教師だった叔父がラジオをつけ母たちと玉音放送を聞いたのを覚えています。父は数ヶ月して飯盒と汚い毛布を持って帰ってきました。
40歳を超えての入隊でした。そのとき父は「俺が行かんと戦争は終わらん」と言って出て行きました。短い経験でしたがその厳しさを
よく話してくれました。
66年目の八月二十一日は雨です。あのころの「分散教育」のことなど沢山思いだせます。原発問題に加えて平和のありがたさをかみしめて
います。
40歳を超えての入隊でした。そのとき父は「俺が行かんと戦争は終わらん」と言って出て行きました。短い経験でしたがその厳しさを
よく話してくれました。
66年目の八月二十一日は雨です。あのころの「分散教育」のことなど沢山思いだせます。原発問題に加えて平和のありがたさをかみしめて
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