中華街ランチ探偵団「酔華」

中華料理店の密集する横浜中華街。最近はなかなかランチに行けないのだが、少しずつ更新していきます。

あれから30年

2007年09月27日 | おいしい横浜

 30年前の1977年9月27日、午後1時20分ごろ、米空母ミッドウェーの艦載機RF-4Bファントムが緑区(現青葉区)荏田町に墜落・炎上した。
 同機は厚木基地から帰艦する途中だったが、離陸直後にエンジントラブルを発生し、乗員2名がパラシュートで脱出したあと、無人となったジェット機が航空燃料満タンのまま、荏田町の住宅街に突っ込んだのである。
 
 この事故で土志田(旧姓・林)和枝さんの子ども2人が焼死。全身やけどで闘病を続けていた和枝さんも4年4か月後の82年1月に急死した。
 ほかに椎葉悦子さんなど6名がやけど等の重軽傷を負っている。

 この事故で亡くなった3人の母子像が、港の見える丘公園・フランス山地区にある。山手方面へ出かけたときには、なるべくこの像を見に行くようにしているのだが、この前の休日、改めてフランス山へ出かけてきた。

 その日は元町チャーミングセールの期間中ということもあって、石川町駅から“ひらがな商店街”、そして“元町ショッピングストリート”は、若い女性やアベック、おばさん達で超満員。
 そんな混雑を避けて川岸通りへ逃れたら、以前、地元の名士に連れて行っていただいたバーに行き当たった。


 これが、その店「en」である。まさか、ここがバーだなんて、知っている人に連れて行ってもらわなければ分からない。
 元町の裏にはこんな店もあるのだ。


 川岸通りを抜け、フランス山地区に入る。意外と気づかないところに、こんな壁にメダリオンがある。拡大してみよう。


 “FR”と読める。ここには明治29年に建築されたフランス領事館があったのだが、大正12年の大震災により倒壊。このメダリオンは、その建物の外壁に取り付けられていた飾りである。
 FRとはフランス共和国のイニシャルだ。


 これは、旧フランス領事館の遺構の一部だろうか。


 公園内フランス山の下はバルタール広場。
 骸骨のような鉄骨が皆さんを迎えてくれる。これは1860年代にフランスのパリに建てられたパリ中央市場の地下の一部で、かつてフランス領事館のあったこの場所に復元されているのだ。


 この階段を登りきるとフランス山の上部に出る。ちょっと前までは石の階段だったはず。きれいになったもんだ。


 廃虚跡。


 台所跡。


 米軍ジェット機墜落事故で犠牲になった3人の母子像。
 この像自体はかなり前に横浜市の許可を得て公園内に設置されたのだが、なんの像かを示す案内板がなかった。
 それが数年前、設置の由来を書いた案内板が置かれるようになった。この手のものを設置するに当っては、横浜市の大英断だったと思う。案内板にはこう書かれている。

《愛の母子像》
 昭和52年(1977)9月27日、横浜市緑区荏田町(現青葉区荏田北)に米軍機が墜落し、市民3人(母と幼い子二人)が亡くなりました。
 生前に海が見たいと願っていたことから、この公園に愛の母子像の寄付を受け設置したものです。

 和枝さんは生前、高校生のインタヴューに対し、こんなふうに答えていた。

 『戦争は反対です。米軍には悔しさでいっぱい。勝手に他人の国を飛んでいる。
 自衛隊は私たちを救ってくれなかった。安保は必要ではない気がします。
 戦争でもないのに、こんな被害に遭って・・・』

 あの日、米軍から連絡を受けた自衛隊が救難ヘリコプターを緊急発進させ、すぐに現地の上空に到着した。しかし、救難ヘリは救助を求めている被災者を助けることはなかった。墜落前にパラシュートで脱出した米軍パイロットを乗せて厚木基地に帰ってしまったのだ。
 

 この3人が天国で安らかに憩えるよう祈ってフランス山を降りる。下山路は「ムジナ坂」だ。別名「ちどり坂」ともいう。
 その先には独特の風情のある町、新山下が広がっている。


 かつてはハーモニカ長屋と呼ばれた、ものすごく長~い棟割長屋が連なっていたが、最近は建て替えが進み以前の雰囲気はなくなってしまった。
 それでも、町内のあちこちに昔の面影が残っており、なかなか味のある街並みを形成している。


 そんな中に、鮮魚店&食堂の「千葉屋」がある。
 左側が鮮魚店部分。右が食堂だ。昼間はこんな感じだが、夜には寿司バーに変身もする。
 魚屋さんが経営する食堂だけあって、なかなか美味しいランチを提供しているのだ。


 コレはその日食べた“サンマ焼き定食”。なんともメタボリックなサンマが旨い! 
 味噌汁の具は野菜なんかではなく、魚のアラが入っていて超美味しい! 表面には脂が浮いていて出汁もよく出ている。サンマ以上に旨い旨い旨い。
 
 小鉢のポテサラ、イカ煮もいい味を出しているではないか。まだ夜の部には行ったことがないのだが、さぞかし旨いものを食わしてくれるに違いない。


 店内。絵本や料理本の上には果実酒の容器が多数並んでいる。趣味で作っているようだが、もちろんお金さえ払えば飲ましていただける。
 やはりこれは夜にも来なければいけないようだね。


 町内のメインストリート。ずっと向こうにマリンタワーが見えている。
 この通りの途中には銭湯や広島カープ御用達のクリーニング店なんかもある。
 一度は住んでみたい町だ。

 

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4 コメント

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Unknown (フローレンス梅)
2007-09-28 18:16:16
あれからもう30年もたっちゃったんですね~。
昔読んだ『あふれる愛に』を思い出して泣いてしまいました。

私は学校にいたので気がつきませんでしたが、
当時実家があった戸部の上空を異常な低空で大きな音を立てながら
飛行機が通過して行ったそうです。
母が「落っこちちゃいそうな飛行機と思っていたら本当に落ちた」と言っていた記憶があります。

和枝さん母子のご冥福を改めてお祈りしたいと思います。
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梅さんは学校でしたか (ブログ管理人・酔華)
2007-09-28 23:04:33
私は現場近くにいなかったので、実体験が全くありません。当時のニュースで知っただけです。
実際にあのジェット機を見た人は、どれだけいるのでしょうかね。
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30年経っても。 (ちゃめごん)
2007-09-29 12:11:38
私は当時中学生で、緑区に住んでいました。音楽室の窓から落ちていく飛行機が見えました。
「ユー君もヤス君もがんばってるからね」という言葉に励まされて、多くの人からの皮膚の提供を受けて、辛く苦しいやけどの治療に耐えていた和枝さん。その時すでにお子さん二人は亡くなっていて。。。それがどんなに残酷なことか、自分が母親になってみてあらためてわかりました。
和枝さんの遺志を継ごうと設立された「社会福祉法人和枝福祉会」のやってる喫茶室があります。お近くにお越しの際はぜひ入ってみてください。なごめます。
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見たんですか (ブログ管理人・酔華)
2007-09-29 22:20:27
ちゃめごん様

落ちていく飛行機を、音楽室の窓から見たのですか!!!!!!
実体験ですね。

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