10月20日、文京区本郷の男女平等センターにて、ミーダーン~パレスチナ・対話のための広場の発足1周年イベント「パレスチナ・占領40年と抵抗のかたち」に参加してきた。
仕事帰りに寄った僕は、写真展・映画・シンポジウムの三本立て企画のうち、写真展を観る時間はなさそうだとあきらめていたのだが、そういう僕のような者に配慮して、スタッフの方々があとのプログラム開始を少し遅らせてくれたので、問題なく観ることができた。
この写真展は、ミーダーン第一回の集会で上映されたドキュメンタリー(現地NGOが製作)『キャンプに太陽は輝かない』の舞台である、バラータ難民キャンプ(西岸・ナブルス近郊)の11歳~18歳の少年少女たちが、日常生活の中で撮影した写真によるもの。あの映画の中でも、また多くの「パレスチナ問題」を伝える(あるいは“紛争地”全般を伝える)映像情報の中でも、常に撮られる側にいる子供達が、「撮る」側になった時、そこに何が映し出されるのか。
この時僕の脳裏には、先月横浜国際フォトジャーナリズム・フェスティバルの会場で観た、日本の子供達が使い捨てカメラで撮った写真群の記憶があった。それは本来おまけのような企画で、「フォトジャーナリズム」の範疇に収めるようなものではないのだけれど、「世界を発見する」、その瑞々しい目を共有するという意味では、プロのカメラマンたちの写真以上に、僕に大きな感動をもたらした。あるいはプロの写真が「作品」を志向しているのに対して、子供達のそれからは「作品」というフレームを外した、「作品以前」の世界の伸びやかさを感じた、と言うべきだろうか。
そんな日本の子供達の写真と比べ、バラータの子供達の写真は同じなのか違うのか、それを確かめたいと思ったのである。
結論から言えば、同じところもあるし、違うところもあるということになる。当たり前といえば当たり前だが。
同じところ、それはたとえば被写体の人物──多くは同じ子供──の、警戒心のないまなざしである。撮影者自身が子供であることに加え、ほとんどの場合近所の馴染み同士なのだろうから、これまた当たり前だけど。
違うところは、その警戒心のなさが、日本の被写体の場合、永遠にも続きそうであるのに対し、バラータの住民の場合、次の瞬間にはたちまち崩れ去る可能性があるように見えること。もちろん「警戒」は撮影者に向けられるものではなく、自分達の周りの状況──端的にはイスラエル軍に対するものである。子供達でさえもが、いつでも“大人モード”に入る準備を整えているように見える。逆に言えば、彼らの「子供の時間」は、いつでも限定的なものであるように。
そうしたことは、バラータの人々のまなざしから直接というより、一緒に写っている背景との緊張関係から感じられるようなのだ。他のパレスチナ難民キャンプ同様、バラータの路地裏も、劣化したコンクリートむき出しの家、薄汚れた壁、壊れた窓、土煙の舞う舗装されていない道路、そしてがれきから成っている。幼い写真家たちは、それら日常の「殺風景」を、明らかに撮ろうと思って撮っている。日本の子供達が友達の顔を撮ろうという時、背景がどうであるかなど気にとめはしない。だがバラータの子供達は、個人差はあれ、それをかなり明確に意識している。そこが違いであり、その意味ではバラータの子供達の写真の方が「ジャーナリズム」に限りなく接近している、と僕は感じた。
そのように「背景」を意識する視線からは、自分達がその「背景」に閉じ込められている、という気分が伝わってくる。もっと言えば、この「背景」を変えなくては、あるいは鍵をこじ開けてここから出なくては、という気分が。バラータの子供達の視線は、いつもその「鍵」を探しているようにも感じる(それを最も意識して撮っているのは、ハディルという少女だろう──下記サイト参照)。それは必ずしも外の世界への憧れという形をとるばかりでなく(当然それもあるはずだが)、日常目にしている通りの壁や、働く大人たちの姿のすぐ背後に、それがあるように予感しているような感じもする。
その探し求める視線の延長に、しばしば自殺攻撃により「殉教」した青年の写真をあしらったポスターが登場する。あるいはイスラエルの獄中にいる政治犯たちの写真、それを抱え示す身内の者たち。
善悪の問題ではない。それら死者たち、あるいは“敵”に囚われて不在の者達もまた、この難民キャンプの住人であり、子供達とともにいる。子供達は、少なくともこれらの写真を撮った子供達は、「それもまた“鍵”なんだ」ということを、あくまで冷静に受け止めている。そして決して、「それだけが“鍵”なんだ」と思いつめてはいない。ただその者たちが遠い風景の中ではなく、自分達の中にいる、という自然な実感とともに、子供達の日常もあるということなのだ。しかし、言うまでもなくそれは、あってほしくはない綱渡りの日常だ。
彼らの写真から感じる冷静さにホッとしながら、同時にもし、彼らからこうした表現手段さえもが奪われるのを座視するならば、彼らが当事者であるところの「暴力」を批判する資格も、我々(国として占領に加担する側にいる)日本人から奪われるのだということに、思い当たらないではいられない。
「この地の人々とつながって行く」ことを目指すミーダーンの、とりわけ今集会のテーマである「抵抗のかたち」──抵抗の「暴力」に考えを進めるうえで、規模は小さいながら、この写真展は有益だった。銃をとる以外の抵抗のかたちを考え続ける義務があるのは、パレスチナ人だけではないのだ。
写真展で使われた写真はバラータ・キャンプ・ネット内「picturebalata.net」(左フレーム上から二番目)から見ることができる(要ActiveX)。ちなみに、このサイトに載っている各撮影者のコメント(英文)を完訳して、小冊子にしてくれた、ミーダーンのスタッフのさりげない心遣いもありがたかった。
次回は映画とシンポジウムについて報告する予定。
仕事帰りに寄った僕は、写真展・映画・シンポジウムの三本立て企画のうち、写真展を観る時間はなさそうだとあきらめていたのだが、そういう僕のような者に配慮して、スタッフの方々があとのプログラム開始を少し遅らせてくれたので、問題なく観ることができた。
この写真展は、ミーダーン第一回の集会で上映されたドキュメンタリー(現地NGOが製作)『キャンプに太陽は輝かない』の舞台である、バラータ難民キャンプ(西岸・ナブルス近郊)の11歳~18歳の少年少女たちが、日常生活の中で撮影した写真によるもの。あの映画の中でも、また多くの「パレスチナ問題」を伝える(あるいは“紛争地”全般を伝える)映像情報の中でも、常に撮られる側にいる子供達が、「撮る」側になった時、そこに何が映し出されるのか。
この時僕の脳裏には、先月横浜国際フォトジャーナリズム・フェスティバルの会場で観た、日本の子供達が使い捨てカメラで撮った写真群の記憶があった。それは本来おまけのような企画で、「フォトジャーナリズム」の範疇に収めるようなものではないのだけれど、「世界を発見する」、その瑞々しい目を共有するという意味では、プロのカメラマンたちの写真以上に、僕に大きな感動をもたらした。あるいはプロの写真が「作品」を志向しているのに対して、子供達のそれからは「作品」というフレームを外した、「作品以前」の世界の伸びやかさを感じた、と言うべきだろうか。
そんな日本の子供達の写真と比べ、バラータの子供達の写真は同じなのか違うのか、それを確かめたいと思ったのである。
結論から言えば、同じところもあるし、違うところもあるということになる。当たり前といえば当たり前だが。
同じところ、それはたとえば被写体の人物──多くは同じ子供──の、警戒心のないまなざしである。撮影者自身が子供であることに加え、ほとんどの場合近所の馴染み同士なのだろうから、これまた当たり前だけど。
違うところは、その警戒心のなさが、日本の被写体の場合、永遠にも続きそうであるのに対し、バラータの住民の場合、次の瞬間にはたちまち崩れ去る可能性があるように見えること。もちろん「警戒」は撮影者に向けられるものではなく、自分達の周りの状況──端的にはイスラエル軍に対するものである。子供達でさえもが、いつでも“大人モード”に入る準備を整えているように見える。逆に言えば、彼らの「子供の時間」は、いつでも限定的なものであるように。
そうしたことは、バラータの人々のまなざしから直接というより、一緒に写っている背景との緊張関係から感じられるようなのだ。他のパレスチナ難民キャンプ同様、バラータの路地裏も、劣化したコンクリートむき出しの家、薄汚れた壁、壊れた窓、土煙の舞う舗装されていない道路、そしてがれきから成っている。幼い写真家たちは、それら日常の「殺風景」を、明らかに撮ろうと思って撮っている。日本の子供達が友達の顔を撮ろうという時、背景がどうであるかなど気にとめはしない。だがバラータの子供達は、個人差はあれ、それをかなり明確に意識している。そこが違いであり、その意味ではバラータの子供達の写真の方が「ジャーナリズム」に限りなく接近している、と僕は感じた。
そのように「背景」を意識する視線からは、自分達がその「背景」に閉じ込められている、という気分が伝わってくる。もっと言えば、この「背景」を変えなくては、あるいは鍵をこじ開けてここから出なくては、という気分が。バラータの子供達の視線は、いつもその「鍵」を探しているようにも感じる(それを最も意識して撮っているのは、ハディルという少女だろう──下記サイト参照)。それは必ずしも外の世界への憧れという形をとるばかりでなく(当然それもあるはずだが)、日常目にしている通りの壁や、働く大人たちの姿のすぐ背後に、それがあるように予感しているような感じもする。
その探し求める視線の延長に、しばしば自殺攻撃により「殉教」した青年の写真をあしらったポスターが登場する。あるいはイスラエルの獄中にいる政治犯たちの写真、それを抱え示す身内の者たち。
善悪の問題ではない。それら死者たち、あるいは“敵”に囚われて不在の者達もまた、この難民キャンプの住人であり、子供達とともにいる。子供達は、少なくともこれらの写真を撮った子供達は、「それもまた“鍵”なんだ」ということを、あくまで冷静に受け止めている。そして決して、「それだけが“鍵”なんだ」と思いつめてはいない。ただその者たちが遠い風景の中ではなく、自分達の中にいる、という自然な実感とともに、子供達の日常もあるということなのだ。しかし、言うまでもなくそれは、あってほしくはない綱渡りの日常だ。
彼らの写真から感じる冷静さにホッとしながら、同時にもし、彼らからこうした表現手段さえもが奪われるのを座視するならば、彼らが当事者であるところの「暴力」を批判する資格も、我々(国として占領に加担する側にいる)日本人から奪われるのだということに、思い当たらないではいられない。
「この地の人々とつながって行く」ことを目指すミーダーンの、とりわけ今集会のテーマである「抵抗のかたち」──抵抗の「暴力」に考えを進めるうえで、規模は小さいながら、この写真展は有益だった。銃をとる以外の抵抗のかたちを考え続ける義務があるのは、パレスチナ人だけではないのだ。
写真展で使われた写真はバラータ・キャンプ・ネット内「picturebalata.net」(左フレーム上から二番目)から見ることができる(要ActiveX)。ちなみに、このサイトに載っている各撮影者のコメント(英文)を完訳して、小冊子にしてくれた、ミーダーンのスタッフのさりげない心遣いもありがたかった。
次回は映画とシンポジウムについて報告する予定。