ここは弁天橋のたもと。桜木町駅側にこんなものがある。 太陽光発電のパネルの説明が掛けられた小屋だ。 しかしその上には市庁舎につながる歩道橋があり、その影が小屋に覆いかぶさっているし、第一、パネルが見当たらないのだが……。 この歩道橋ができる前はどうだったのか、ストリートビューで確認してみると… 2017年の様子。こんなデカいパネルが設置されていたのだ。 2019年の様子。市庁舎も出来上がり、パネルのあった場所には工事用のフェンスが設置されて、パネルが見当たらなくなっている。 そして2022年。パネルは何処へ…… 市庁舎の海側にこんなのがある。 航路標識管理所倉庫の基礎だ。 さらに、その近くにはこんなものもある。 航路標識管理所の煉瓦造導水管だ。 関内地区では卵形の煉瓦造下水管やアーチ形の石造下水管が発見されているが、アーチ形の煉瓦造導水管は初めての発見だとか。 航路標識管理所というのは、北仲地区が開発される前に残っていた国の事務所だ。左奥に写っているのは帝産倉庫。 黄色で囲った標柱は「電信初試験の地」記念碑で、赤で囲った石柱は航路標識管理所の門柱である。 「灯台局発祥の地」 その右横には「灯台補給船 若草の錨」があった。 さらに、こんな記念碑もあった。明治7年(1874)、「洋式試験灯台」が完成した時に明治天皇、皇后両陛下の行幸啓があり、それを記念して昭和30年(1955)11月、「明治天皇行幸址」の碑が設置された。 この行幸碑が設置されたとき、灯台をこの場所に復元して点灯式を行ったそうだ。 北仲地区にはこのような記念碑、記念物がたくさんあったのだが、これらは今、どこにいってしまったのだろうか。 インターネットで調べてみると… 「灯台局発祥の地」はここに新しく作られていた。 「灯台補給船 若草の錨」は野島埼灯台に移設されていた。 「明治天皇行幸址」は横浜海上保安資料館の前に移設されているらしい。 「電信初試験の地」は……行方不明みたい…… 移設され残ったものと、行方不明の記念碑との違いは何か。残されている物の所管は海上保安庁なのに対し、もう一方の「電信」を所管している官庁は総務省なのかな。両者の歴史に対する向き合い方の違いが、ここに現れているのだろう。 市庁舎海側に建築されるマンションの建築計画j。これによると建築主は東急・京急・第一生命で、40階建て、704戸が入る共同住宅+マーケットとなっている。完成予定は2027年6月だそうだ。 こんなものを見たあとは、作治さんとビールを侘しく呑みながら昔話。 この辺一帯はものすごい変わり様であることを再確認した次第。 ←素晴らしき横浜中華街にクリックしてね |
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