ミーダーンの集会「パレスチナ・占領40年と抵抗のかたち」の、写真展に続く2つ目の企画は、佐藤レオ監督による映画『ビリン・闘いの村』。ラーマッラー西方のビリン村で、イスラエルの分離壁建設に抵抗する住民たちに取材した現地ドキュメンタリーである。
このビリン村のことは、その時々の情報をP-navi infoその他で受け取っていた(同ブログの内の検索窓にて「ビリーン村」を入れてみてください)。それによって、パレスチナ/イスラエルの数ある名の知れた「闘争地点」の中でも、非暴力の抵抗運動を通して最高裁判決を勝ち取ったという、一種「模範的な」運動をくり広げている場所、といった感じの認識を、僕は持っていた。
ただし、最高裁で建設ルート変更の判決が下ってからも、イスラエルは入植地の増殖は止める気配がないそうだ(何度言っても言い足りないが、分離壁にしろ入植地にしろ、れっきとした国際法違反である)。なので、そうした実質だけで見たら「勝利」「成功」とは言い難いのかも知れない。しかしそれでも、この映画を通して、僕は希望の片鱗を感じた。それもこのビリン村だけにとってではなく、パレスチナ/イスラエル全域に染みとおる可能性のあるものの片鱗を、である──あくまで片鱗、だけど。
何より印象的だったのは、この地の住民の闘争を支援しているISM(International Solidarity Movemnent=国際連帯運動)と、村人達の良好な関係だ。僕はそれまで、ISMのメンバーというのは欧米からやって来た活動家が多いというイメージを持っていたのだが、数の割合はどうあれ、その中のイスラエル人活動家の存在が、僕が思っていた以上に大きな役割を果たしているらしいことに気づいて、感激した(デモを企画したり指揮したりしているという意味ではない──これについては次回触れる)。デモのやり方がどうこうではなく、そこでパレスチナ人とイスラエル人の共闘がしっかり成り立っている現実を映像で目にすることが、そもそも新鮮だった。世間のパレスチナ報道では、まず触れない部分である。
パレスチナ問題の解決とは何だろうか?もちろん、第一に占領状態の停止がなければ始まらないし、難民の帰還も、賠償も、土地の返還も、・・・問題の解決を「二国家」で図るにしろ「一国家」で考えるにしろ、片付けなければならない課題は山ほどある。だが、どれに手をつけるにしろ、その手始めには双方で歴史認識を共有する必要があり、それには支配者の側にあるイスラエル人の変化が決定的に重要だ。
イスラエル人にとって、パレスチナ人と共闘する以上に、はっきりと「歴史の共有」を示す行為はない。その意味で、この映画に登場するISMのイスラエル人は、すでにその最も重要なステップを踏み出している。あっさりと越えたのか、いろいろな葛藤があったのか、それは知らない。とにかく僕が思うのは、大多数のイスラエル人が彼のようにこの一歩をそれぞれの形で踏み出してくれさえしたら、「パレスチナ問題/イスラエル問題」は半分以上解決したも同然なのに、ということのなのだ。
彼は対峙するイスラエル軍の兵士達に向かって丸腰で叫ぶ。
ビリンの人はこれしか土地がないのにそれも取るのか?
何のために?
金持ちのカナダの会社のためか?
お前らは安全なんか作ってない!
爆弾はポケットにしまえ!
臆病ものめ!
もし俺がお前の親戚だったら、同じことをするのか?
なんでそんなことができるんだ?
お前らがいるべきじゃないんだ。
お前らがここにいることは、法律的にも違法なんだぞ。
どうしたら、そんなひどいことができるんだ?
どう考えたら、それがいいことだと言えるんだ?
お前らは無敵だ。武器をたんまり持ってるからな。
遊びたいなら、コンピューターでやれ。人をもてあそぶな。
これはゲームじゃないんだ。お前にはこんなことをする権利なんてないんだ。
銃はお前になんの権利も与えないぞ。
お前の姿を見てみろ。これがお前の本来の姿か?・・・
(スクリプトより抜粋)
別のISMメンバーは、インタビューの中で「ISMはいかなる種類の暴力も──言葉によるものも容認していない」と語っている。それでは、上のイスラエル人の言葉は「暴力」に当たらないのかと言えば、微妙ではないかと僕は思う。人によってはそう受け取られても仕方ない。何より彼の口調は、兵士達を挑発するとまではいかなくても、明らかに喧嘩腰で叩きつけている。そして彼のこの抗議の後、兵士達は威嚇発砲でデモを蹴散らした。
しかし僕は、彼の抗議する様子を見て、素直に感動した。これが「暴力」だというなら、僕が偏愛してきた数々のロックの曲はみんな「暴力」だ。そして僕は、このイスラエル人の言葉を、「うた」として聴いて感動したのだ。
彼の「うた」が兵士の発砲によって断ち切られ、一見すると「ほら、結局相手を怒らせただけじゃないか、こんな昔ながらのやり方で事態が打開できるのか?ただのパフォーマンスじゃないか?」という疑惑を抱く人も多いかも知れない。しかし、歴史的な観点に立つと、イスラエル軍(いつでもパレスチナ人を射殺する用意がある)とパレスチナ人の間に、イスラエル人の丸腰の人間が割って入り、臆することなく兵士達に「撤退」を勧告するなどという大胆なパフォーマンスが可能になったのは、せいぜいここ10年くらいの話だろう。それは昔に比べて、明らかに進歩したことではないだろうか。
一つのポイントとして、「オスロ合意」の破綻は大きな幻滅を双方に(支配層を除いて)もたらしたけれど(予定調和という話も含めて)、それによってますます窮地に追い込まれるパレスチナの状況を見るにつけ、何かが「ふっきれた」若者がイスラエル国内に増えたのではないか、という気が僕はしている。何か、というのは、おそらくイスラエル人としての体裁、というようなことだったりするが・・・彼らはオスロ合意のように、「上の人間」主導で進められる「和平」になんら幻想を持たないばかりか、さっさとパレスチナ人の中に混じって、勝手に「和平」を実行してしまった。なおかつイスラエル人であることを最大限有効に利用して、パレスチナ人の盾になろうともする。
数の問題ではない。数からすれば、そんな人達はほんの一握りだとしても、そうした人達が確実に出現していることを知らなければ、この地の情勢を見誤るだろうということだ。
もちろん『ビリン・闘いの村』が教えてくれるのは、単に「ビリンでは非暴力の闘いが功を奏した/外国人も応援してくれている」よかったよかった、というような楽観的な状況ではない(そんな楽観的な状況はパレスチナのどこにもないが)。試行錯誤の連続の中で、「非暴力直接行動」の可能性を同胞に知らしめたことと並んで、収穫と言えることの一つが、心あるイスラエル人との連帯なのかも知れない。しかし僕には、それこそは最大の突破口になるはずだと、今さらながら思えて仕方ないのである。
次回にもう少し続きを書く。
ビリン村の情報・写真はBil'in Palestineに豊富にある。
このビリン村のことは、その時々の情報をP-navi infoその他で受け取っていた(同ブログの内の検索窓にて「ビリーン村」を入れてみてください)。それによって、パレスチナ/イスラエルの数ある名の知れた「闘争地点」の中でも、非暴力の抵抗運動を通して最高裁判決を勝ち取ったという、一種「模範的な」運動をくり広げている場所、といった感じの認識を、僕は持っていた。
ただし、最高裁で建設ルート変更の判決が下ってからも、イスラエルは入植地の増殖は止める気配がないそうだ(何度言っても言い足りないが、分離壁にしろ入植地にしろ、れっきとした国際法違反である)。なので、そうした実質だけで見たら「勝利」「成功」とは言い難いのかも知れない。しかしそれでも、この映画を通して、僕は希望の片鱗を感じた。それもこのビリン村だけにとってではなく、パレスチナ/イスラエル全域に染みとおる可能性のあるものの片鱗を、である──あくまで片鱗、だけど。
何より印象的だったのは、この地の住民の闘争を支援しているISM(International Solidarity Movemnent=国際連帯運動)と、村人達の良好な関係だ。僕はそれまで、ISMのメンバーというのは欧米からやって来た活動家が多いというイメージを持っていたのだが、数の割合はどうあれ、その中のイスラエル人活動家の存在が、僕が思っていた以上に大きな役割を果たしているらしいことに気づいて、感激した(デモを企画したり指揮したりしているという意味ではない──これについては次回触れる)。デモのやり方がどうこうではなく、そこでパレスチナ人とイスラエル人の共闘がしっかり成り立っている現実を映像で目にすることが、そもそも新鮮だった。世間のパレスチナ報道では、まず触れない部分である。
パレスチナ問題の解決とは何だろうか?もちろん、第一に占領状態の停止がなければ始まらないし、難民の帰還も、賠償も、土地の返還も、・・・問題の解決を「二国家」で図るにしろ「一国家」で考えるにしろ、片付けなければならない課題は山ほどある。だが、どれに手をつけるにしろ、その手始めには双方で歴史認識を共有する必要があり、それには支配者の側にあるイスラエル人の変化が決定的に重要だ。
イスラエル人にとって、パレスチナ人と共闘する以上に、はっきりと「歴史の共有」を示す行為はない。その意味で、この映画に登場するISMのイスラエル人は、すでにその最も重要なステップを踏み出している。あっさりと越えたのか、いろいろな葛藤があったのか、それは知らない。とにかく僕が思うのは、大多数のイスラエル人が彼のようにこの一歩をそれぞれの形で踏み出してくれさえしたら、「パレスチナ問題/イスラエル問題」は半分以上解決したも同然なのに、ということのなのだ。
彼は対峙するイスラエル軍の兵士達に向かって丸腰で叫ぶ。
ビリンの人はこれしか土地がないのにそれも取るのか?
何のために?
金持ちのカナダの会社のためか?
お前らは安全なんか作ってない!
爆弾はポケットにしまえ!
臆病ものめ!
もし俺がお前の親戚だったら、同じことをするのか?
なんでそんなことができるんだ?
お前らがいるべきじゃないんだ。
お前らがここにいることは、法律的にも違法なんだぞ。
どうしたら、そんなひどいことができるんだ?
どう考えたら、それがいいことだと言えるんだ?
お前らは無敵だ。武器をたんまり持ってるからな。
遊びたいなら、コンピューターでやれ。人をもてあそぶな。
これはゲームじゃないんだ。お前にはこんなことをする権利なんてないんだ。
銃はお前になんの権利も与えないぞ。
お前の姿を見てみろ。これがお前の本来の姿か?・・・
(スクリプトより抜粋)
別のISMメンバーは、インタビューの中で「ISMはいかなる種類の暴力も──言葉によるものも容認していない」と語っている。それでは、上のイスラエル人の言葉は「暴力」に当たらないのかと言えば、微妙ではないかと僕は思う。人によってはそう受け取られても仕方ない。何より彼の口調は、兵士達を挑発するとまではいかなくても、明らかに喧嘩腰で叩きつけている。そして彼のこの抗議の後、兵士達は威嚇発砲でデモを蹴散らした。
しかし僕は、彼の抗議する様子を見て、素直に感動した。これが「暴力」だというなら、僕が偏愛してきた数々のロックの曲はみんな「暴力」だ。そして僕は、このイスラエル人の言葉を、「うた」として聴いて感動したのだ。
彼の「うた」が兵士の発砲によって断ち切られ、一見すると「ほら、結局相手を怒らせただけじゃないか、こんな昔ながらのやり方で事態が打開できるのか?ただのパフォーマンスじゃないか?」という疑惑を抱く人も多いかも知れない。しかし、歴史的な観点に立つと、イスラエル軍(いつでもパレスチナ人を射殺する用意がある)とパレスチナ人の間に、イスラエル人の丸腰の人間が割って入り、臆することなく兵士達に「撤退」を勧告するなどという大胆なパフォーマンスが可能になったのは、せいぜいここ10年くらいの話だろう。それは昔に比べて、明らかに進歩したことではないだろうか。
一つのポイントとして、「オスロ合意」の破綻は大きな幻滅を双方に(支配層を除いて)もたらしたけれど(予定調和という話も含めて)、それによってますます窮地に追い込まれるパレスチナの状況を見るにつけ、何かが「ふっきれた」若者がイスラエル国内に増えたのではないか、という気が僕はしている。何か、というのは、おそらくイスラエル人としての体裁、というようなことだったりするが・・・彼らはオスロ合意のように、「上の人間」主導で進められる「和平」になんら幻想を持たないばかりか、さっさとパレスチナ人の中に混じって、勝手に「和平」を実行してしまった。なおかつイスラエル人であることを最大限有効に利用して、パレスチナ人の盾になろうともする。
数の問題ではない。数からすれば、そんな人達はほんの一握りだとしても、そうした人達が確実に出現していることを知らなければ、この地の情勢を見誤るだろうということだ。
もちろん『ビリン・闘いの村』が教えてくれるのは、単に「ビリンでは非暴力の闘いが功を奏した/外国人も応援してくれている」よかったよかった、というような楽観的な状況ではない(そんな楽観的な状況はパレスチナのどこにもないが)。試行錯誤の連続の中で、「非暴力直接行動」の可能性を同胞に知らしめたことと並んで、収穫と言えることの一つが、心あるイスラエル人との連帯なのかも知れない。しかし僕には、それこそは最大の突破口になるはずだと、今さらながら思えて仕方ないのである。
次回にもう少し続きを書く。
ビリン村の情報・写真はBil'in Palestineに豊富にある。
わたしも先先週から金曜日はビリン村に通っています。
今は、ヘブロンのISMのオフィスからうっています。
はやく映像をみたいです。いい文章ごちそうさまでした。わたしはハードコアパンクス・アナキストで。
なんと!ビリンに実際通ってらっしゃる方からコメントいただけるなんて・・・僕は日本で自堕落な生活を送ってる野郎に過ぎませんが、わずかでも現地の人の役に立てるなら──たとえ気分的な、ちょっとしたことであれ──ブロガー冥利に尽きます。
この映画の中で佐藤監督のインタビューに答えていたイスラエル人は二人いました。一人はシャイ・ポラックという人(ジャーナリストだったか、社会学者だったか、そんな感じの人)、もう一人がISMの活動家で「ヤーリ」という長髪の男性です。このヤーリさんが、兵士達に対峙して上記のセリフを叫んだ人です。
もしビリンで彼を見知っているようなら、よろしく伝えてください。また、僕などに言われるまでもないでしょうが、くれぐれもお気をつけて!
いつかお会いして、現地の様子などご教示いただければ、と思っています。それよりお前も現地に行けよ、という話もありますが・・・。
では、いつか会えることをねがって!
http://mixi.jp/show_profile.pl?id=5635310
http://irregularrhythmasylum.blogspot.com/search/label/shiga
パレスチナに関しては、ミクロレベルの生活記のようなものも含めて、いろんなタイプの文献に目を通してきたつもりの僕でも、シガさんのリポートはすこぶる新鮮かつ魅力的です。また、パレスチナどうこう以前に、世の中について、自分の生き方について、考えさせられるところが多々あります。
これからもよろしく。くれぐれも、お気をつけて!