
これは昭和34年の地図。万国橋のたもとにあった「寄場」が表示されている。 寄場というのは、日雇い労働の仕事を求める人たちと、彼らを必要とする求人業者が多数集まる場所のこと。 当時の仕事といえば港湾労働だ。クレーンやコンテナがない時代は人力での作業がメインで、それを担っていたのが日雇い労働者だった。 昔はここから艀(はしけ)に乗って沖に停泊する貨物船に向かった。(見ていたわけではないけど……) 当時の様子は『岩波写真文庫復刻ワイド版 都会の記録』で知ることができる。以下の写真はその中に載っている沖仲士関係のもの。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 今も、この場所には横浜公共職業安定所横浜港労働出張所の建物があるけど、業務はやっていないようだ。港のそばにある必要がなくなっているから寿地区に移転したみたい。 ![]() |
写真、迫力があります。
この本は図書館で見られるのですか?
「あぶれ手当」というのもあるのですねえ。(いまも?)
この本は図書館にあります。
各館に散らばっているようですが…
アブレ手当は今もあります。
日雇い雇用保険に入っている人で、
2か月間に26日以上働いている場合に、
翌月、日雇いの仕事がなかったら手当をもらえます。