エスティマ日和

『ぼくたちと駐在さんの700日戦争』2章まで収録の、エッセイ集です。独立しました。

バス停

2005年12月30日 | 雑記
毎年、帰郷のシーズンになると、決まって思い出すことがあります。
もう何年前のことだったでしょう。

毎年、休暇前は仕事に追われ、いつも帰郷は夜中でした。
その日も私は夜の国道を、一路郷里に向けて車を走らせていたのですが、
すでに時計は夜の11時をまわっていました。

峠の国道は、すでに通る車もまばらで、降り続ける雪が視界をさえぎっていました。
運転もいいかげん飽きてきたころ、ヘッドライトが、雪の間に人影をうつし出しました。
とある中学校前のバス停。
それは、ほおかむりをしたおばあさんの姿でした。

ああ、バスを待っているのかな、と、私は、なんの気なしに、そこを通り過ぎました。
しかし。
ふと、考えると、すでに時間は11時すぎ。
もうバスが来る時間ではありません。

私は、正直、ぞっとしました。
言うまでもなく、幽霊を見たのか、と考えたのです。
若かった私は、むしょうにそれを確認したくなり、車をUターンさせて、その現場へともどりました。

すると、バス停には、まだおばあさんが座り込んでいるのです。
おばあさんは、雪をかぶり、ちょうど民話の笠地蔵のようなありさまでした。

どうやら幽霊ではないらしい。

私は車からおばあさんにたずねました。
おばあさんは、一瞬驚きましたが、すぐに笑顔で
「ああ。バスを待っているんだよ」。
と答えました。
「もう11時だからバスは来ないよ」。
私の言葉に、おばあさんは照れ笑いしながら
「ああ、そんな時間かえ」。と言って帰ろうと腰を上げました。

バス停の時刻表を見ると、最終は21時15分。
おばあさんは、少なくとも3時間以上、ここにいたことになります。
「うちまで送るから、乗ってよ。おばあちゃん」。
と言うと、おばあさんは、近いからいい、と、丁重に断りました。
見ると、おばあさんは傘を4本も持っていましたが、それをさそうとしません。
「誰かを迎えにきたの?」と私がたずねると
実は、今日、東京に出て行った次男が、10年ぶりに孫をつれて帰って来るので、
朝からずっとバス停と家とを往復していた、と言うのです。
そして、最終バスが行ってしまったことにも気づかず、最後のバスから、雪の中、ずっとここにいたのです。
傘は、息子と孫が濡れないようにと持ってきていたのでしょう。
でも、おばあさんの頭の手ぬぐいは、すっかり濡れきっていました。

「やっぱり乗っていってよ」と、私が車をおりると
おばあさんは、なにか思いついたように
「ああ。そうだ」
「あんた。ばんごはん食っていかんかえ?」
私が答えに窮していると
「ああ、それがええ。食ってきな」
と、私の手をとってさそいます。
その手の冷たさが、やけに哀しくて、私はおばあさんの誘いを受けることにしました。

車中、おばあさんは、いろんなことを話してくれました。
おばあさんは、旦那様と長男を亡くし、子供は嫁に行った長女と次男しかいないこと。
その次男は、大阪が本社の大手電線メーカーに勤めていて、もう10年会っていないこと。

その息子がひさしぶりに孫をつれて帰ってくるのですから、どんなに楽しみだったことでしょう。

国道沿いの小さな家。それがおばあさんの家でした。

おばあさんの家の四角い食卓には、乗り切れないほどのごちそうが並んでいました。
ごちそう、と言っても、レストランや料亭のそれとはちがいます。
雑煮と鯉、おさしみ、おばあさんのできる、せいいっぱいのごちそうなのでしょう。
さほどの彩りのない食卓に、おそらく孫のために買ったのでしょう。
プリンが2つ。フタが原色で輝いていたのを覚えています。

息子たちに用意されていた料理は、すでに冷たくなっていましたが
あったかくて・・・しょっぱくて・・・。
さほどに空腹でもなかったのに、私はがつがつと食べました。実は嫌いな鯉も。
そうすることが、おばあさんにはいいだろう、と思えたのです。
でも、プリンには手をつけませんでした。
それはおばあさんが、かわいい孫に用意したものだったから。

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私は休暇を終えてもどる時に、再度、おばあさんをたずねました。
息子たちが帰って来たのか、気になったのです。
その日、おばあさんはあの日と同じ笑顔で迎えてくれましたが
息子たちは、とうとう帰って来なかったそうです。

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高速道路が通って、私はその国道を利用することがめっきりなくなりましたが
ある年の帰郷で、ひさしぶりに通ってみることにしました。
そして、私はその日、偶然にも、おばあさんの息子と孫を見ることになりました。

その日、その国道沿いの小さな家で、お葬式がとりおこなわれていたからです。


毎年、帰郷の時期。私はバス停に座っていたあのおばあさんと、
食卓の2つのプリンを。今でもきまって思い出すのです。