
冬桃さんが運営されているブログに最近、こういう記事が載りました。 神奈川新聞「消された天使たち」(2015.8.12) この根岸外国人墓地は山手駅のすぐ裏にあります。 左に見えているのが駅舎で、坂道の先に写っているオジサンの右側が墓地の入口。 こんな間近にあるのに、その存在すら知らない市民は多いようですね。 ![]() 私はずいぶん前からこの墓地のことは知っていましたが、残念ながら、入り口前に立つ案内板に書かれた英文の方は迂闊にも読んでいませんでした。 日本語による由来文を普通に翻訳してあるんだろう、そんな風に考えていましたから、英語の部分を撮影すらしていなかったのです。 ![]() これが案内板の現状です。 「根岸外国…」あたりまではよく読めますが、それ以外はかなり摩耗しています。 ![]() とくに、問題の英語部分はほとんど判読不能ですが、見る角度を変えたり、近づいてみたりするとそこに何が書かれていたのか、次第に判明してきます。 白っぽい文字の痕跡と、黒っぽいカーボンのような文字写りが二重になっているのは、最初に書かれていた説明文の上に、書き直した巨大なシール状のものを貼っていたことの証拠なのでしょう。 そのシールが永い年月を経て剥がれていったのか、あるいは誰かが悪戯で剥がしたのか、その経緯は不明ですが、現在はご覧のような小さくて細長い部分だけがかろうじて残っております。 さて、ここで10分ほど眺めていたら、こんな英語が浮かび上がってきました。もちろん白い痕跡の方ですよ。 foreigners who were killed The Great Earthquake and babies who are born fathered Military civilians and Jananese women after the World War Ⅱ are buried here ![]() これは私がずいぶん前に撮影したときの案内板。英文の方を撮影しなかったことが、今となると残念です… でも、一部写っている英文から、どうもこれは2度目の書き直しした解説板のようですが…… それから、この場所には仲尾台中学校歴史研究部(顧問田村泰治先生)の生徒さんたちが手書きで作った成果物が掲げられていたと記憶しています。 しかし、これも撮影していなかったので、詳細は不明です。 チャリティーソング「丘の上のエンジェル」 (作曲・歌 エディ藩 作詞・山崎洋子) いい歌ですけど、画像の方にも注目してみてください。 「ん?」と思うモノが写っているのです。これについては、のちほど検証します。 ![]() この根岸外国人墓地には、いろいろな慰霊碑やお墓があります。 たとえば、解説板にも出てくるアウセィ・ストローク氏の顕彰碑。 ![]() アウセィ・ストローク氏は大正8年から37年にわたって、ハイフェッツ、シャリアピン、メニューヒンなど世界一流の音楽家多数を日本に紹介したそうですが、その功績をたたえて昭和30年代に朝日新聞社が碑を建立しました。 ![]() 1942年11月30日、新港ふ頭内でドイツのタンカーと仮装巡洋艦が爆発した際の事故犠牲者の慰霊碑。 ![]() そこにはこんなことが書かれています。 1942年11月30日横浜港での爆発事故により犠牲となったタンカー「ウカーマルク号」並びに「第10仮装巡洋艦」のドイツ人乗員61名を偲んで 在日ドイツ連邦共和国大使館 横浜山手ライオンズクラブ 1994年11月 復刻 当時は敵国人による破壊工作ではないかと疑われたそうです。 この日のことを鮮明に覚えている地元の古老(S氏)から聞いたことですが、爆発が起きてすぐに「中国人が爆破した」という噂が流れたそうです。 多くの市民が関内から逃げてくるのに、好奇心旺盛なS翁は逆に黒煙のあがる横浜港に向かって走って行ったとか。何が起きているのか見たかったのでしょうね。 でも、これは工作員による爆破ではなく、乗組員の不注意による事故だったそうです。 このような慰霊碑や顕彰碑を見に行ってみようと思った方々、墓地がオープンされている曜日と時間帯に注意が必要ですよぉ! 基本的に土日と祝祭日は門が閉まっているため中に入れません。また平日も午後4時には閉まってしまいます。 ということで、働いている人たちは多分、休暇を取らないと中を見ることができないのです。 さて、最後にエディ藩が歌う「丘の上のエンジェル」の動画に写っているあるモノをご紹介しておきましょう。 あの映像の中には何が写っていたでしょうか? 中華街の「太平楼」にあった龍、エディ藩のお店「鴻昌」、本牧の米軍ハウス、根岸のエリアX、ゴールデンカップ、IG、アロハカフェ、ブギーカフェなどなどですが、5分3秒の部分にそれまでとは雰囲気の異なる場所が出てきます。 それは1秒ほどで消えてしまいますのでユックリ確認してくださいね。 ![]() それが、このシーンです。 一体どこで撮影したのでしょうか? この1秒間の部分以外は、すべて場所が分かります。でもこれは…… 不思議に思いながら2回目に見ていたとき、この場所はもしかしたらアレかな、と感じるものがありました。 中華街にはこういう祠はありません。でも本牧なら… そう考えたときに思い出したのが、これです。 ![]() 間違いありませんね。 このお不動さん、すごいところにあるんですよ。普通に歩いていたら発見できません。 私がここを訪ねたのも、地元の古老の案内によってです。 動画の作者は、よくここを知っていたと思いますよ。 ということは本牧の人なのかな。そして中華街や音楽にも詳しい、そんな気がします。 ちなみに作者のykisfu氏は、奇珍樓 - 尾崎紀世彦が愛したネギソバなんていうのもアップしています。 つづく ![]() |
拝んでる人は動画の作者?
ここは簡単にはたどり着けません。
ストリートビューでも発見できません。
もう一つ、不思議な場所がありますけど、
これはまた後日。
拝んで入り人は誰なんでしょうかね…?
本日、南区のイベントのミーティングで冬桃さんにお会いしました。この祠と拝んでいる方、動画をみたときにものすごく気になりました。何度も繰り返しみましたよ~~~
今度、ぜひ教えてくださいね。
あの1秒間のシーンは本当に気になりますね。
なぜあそこなのか?
そして拝んでいる人は?