は、少量で私の体をホッとさせてくれました。

その後、ドライフルーツからグラノーラへ。グラノーラからミューズリーへと
体に優しいものに変化していきました。


砂糖が体から抜け始めたのとまさに同時期から、私の体はどんどん変化して
いたのでしょう・・・・

「今までのバランスでは、あかんぞ!」と体が思い始めたのかもしれません。

背中、お腹、指先、足先、すべてに強い冷えを感じ始めることとなります。

時は2月の末。
まだまだ春には間があるこの時期とはいえ、私は極寒の地にいるような寒さでした。

この血行の悪さと共に、玄米の排毒作用もあったのでしょう。色々な症状を
私の体に、及ぼしてくることになります。

私の手帳にはこう書かれていました。


「体がかゆい。かゆくてかゆくて・・・・・」



続きは、また。



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私はこうしてマクロビオティックを始めました その3

2010-09-06 | マクロビオティック
マクロビオティックを始めるにあたって、事前に母には「こうこうこういうことをするから」と
伝えてありました。
というよりも、私が興味を持ち始めた時点で、「こんなもんがあんねん」と、
記事を見せたり、話したりしていたので、
「とうとう始める事にしたのか・・・・・」ぐらいに思っていたのかもしれません。

多くの方々は、マクロビオティックに対して、家族の協力が得られない、周囲が理解してくれない。。。といった悩みを持っていることと思います。

幸い、我が家は母と二人暮らし。
前述のようなこともありましたし、母は料理をほとんどしません。
その代わり、私が作ったものには、文句を言わずに食べてくれるんです。
なので、マクロ食への移行はスムーズでした。

私は子供の頃から、ものすごいアレルギー持ちで、腎臓病も患った。
大人になってからは、ステロイド断ちをして、顔が溶けてなくなるのではないかと
思うほどの、症状になったこともあったので、親戚にも
「体質改善のために始めた」と言えば、みな、何も言わずに受け入れてくれました。

そういう点では、私のこの周囲も認める体質が、マクロビオティックに対する逆風を
小さくしてくれたのですから、私は恵まれていますよね。

というように、案外スムーズに、私はマクロビオティックを生活をスタートさせたのです。


まず、最初に着手したことは、宅配ヨーグルトをやめることでした。
販売所の方がとてもいい人だったので、「何か不手際があったのでしょうか?」と
家まで訪ねてこられて、断りずらかったのを思い出します。

確か
「家族のものに、乳製品のアレルギーが発覚したので、しばらくお休みさせていただきます」
とか何とか言ったと思います。

「家族って私だし、お休みじゃないけどね・・・・」と心の中では思っていましたが(^^ゞ


私は、食べ物を思い切って処分するということが、なかなかできませでした。
なんだか、罰が当たりそうで・・・・・・(-_-;)

牛乳、ハムなど封を開けたものは食べつくし、封を開けていないものや、冷凍庫に
入っていた動物性のものは、親戚の家に嫁に出しました。

家が食べないものを、よそのお家へ・・・・・というのもどうかと思ったのですが、
「うちが食べるからちょうだい!」と言われて。

自分のところでは体に悪いから・・・と口にしないものを、よそ様にあげるということに
対する罪悪感もありながら、ゴミにならないで済む・・・というホッとした気持ちも
大きかったり、とかなり揺れ動いていました。

先方が喜んでいるんだから・・・・・・と自分に言い聞かせていたところもありました。


初めて作ったマクロビオティックメニューは小豆カボチャ。
その時の感想が手帳に書いてあります。

「これでいいのか?」と(笑)

手探り状態で何もかもが初めてなのですから、当然と言えば当然な話です。
次はきんぴらごぼうに挑戦しました。定番路線まっしぐらです(^^)

ツンとしたにおい→甘い香りへ・・・と本には書いてあるものの
初めて作る身としては、変わったのやら、変わらないのやら????

自分の感覚が信じられず、迷ってばかりでした。

それでも、「何度か作れば、加減もわかってくるさ」とばかりに大きく構えていました。


そして、玄米を食べ始めて2ヶ月が過ぎ、マクロビオティックを始めてわずか
1週間で、私は自分の体調の変化を、手帳に記しています。


「体が寒くてたまらない。指先、足先、背中、全部冷たい」

「甘いものが欲しくてびっくり・・・・」

「揚げ物、クリーム類にどうしても目が行く。こんなことは初めてだ」


そうです。
甘いものが体の中から抜けていって、禁断症状が出始めたのです!


続きは、また。




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私はこうしてマクロビオティックを始めました その2

2010-09-05 | マクロビオティック
「私はもう苦しまない。私の人生は、喜びと幸運と成功で満ちている」

2003年の手帳、1月のtopページに、私はこう記していました。

当時の私が何にそんなに苦しんでいたのか、細かく例を挙げることができません。
なぜなら、はっきりと覚えていないのです。
いや、細かく、あれとこれと・・・というような理由などなかったのかもしれません。

ただ、いつも焦っていたのだけは確かです。
毎日、面白楽しく暮らしながらも、心はいつも満たされず焦っていたのです。

先行きの分からない未来に対する不安感。
また、子供の頃から疑問に思っていた
「自分は何者で、何のために生まれてきたのか」
「自分に与えられた使命があるとするならば、自分はそれを果たしているいるのか、
いや、今のままでは果たしているとは思えない・・・・・それなら、何をすれば・・・・・」

そんな答えが出るとも出ないとも思えない、悶々とした不安と焦りと迷いの世界に
いたことだけは確かです。


そんな私の元に、やってきた玄米ご飯のレシピ本の中に、久司道夫先生が小さくですが
載っていました。

「マクロビオティックを始めると、人生が(生きることがだったか?)楽になりますよ」

そんなことが書かれていました。

「こんな閉塞感から抜け出せずにいる私の人生も、楽になるんやろか・・・・・・
いや、そんな都合のいい話なんてないやろ・・・・・・」

そんな風に思いながらも、私の頭の中には「マクロビオティック」という言葉が
しっかりとインプットされたのです。


それからは、書店でマクロビオティック関係の本を探すのですが、書店では
なかなか扱ってはいませんでした。

「じゃ、ネットだな」

ネットで検索を始めてみると、マクロビオティックで結構ヒットしたことに、まず驚きました。
そのほとんどが、ブログでしたが・・・・・・・


毎日、少しずつですがそれらの記事を読みました。
玄米ご飯も食べ続けていました。(白米と交互にですが。)
何故か、私は混ぜて食べるということはしなかったんです。
玄米には玄米の良さがあって、白米には白米の良さがある。
それらは別々に、味わったほうが良さが際立つと思っていたんです。

そして、白米よりも、玄米の方にシフトしていこうかな・・・・と思い始めた2月。

手帳のtopページには

「私の進む道がはっきりしますように。マクロビオティックについても・・・!」

と書かれていることからも、私の意識がかなりマクロビオティックへ
傾いているということが、分かります。

ちょうどその頃、「ナチュラルスイートがおいしい」という本も買い
玄米ご飯だけでなく、マクロスイーツにも感心が広がってきていました。

その本の中から、簡単そうだからと試したカップケーキを作った日には

「焼きたては、案外美味しかったが、明日になればどうだろうか?
どちらにしても、マクロビはもう少し勉強してみる価値はありそうだ」とあります。


そして、2003年2月12日に

「白米ではなく、玄米only5キロ購入。マクロビオティックまがいをやり始める」

と書いています。


運命の炊飯器を購入してから2ヶ月弱で、私はとうとう、マクロビオティックを
やってみようと決心したのです。

続きは、また。



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