以前、師匠であった方から、
よくこの言葉を言われた。
「生業」つまり「なりわい」。
辞書を引くと「生活をするための職業」とあるが、
その時先生が言われたのは少しニュアンスが違う。
自分が生きる時に柱に据える「業」。
それは一時の経済活動ではなく
社会と対等に渡り合う、自分だけのやり方。
木で言うと「幹ではない」「根だ」と。
ちゃんと水をやり、栄養をやると
木に育つもの。
それが各人にとっての「生業」。
師匠はこう言った。
「生業」だけは誰も教えられない。
「自分でしか見つけられない」と。
「自分の魂に聞け」と。
今、40過ぎて「生業」についているかどうかを
よく考える。大筋はあってるような気がする。
これからの残りの時間で何をするのか。
もうそんなことを考える年だ。
添付画像は僕が3才と4才の時に書いた絵。
母が、日記に張り付けてとっておいたものを
40年近くぶりに見ることになった。
(とはいってもよく覚えてはいないが)
この世界で生きるしかない。
いろいろ回ってそこに落ち着いてる。
よくこの言葉を言われた。
「生業」つまり「なりわい」。
辞書を引くと「生活をするための職業」とあるが、
その時先生が言われたのは少しニュアンスが違う。
自分が生きる時に柱に据える「業」。
それは一時の経済活動ではなく
社会と対等に渡り合う、自分だけのやり方。
木で言うと「幹ではない」「根だ」と。
ちゃんと水をやり、栄養をやると
木に育つもの。
それが各人にとっての「生業」。
師匠はこう言った。
「生業」だけは誰も教えられない。
「自分でしか見つけられない」と。
「自分の魂に聞け」と。
今、40過ぎて「生業」についているかどうかを
よく考える。大筋はあってるような気がする。
これからの残りの時間で何をするのか。
もうそんなことを考える年だ。
添付画像は僕が3才と4才の時に書いた絵。
母が、日記に張り付けてとっておいたものを
40年近くぶりに見ることになった。
(とはいってもよく覚えてはいないが)
この世界で生きるしかない。
いろいろ回ってそこに落ち着いてる。