
1月20日、南門シルクロードを元町へ向かって歩いていたら、「萬珍楼売店」が何やら騒々しい。 従業員らしき人たちが提灯を外したり、店内の厨房備品などを運び出していたのです。 対岸からの眺めであったのですが、店頭のガラスに何やらお知らせの張り紙らしいものが見えたので、近づいてみると…… それは店内改装の告知ではなく、 ![]() 閉店の案内でした! 嗚呼! あああああぁ…! 萬珍楼までが撤退かっ! …… ![]() 居留地時代、現在の南門通りは「本村通り」と呼ばれ、清国(中国)からやって来た華僑が店を連ねる繁華な町でした。 わが国より先に開港し欧米人を迎え入れていた清国では、いち早く西洋の文化や商習慣、英語などを身につけ、それらを携えて開港したばかりの横浜に集まってきたのです。 そんな華僑が、欧米の新しい技術を日本人に伝えました。 たとえば西洋建築。彼らは香港・上海で西洋近代建築の経験を積み、来浜後の1880年代には本村通りに集中して住むようになりました。 籐製家具製造業、紳士服仕立て、あるいは船や洋館、家具の塗装を請け負う塗装店も大工と同様でした。 ここ本村通りは、現在の横浜中華街の原点となる賑やかな町だったのです。 そんな歴史を持つ南門通りが、なんだか崩れていくような気がして心配でなりません。 ![]() こちらは周兄弟で有名な「周苑」。 いつもなら予約者の名前が張り出されているのですが、それが見当たりません。店を覗く観光客もいないようです。 ![]() 入口にあるはずの周富徳の等身大写真を隠すように衝立が置かれていました。 休みでもないのに…… ![]() こちらも閉店でした! 萬珍楼売店南門シルクロード店の3日前に店を閉じたようです。 …… ![]() ![]() 南門通りの元町寄りにあるラーメンの店「ハオ」。 ここも休業したまま、かなり時が経っていますが、どうしたんでしょうかね。再開が待ち望まれます。 ![]() 先ごろ2,3階を休業にした「翠華」の店頭風景です。 場所は南門通り、中華街大通り、開港道が交差する横浜中華街の要衝です。 飲茶はやっているようですが、なぜか茶器の特売セールもやっています。 なんだか気になる… ![]() 一方、こちらは最近ブームの生煎包の店。 新しく横浜中華街に参入してきたグループの系列店です。 先月オープンしたばかりなのに、早くも改修工事! ![]() 開店したときの姿はこれ。 最近は、このような生煎包を売る店がどんどん増えています。 中華料理店で食事をせず、これを路上で買い食いして次のエリア、たとえば山手、みなとみらい、元町などへ移動してしまう人々が多くなっているような気がするのです…。 かぶりついた途端に、熱々のスープが飛び出し、自分の鼻に降りかかるならまだしも、隣にいた無関係な通行人のコートに飛び散ったりして、結構危ない状態も出現しています。 ![]() 食べ放題だ! 生煎包だ! フカヒレ三昧だ! チャンピオンだ、山盛り甘栗だ…などと、近頃は騒々しい中華街ですが、こちらはひっそりと江戸に戻りつつあるようです。 店奥のガラス窓が、なんだか障子のような仕様に。 ![]() リニューアルオープンが楽しみです。 ![]() 「ハマる横浜中華街」情報はコチラ⇒ ![]() |
周さんはやりたくは無いかもしれませが、経営者よりご自分で厨房に立って鍋を振った方がお客ウケは良い気もします。
茉莉花のマスターの同士なのだから、小さいお店で絶品焼きそばを作ってもらいたいです。
肉まんに、生煎包に。稼げるうちに稼いどけってことでしょうか。
多様性とまではいかなくても、色々なものを売っていることの方が、売りになるはずだと思うのですが。
そのうち見放される気がするのですが。
たしかに、講釈をしながら鍋を振るのがいいかもしれません。
茉莉花のマスターの同士…とは、
知りませんでした。
ヘエ~ですね。
一つ当てると、次々と真似をする所が現れてくるんですよね。
ベタですけど “エビマヨ” 食べに行ったなぁ。。。(遠ぃ目)
私はランチしか食べに行っていません。
食べておけば良かったなぁ。
中華街もめっきり行ってない私ですが…
数年前まで周苑の上のビルの中の会社で
働いてたので閉店はビックリですね。
萬珍楼売店もまさか…です。
中華街、なかなか厳しい現状なんですね。
久しぶりにプラプラ行ってこようと
思います。
まさにあの通りのビルで働いていたんでしたね。
なんだか、あっというまに変わってきました。
みなとみらい線の駅ができたけど、
お客さんは東門から入って大通りへ抜けていくか、
南門通りに入っても横浜大世界までしか行かず、
そこから関帝廟通りに曲がってしまうのかもしれません。
たまには見に来てくださいね。