中華街ランチ探偵団「酔華」

中華料理店の密集する横浜中華街。最近はなかなかランチに行けないのだが、少しずつ更新していきます。

桜木町から市庁舎周辺へ そのあとは作治さんと一杯

2023年12月03日 | レトロ探偵団

 ここは弁天橋のたもと。桜木町駅側にこんなものがある。


 太陽光発電のパネルの説明が掛けられた小屋だ。


 しかしその上には市庁舎につながる歩道橋があり、その影が小屋に覆いかぶさっているし、第一、パネルが見当たらないのだが……。


 この歩道橋ができる前はどうだったのか、ストリートビューで確認してみると…


 2017年の様子。こんなデカいパネルが設置されていたのだ。


 2019年の様子。市庁舎も出来上がり、パネルのあった場所には工事用のフェンスが設置されて、パネルが見当たらなくなっている。


 そして2022年。パネルは何処へ……


 市庁舎の海側にこんなのがある。


 航路標識管理所倉庫の基礎だ。


 さらに、その近くにはこんなものもある。


 航路標識管理所の煉瓦造導水管だ。


 関内地区では卵形の煉瓦造下水管やアーチ形の石造下水管が発見されているが、アーチ形の煉瓦造導水管は初めての発見だとか。


 航路標識管理所というのは、北仲地区が開発される前に残っていた国の事務所だ。左奥に写っているのは帝産倉庫。
 黄色で囲った標柱は「電信初試験の地」記念碑で、赤で囲った石柱は航路標識管理所の門柱である。
 

 「灯台局発祥の地」


 その右横には「灯台補給船 若草の錨」があった。


 さらに、こんな記念碑もあった。明治7年(1874)、「洋式試験灯台」が完成した時に明治天皇、皇后両陛下の行幸啓があり、それを記念して昭和30年(1955)11月、「明治天皇行幸址」の碑が設置された。


 この行幸碑が設置されたとき、灯台をこの場所に復元して点灯式を行ったそうだ。 

 北仲地区にはこのような記念碑、記念物がたくさんあったのだが、これらは今、どこにいってしまったのだろうか。
 インターネットで調べてみると…

 「灯台局発祥の地」はここに新しく作られていた。
 「灯台補給船 若草の錨」は野島埼灯台に移設されていた。
 「明治天皇行幸址」は横浜海上保安資料館の前に移設されているらしい。
 「電信初試験の地」は……行方不明みたい……

 移設され残ったものと、行方不明の記念碑との違いは何か。残されている物の所管は海上保安庁なのに対し、もう一方の「電信」を所管している官庁は総務省なのかな。両者の歴史に対する向き合い方の違いが、ここに現れているのだろう。


 市庁舎海側に建築されるマンションの建築計画j。これによると建築主は東急・京急・第一生命で、40階建て、704戸が入る共同住宅+マーケットとなっている。完成予定は2027年6月だそうだ。


 こんなものを見たあとは、作治さんとビールを侘しく呑みながら昔話。
 この辺一帯はものすごい変わり様であることを再確認した次第。


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