■リカードは第一次財の価値を理解していなかった
アダム・スミスの『諸国民の富』は次のような文章から始まっている。
「あらゆる国における毎年の労働は資本であり、それが生活上の必需品や利便性のすべてもたらしている」
種々な形で表現されるこれと同じ概念は、近代経済学において最も疑問視されることがない想定とされ、労働が経済を理解するうえで決定的だと論じられている。自然からもたされている財やサービスが労働を可能としており、それなくしては、労働がまったく役立たないという決定的な事実が見落とされている。それどころか、この認識をきっぱりと拒絶するエコノミストすらいる。その典型が、アダム・スミスの最も有力な後継者の一人、デヴィッド・リカード(David Ricardo, 1772~1823年)である。リカードは、経済学上最も名な人物となっているが、それは、自由貿易協定のためのリカードの議論が、当時の大英帝国、そして、現在の米帝国に極めて有用であるからにすぎない。学生向けの経済学の教科書には、リカードの議論がいまだに見出せる。
けれども、リカードの経済論のコアをなすそれ以外の要素には奇妙な主張がある。どのように用いるのであれ、「土地は不滅な経済的価値を保持する」とリカードは主張していた。19世紀前半でさえ、多くの人たちがこのリカードの主張の誤謬を指摘できた。不適切な農業を行えば土壌が痩せて農業に使えなくなる事実はリカードの時代にもよく知られていた。けれども、このリカードの土地に関する考え方は、それ以降、ほとんどのエコノミストが天然資源を扱うやり方を前もって示していた(3-2)。
■農地の豊かさは自然との贈与のやりとりで維持されている
誰かが環境を汚染すれば、結果として、それ以外の人たちも経済的な価値の損失に苦しめられる。ある個人が環境破壊によって利益を得ることを認める社会は、結果てきに社会全体にそのコストを負担させることになる。ギャレット・ハーディン(Garrett Hardin, 1915~2003年)の「コモンズの悲劇」のように、「外部性」の概念を主流派の経済学が取り入れたのはごく最近のことだ。けれども、「外部性」の議論もハーディンの主張も、環境と経済学とのつながりの重要性を見落としている。いずれも、リカードの「不滅な土地」という幻想を大前提として認め、これをあらゆる環境に適用し、「外部性」の問題を例外的な状況として扱っている。
この思考の欠陥性をより明らかにするため、リカードが「その価値が不滅である」とみなした土地についてさらに掘り下げてみよう。リカードの時代のどの農民たちも知っていたにもかかわらず、リカードが理解していなかったことは、それ以外のどの価値とも同じく、農作物の栽培に適した肥沃な土壌は自然発生しないということだった。
肥沃な土壌はただ石が細かくなったものではなく、この宇宙における最も複雑な物質のひとつであり、良質な土壌のほとんどは半分以上が有機物で、完全に腐植化はせず、分析化学者も頭を悩ますほど複雑な有機コロイドとなっている。その土壌内では、絶えずエネルギーや物質が流れ、バクテリア、菌類、藻類、虫、昆虫他の多くの生物からなるこの地球上で最も複雑な生態系のひとつとなっている。
農作物を育てたい農民は、土壌生態系から「富」を引き出すことを試みる。なるほど、農民は土壌のニーズに注意を払うことなく作付や収穫を行える。けれども、それを続ければ数年で土壌養分は枯渇し、作物が育てられなくなるであろう。あるいは、農民はその養分を化学肥料に、天敵を農薬で代用できる。けれども、それを続ければ同収量を得るために、さらに大量の化学資材を使用しなければならなくなり、こうした化学資材を生産するための石油や天然ガスが枯渇すれば、無菌化された土壌と悩ましい害虫だけが残されるであろう。そして、私たちの社会はまさにその兆候を示している。
もし、農民がリカードが言う「不滅の土地」のように、祖父母から継承したのと同じ状態で孫に土地をゆだねたいのであれば、農民は長期的な土壌の健康のために、土壌のニーズを満たさなければならないであろう。別な表現をすれば、農民は、土壌と「物々交換」し、作物との引き換えに土壌が受け入れてくれるものを与えなければならない。
これが有機農業の前提である(3-2)。フランクリン・ヒラム・キング(Franklin Hiram King, 1848~1911年)が『東アジア四千年の永続農業・ 中国・朝鮮・日本』(2009)農文協(Farmers of Forty Centuries or Permanent Agriculture in China, Korea and Japan,1911) で記録された中世の中国や日本の農業システムは、なによりもそのよいモデルである(3-5)。それは、自然の循環に対抗するのではなく、自然とともに働くように20世紀前半の有機農業のパイオニアたちをインスパイアした。現在の有機農法では、ほぼ化学農業に匹敵する収量が得られているが、有機農業がさらに重要なことは、有機農家にとって土地とは所有できる商品ではなく、農民がかかわるコミュニティであって、そのコミュニティに農民の経済が依存していることである。すなわち、作物栽培に適した肥沃な土壌は、作り出されるものであり、ひとたび作り出されても維持されなければならない。さらに、土壌がそれ以外の工業製品と決定的に異なっているのは、この肥沃な農地を作り出し維持するために必要とされる労働のほとんどは、人間によってはなされないということなのである(3-2)。
この概念をさらに発展させてみよう、ある農民が畑からではなく、近くの先住部族の村から農作物を得ているとイメージしてみてほしい。先住民たちは保守的で、その経済も伝統的なしきたりに従っている。そこで、農民が作物を得たければ、先住民たちが嬉々として作物と交換したがるものを見つけ出さなければならない。既に余剰に生産されているものや先住民が嫌悪するものは不適切で、不足しているものや望まれるものが適切であろう。農民の先住民の村との関係性は、有機農家とその農地との関係性とアウトラインではまさに同じであろう(3-2)。
■マルクスが自然の贈与を理解していなかったことから社会主義国家では環境破壊が生じた
この自然に対する依存は、経済活動のほぼすべての形式に該当する。第二次財を産み出す人間活動の背後には、驚くほどの人間以外の活動がある。そして、人類が第一次経済のキャパシティーを超えてしまった兆しは、身の回りにすべてある。世界の「在来型(液体性)石油」の生産が2005年にピークに達したことは、そのひとつにすぎない。ミツバチの大量死も別の兆しだ。原因が何であれ、人間の財・サービス生産が依存している自然システムはおかしくなってきている。人間の経済活動を可能にしている自然システムが、私たちが課す負荷の下で壊れ始めてきているけれども、「自然の富」のためには人間以外の世界に対して支払う必要がないとされ、人間の労働によってそれ以外のものに転換されるまでは、自然の富は無価値だとされている。例えば、マルクスも「自然からの無償の贈与」をまったく評価していなかった。20世紀のマルクス主義政権下において、環境問題が発生したことは、偶然ではない。それは、マルクス主義から理論上必要な派生物だったのである(3-2)。
■アダム・スミスは「マネー=富」ではないと警告していた
これだけで十分に気力はくじかれる。けれども、私たちの苦境はそれだけではない。第一次財と第二次財とには違いがあることを見てきたが、自然によっても人間の労働によっても産み出されない三番目の財がある。それはマネーである(3-2)。第一次経済はサバイバルに欠かせず、第二次経済も、自然から直接的にはもたらされることがないとはいえ、実質資産のすべての源である。一方、マネーは富ではなく、ただ冨を測定する尺度にすぎない。富を分配するための社会的メカニズムとして機能する指標にすぎない。
もちろん、アダム・スミスの時代においてもマネーを冨と同じものと見なすことが一般的だった。けれども、アダム・スミスは、『国富論』において、この概念を批判している。アダム・スミスは、国の富とは、天然資源と労働の成果から構成されると指摘していた。それは、ここでの表現では、第一次経済と第二次経済によって産み出された財・サービスである。一方、マネーからなる「第三次経済」は、ただ富を測定し、その分配を管理する手段にすぎない。現実にそれを支える実質資産、第一次経済と第二次経済で生み出された財やサービスがなければ、それは何ら意味がない。
なるほど実質資産は、数値化することが簡単ではない。一方、マネーは富を測定する単位であることから定量化することが容易い。これが、様々な富を交換するために、とりあえずの手段として、その相対的な価値を分類するためにマネーを使う理由なのだ。けれども、冨の測定手段としてあまりにも便利であることから、マネーは冨そのものの影を薄くしてしまう。日常生活のすべてがマネー化され、マネーなしでは何もできなくなっているため、マネーと富とが混同されている。ほとんどのエコノミストたちが、「富」について語っていながら、実のところは「マネー」について語ってしまうのもそのためだ。これは、私たちが「マネー」に関してまず子どもたちに教えるべきものだろう。そして、「マネー」に関してエコノミストたちにまず教えるべきものでもあるべきだ。けれども、もちろん、そうなってはいない(3-3)。
■マネーだけあってもモノがなければ生きられない
最近では、多くの人たちは多額の「マネー」を集めることが、困難な未来への最良の準備だと考えている(3-3)。けれども、マネーの異常性を明らかにするため、極端な事例を思考実験してみよう。乗客全員がエコノミストである飛行機が、太平洋上の不毛な島に不時着したとイメージしてみてほしい。その島には露岩と砂とわずかな草があるだけで、食料も水も家もない。エコノミストたちは、アタッシュケースに100万ドルを抱えて沈む飛行機から島にやっと漂着する。その島での需要は、食料、水、家である。けれども、その需要は島に船が到着するまでは、マネーがあっても満たされない。つまり、経済学は物理的な現実には打ち勝てない(3-1)。
不毛な島のエコノミストたちの思考実験を続け、今度は、エコノミストたちが餓死を心配する必要がないだけの水や食料が島に不時着したとしてみよう。島のエコノミストたちは各自が手にしている100万ドルに相当する生活水準を手にしているだろうか。もちろん、してはいない。彼らの豊かさは、手にしたパンの木の実や捕らえる魚、建てる小屋等によって測定されるであろう(3-3)。
■逆説の未来への教訓~贈与経済の威力
このように、第一次経済、第二次経済、そして、第三次経済の違いは大きい。けれども、まったく異なるこうした三つの経済を、あたかもそれらが同一であるかのように扱っていることが、経済的な愚行を避けられなくしている。この違いが現在の苦境の中心となっている(3-2)。前述したとおり、「第一次財」の価値を評価することは、どのマネー制度においても大きな難題である。そして、マネーは、「第一次財」のように大きな財の評価を簡単にするのではなく、むしろ難しくする。
けれども、世界中の長期的に生きのびてきたほとんどの伝統社会は、「第一次財」の価値を認め、なんらトラブルを抱えることなく、自分たちの交換システム内にその価値を統合するやり方を見出してきた。例えば、カナダの北西海岸に沿う、約70万人、630以上の先住民、ファースト・ネーション(First Nations)における「サケの儀式」がその適例である。ファースト・ネーションのような社会は伝統的に贈与経済を持ち、その社会的な地位や影響力は贈与システムによって獲得され、その社会内において物的な富を循環させるうえできわめて効果的に機能させてきた(3-2)。ある者が多くの権力を持ち、あまりにも多くの富をその手に集めないようなシステムを構築してきた。狩猟採集社会においては、大きな獲物の肉をわかちあうことが慣習的なルールになっており(3-1)、クン族は、伝統的なしきたりにしたがってバンド間でヌーをわかちあってきた (3-3)。多くの部族社会の伝統的な社会的規範は、酋長の地位を維持するには気前が良く寛大であることを求め(3-1)、カナダ・ブリティッシュコロンビア州に居住する先住民族(ファーストネーション)のハイダ族(Haida)の酋長は、来訪者全員にポトラッチで毛布やサケをわかちあってきた(3-3)。
そして、彼らは毎年のやってくるサケを、「サケの人々」からの贈与として、まさに同じように扱っていた。サケを保全する伝統的な実践は、サケの収穫に影響しないよう決定されてきたが、「サケの人々」は、贈与経済に完全に参加できても、それを現金化したり、言えば書きとめる方法はなかった。こうした取り決めは無貨幣経済においてはほぼ普遍的で、歴史上マネーをささやかなやり方でしか用いてこなかった多くの経済において見いだせる。人類学者はこうした取り決めを純粋に宗教的な問題として扱っているが、その重要な中心的な面を見逃している(3-2)。中世の小農は領主のためにある日数だけを働いていた。けれども、誰も、マネーを使ってはいなかった。古代エジプトの複雑な都市社会も完全にマネーなしで千年も運営されていた(3-3)。一方、経済がより完全にマネーに従うようになればなるほど、経済的な計算に第一次財を組み込むことが困難となっていく。贈与は、伝統的な第二次経済を自然の第一次経済へと統合するやり方だったのである(3-2)。
【引用文献】
(3) John Michael Greer, The Wealth of Nature: Economics as if Survival Mattered, New Society Publishers,2011.
(4) ウィキペディア
リカードの画像はウィキペディアより
ハーディンの写真はウィキペディアより
キングの写真はこのサイトより
ハイダ族の集落の写真はウィキペディアより