10月6日(土曜)のことだが、新杉田駅前にある「杉田劇場」で横浜市の太田正孝市議の演説会があった。 「杉田劇場」は2005年にオープンしたそうだが、当初はストリップ劇場と間違えられるようなネーミングに対し、一部の人たちから反対の声もあがっていたという。 たしかに○○劇場というと、私らの年代の男性諸氏はあれを思い起こすかもしれない。「京浜ミュージック」、「生麦ミュージック」、「春風座」、「ロック座」などのように「ミュージック」と「座」がストリップ劇場の定番名称だったが、なかには「黄金劇場」とか「野毛劇場」というのもあった。 「黄金劇場」の場所については、以前の記事で書いたので、そちらをご覧いただくとして、「野毛劇場」というのは現在の場外馬券売り場の向かい側にあった。 ≪昭和60年代の明細地図≫ 細長い劇場で、いつオープンして、いつ閉館したのかは記憶にないが、それほど長く営業はしていなかったと思う。しかし、このストリップ劇所が閉館したあと、そこに入った店には強烈な印象がある。たしか「ホルモン道場」といったはず。(間違っていたらゴメン……) この道場の「道」を「劇」と読み間違えて、「ホルモン劇場」という名のストリップに変ったのか、と思ったのだ。 さて、その「野毛劇場」の向かい側の場外馬券売り場は今でも健在だが、ここには戦後、マッカーサー劇場(にちの吉本映画劇場)と横浜国際劇場があった。 昭和の歌姫・美空ひばりがブレイクしたのは、昭和23年に出演した「横浜国際劇場」からというのが定説であるが、それ以前に彼女が歌っていたのが、当時、磯子にあった「雅典(アテネ)劇場」であり「杉田劇場」なのだった。 現在の杉田劇場は磯子区の区民文化センターという位置づけということもあって、昭和21年から25年まで存在した旧「杉田劇場」の名称を引き継いでいるのである。 一方の「アテネ劇場」は昭和30年代に「磯子映画劇場」と名前を変えて、映画館になったようだ。当時小学生だった知人たちによると、ピンク映画やストリップもやっていたというが、そのへんの事情は不明である。 そんなことが誰か一部の人たちの頭の中で絡み合って、「杉田劇場」=「ストリップ劇場」というふうに結びついてしまったのかもしれない。しかし、現代の「杉田劇場」はあまり名前を知られていないが、そうそうたるアーチストが出演している、スゴイ劇場なのである。 HPを見ると、あんな人やこんな人も出ていたのか、と驚かされるよ。 昨年のアーカイブには、3月8日に加藤登紀子さんが出演していたことが記録されている。美空ひばりとエディット・ピアフの曲を歌ったらしい。知っていれば聴きに行きたかった……。 8月29日には、美空ひばり、江利チエミと一緒に「三人娘」と呼ばれた雪村いづみさんも歌いに来ているぞ。 9月25日には時代劇の公演があり、なんと市川猿之助さんまで登場! さらに遡ってみていくと、和泉元彌、山本陽子、仁科亜季子、河原崎國太郎、横内正といった日本の役者さんのほかに、チェコ・フィルハーモニー・コレギウム合奏団、ベルリン・フィルハーモニー弦楽五重奏団、プラハ・バロック合奏団なんていう海外アーチストもコンサートを開いていることが分かる。 と、まあ、こんな凄い人たちが出演している「杉田劇場」に、なんと枝野さんが現れたからビックリ。私は太田市議の支持者ではないけど、「えだのん」が来るというので見に行ってきたのだ。いや、見るだけではない、演説も聴きたかったからね。 身体は小柄だけど、やっぱり演説が それから、SPが10人も付いているんだよ。しかも演説している間は舞台の両袖に2人ずつ配置されて、開場をずっと監視していた。 そういえば、1960年に起きた浅沼稲次郎暗殺事件は10月12日だった。10月6日、枝野代表の演説を聴きながら、そんなことも思い出した。 ←素晴らしき横浜中華街にクリックしてね |
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