中華街ランチ探偵団「酔華」

中華料理店の密集する横浜中華街。最近はなかなかランチに行けないのだが、少しずつ更新していきます。

疑惑のマンダリンブラフ

2015年12月04日 | レトロ探偵団

 これはペリー艦隊が作製した江戸湾の海図である。

 基本的には海底の深さを表示するのが目的のようであるが、航路の目標となるものについてもいくつか表示している。


 砂嘴状の横浜村を「YOKUHAMA]と記載。
 彼らには「ヨコハマ」が「ヨクハマ」と聞こえたのかな。

 そのヨクハマの前面に広がる海が横浜湾「YOKUHAMA BAY」だ。
 そして現在、根岸湾と呼ばれている海は「MISSISSIPII BAY」と名付けられている。ペリー艦隊のなかのミシシッピー号にちなんで名付けたという。


 ハイネが描いた「ペリーの横浜上陸」図。
 ※武士に連れられている子どもが描かれているが、この人物はのちにトミーと呼ばれる立石斧次郎と思われる。これについては別記事で書いてみたい。


 砂嘴の中ほどに家々が点在し、その先に「Treaty House」と書かれているところが、日米が交渉する場、横浜応接所である。

 その海岸線を下の方へ辿っていくと、「Mandarin Bluff」(マンダリンブラフ)、「Haycock」(ヘイコック)、「Treaty Point」(トゥリーティポイント)という地名が記載されている。
 これらはペリー艦隊が根岸湾から横浜湾へ入り、横浜応接所に近づくための目標物となったものだ。

 現在、いろいろな資料を見ると、「Mandarin Bluff」は“オレンジ色をした崖”と訳され、具体的な場所として本牧十二天があげられている。
 次の「Haycock」については、今までその日本語訳や場所を示した文献に、私は辿り着いていない(調べ方が下手なのか)。

 そして「Treaty Point」。
 これは“条約岬”(本牧岬)である。

 一部にこの「Treaty Point」を“条約地点”と訳している本があり、それを引用した文献も出回っているので気をつけなければならない。
 そんな誤訳をしているのは『外人記者のみた横浜 “ファー・イースト”にひろう』(大野利兵衛 訳編)。
 pointには“地点”の他に、“岬”という意味もある。

 ついでだが、原典を当たる場合でも、ファー・イーストの記者自身に書き間違いがあるので注意が必要だ。
 たとえば、フランス波止場と西波止場を混同していたりするからね。


 それはさておき、ここで問題にしたいのは、「Mandarin Bluff」と「Haycock」だ。
 まず「Haycock」。
 辞書を見ると円錐状の干し草の山とある。
 西部劇によく出てくる、あのワラの塊りだよね。

 ペリーの海図では、なんとなく小さい方の出っ張り部分を「Haycock」として示しているようにみえるが、はたしてそうなのだろうか。


 これは昭和60年頃の本牧十二天。


 そして現在の本牧十二天。

 どうだろう、干し草の山のように見えるでしょ。


 だから大きい方の出っ張りが「Haycock」=「本牧十二天」なのだ。
 そう考えると、出っ張りの部分の横に記載されている「Mandarin Bluff」は、この一点を指し示しているのではなく、ここから始まる連続した崖地に対して名づけていると思える。

 現在、この急傾斜地にはコンクリートで防災工事が施され、さらに緑化もされているので分かりにくいが、昔は茶色い地肌が剥き出しだったはず。
 屏風のようなブラフが元町まで続いていたのだ。
 マンダリンブラフと呼びたくなるでしょ。

 現に、この台地の上には居留地があったり、外国人が多く住んでいたため、住所を表すのに「ブラフ**番」というような言い方をしていた。

 本牧にアメリカンスクールがあった頃、そこに通っていた学生には「ブラフ」に住んでいる子が多くいたという。
 そんな彼らが昔を思い出して、こんなことを言っている。

The Missionaries and wealthier class of foreigners reside on Mandarin Bluff, a large hill overlooking the Gulf of Tokio and forming the eastern arm of the I was determined to go to sea.

 この人は宣教師や裕福な外国人が住んでいたマンダリン・ブラフと言っている。もし、マンダリン・ブラフが本牧十二天をさすなら、あんな狭いところに人間は住めない。
 この人が言うマンダリン・ブラフとは、まさに山手地区のことなのではないのか。


 当時の本牧十二天はこんな感じ。これがオレンジ色の崖とは思えないのだが…

 

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6 コメント

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Unknown (いその爺)
2015-12-05 15:43:44
至極納得です。

ココリコ坂のヒロインが住む家が、時代こそ違いますがマンダリン色の崖をモデルに書かれているのではと推測していました。

MISSISSIPII BAYは昔読んだ本(?)に"彼等の故郷に何処か似ている この美しい湾をMISSISSIPII BAYと名付けた。"などと読んでから文章が頭に刷り込まれていましたが。。。
アハッ 船名ですよね。(笑

思い込みってこわいです。
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ミシシッピー (管理人)
2015-12-06 07:05:43
>いその爺さん
私も故郷の風景に似ているからそう名付けたと聞いたことがあります。
本牧の海浜住宅地区にナスグブビーチと名付けたエリアがありました。
あれは彼らが占領していたフィリピンの海と似ているという理由でそう呼んだそうです。
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Unknown (つちころり)
2015-12-07 22:41:50
江戸がYEDOですからね。
当時の発音って、そうだったのかな?
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発音 (管理人)
2015-12-07 23:00:39
>つちころりさん
当時の日本人の発音を聞いて、
アメリカ人はこのように聞こえたんでしょうかね。
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疑問氷解 (nobulxx)
2018-07-21 09:37:19
長年の疑問が氷解しました。
Haycockは次の辞書に写真も載っていますが、瓜二つですね:
https://ejje.weblio.jp/content/haycock
Mississippi(スペリングが違っているのが残念でした!)Bayは、多くの文献に「故郷の海に因み」とありますが、ミシシッピは川または州の名で、崖のない地域にあるので、永年不思議でした。船の名前でしたね。
Mandarin Bluffも十二天のことでなく、山手のことだと納得がいきます。ただし、本当にミカンの色でしょうか? 「役人」あるいは「官服(の色)」では?
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Unknown (管理人)
2018-07-23 06:49:30
>nobulxxさん
Mississippi(スペリングが違っているのが残念でした!)
ご指摘ありがとうございます。
役人説もありますね。
でも役人が住んでいたのはここではなく、
野毛の山でした。
やっぱりマンダリンブラフは山手でしょう。
今でもブラフ**番という表札を見かけます。
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