
なかなかお得な好吃(ハオツー)クーポンでのランチ。 初回は「廣東飯店」にて豚バラ玉子とじ丼をいただいたわけだが、第2食目はどこにするか。 中華街を歩きながら考えた。 「獅門酒楼」の牡蠣たま丼か、「鳳林」のアサリ麺か、それとも「四五六菜館本館」のトマト入り洋風麻婆豆腐にするか、さんざん悩んだ結果、「興昌」の台湾ラーメンを選択。 ピンボケ、手振れで大変見苦しい写真になってしまい申し訳ないが、大食いでない限りそこそこのボリュームだったし、麺の茹で具合も問題なし。 チャーシューが美味しい♪ それ以上に良かったのはスープだ。トッピングされた焦がしネギもポイントが高い。 これでクーポン2枚。500円相当である。 さて、食後は所用で桜木町方面へ。 何週間ぶりかで駅舎を訪ねると、いろいろなところが変化していた。 ![]() 蕎麦の「川村屋」が入っていた部分には観光案内所が。 その中に横浜銘品館も。 ![]() コンコースの柱には鉄道に関する展示がある。 これは以前からあったものだが、ほかに「追憶の野毛・桜木町駅」なんていうパネルが増えていた。 ![]() 懐かしい風景がジオラマになっているので、ご覧いただこうか。 ![]() ホームで電車を待つ人々が上手につくられている。 根岸線の色はこんなだったなぁ… 埋立てによって失われた海を象徴するかのようにブルーの車体だった。 駅の向側は野毛の町。丸屋根の建物…かすかに記憶がある。 ![]() ![]() 南側から見た風景。 近づいてみよう。 ![]() レトロで懐かしい雰囲気の駅舎だったなぁ… 根岸線が延伸されるのは昭和39年(1964)。 それまではここ桜木町が終着駅だった。見た感じ、それっぽいでしょ。 駅の構内はこんな感じだったよ。(昭和31年) ![]() 現在、蕎麦屋になっている「川村屋」は食堂として営業していた。 桜木町駅の右側には東横浜駅も見える。 ![]() これは昭和40年代の風景であるが、たしか平成の初め頃だったか、この路地の奥に朝までやっている居酒屋があったと記憶している。 「一力」っていったかな。 ![]() 初代横浜駅から桜木町駅、そして3代目横浜駅までの変遷。 ![]() なかなかタメになるよ。 ![]() 式典列車に乗った人びと。 ![]() 9両編成だったのね。 ![]() 工事の写真や資料。 ![]() こちらはシアル桜木町の1階天井。 横浜市電の系統図だ。 ![]() 私が横浜に来たときには、すでに市電が廃止されていたので乗ったことがないのが残念… ![]() 新しくなった桜木町駅の夜景。 (別な日に撮影したものです) ![]() |
蕎麦屋とも食堂?居酒屋?みたいな店でした。(笑
桜木町改札の中に写真があるのはご存知でしたか?
http://isonojii.blog28.fc2.com/blog-entry-92.html
一応 撮影しておきましたにで、宜しければ。m(__)m
自分が初めて桜木町の駅ホームに立ったのは、昭和44年頃ですが、今のMM地区に蒸気機関車が止まっていた、かすかな記憶があります。
あの頃、そんなことがあり得たのかなぁ。
そうでした、食堂みたいな居酒屋でした。
あの場所から撤退して、どこかで再開していたような気が・・・
桜木町駅の写真、私もいつも眺めていました。
切符売場の写真とかも。
あの色に復活してほしいです。
銀色は好きじゃないです。
そうですね、昔の移置に戻った感じです。
今は蕎麦屋ですが、明治時代におにぎりを駅弁として販売する店として始まっています。
東横浜駅にはチッキを利用するため訪れたことがあります。
野毛方面の鉄道敷地予定跡を見渡していつも思うのは、
ここに鉄道省 京浜線予定線が出来ていれば
横浜の鉄道の有り様が全く違っていただろうと
色々想像するのも楽しいです。
碁盤の目状の野毛町・宮川町に、
一部だけ曲線を描くあの道路ですね。
震災前は鉄道省(国鉄)桜木町駅から日ノ出町に延伸させようとしていました。
震災で計画は消えてしまい、その後、
湘南電気鉄道が日ノ出町から桜木町へ伸ばそうとしていましたが、
この計画も消えてしまい、
線路予定地だけが残ったのです。
近々行ってみようかな。
新しい店、いつも混んでいてまだ入っていないのです。