1978年頃、朝日新聞の神奈川版に『華僑 神奈川の中国人』という連載ものがありました。私はリアルタイムで読んでいたわけではなく、あとになってこういうシリーズがあったことを知り、新聞博物館でそのコピーを撮って来て保存しているのですが、その中から「安楽園」の記事を久々に引っ張り出してみました。 今から考えると、どうも記者の取材不足だったようで、気になる部分がいくつかありますが、一応、その連載から紐解くと… 「安楽園」の初代は羅佐臣という人で、幕末のころにイギリス商社の使用人として横浜にやってきました。2代目は羅孝明といます。 慶応年間には「恭安泰」という海産物屋を始め、日本の役人に厚い信用を得て、父子は中国人の身元引受人になります。 当時は中国人が横浜港に着いても、同国人の紹介者がいないと上陸できなかったのです。 2代目の羅孝明は横浜の大同学校(中華学校)を卒業、広州の嶺南大学に学びました。そして大学を卒業して横浜に戻りますが、この頃、蘇曼殊(1884~1918)のことを知り、彼の研究にとりつかれます。 その後、蘇曼殊のことを調べるため、何度も中国へ出かけます。蘇曼殊が行ったベトナムにも。 しかし、研究の成果をまとめる前に病没(昭和48年)。 その5年後、彼が書き残した遺稿を香港在住の鄭さんがまとめて編集、友人たちと費用を出し合って『曼殊大師傳補遣』を出版しました。215ページ、全文中国語だったといいます。 昭和25年ころ、屏風ヶ浦小学校を建設するにあたって、財政難の横浜市のために、時価の半額で用地を提供したという話も残っています。 さて、朝日新聞の連載で安楽園のことが出たあと、だいぶ経ってから開港資料館の伊藤泉美さんがこんなレポートを出しています。 それによると… 羅佐臣は1862年に生まれ、1878年(明治11年)、故郷を離れて横浜にやってきたといいます。 朝日新聞の連載では幕末に来日したことになっていますが、やはり伊藤さんの方が妥当な気がします。 続いて1903年(明治36年)、羅佐臣は独立して、山下町145番地に貿易商恭安泰を興す、と書かれています。どうも朝日新聞の「慶応年間に恭安泰という海産物屋を始めた」という記事も違っているようですね。 「1923年9月1日、関東大震災により焼失するが、震災を契機に羅佐臣は家業の転換をはかり、中華料理店安楽園を開く。安楽園は中華街復興のさきがけであり、1920年代から40年代の横浜中華街を代表する料理店であった」 これによると、中華料理店としての「安楽園」のオープンは震災後ということになりますが、創業者の羅佐臣がその前に貿易商として独立したのは明治36年。 ネット上で多数見かける「安楽園は明治36年の創業」という記事は、この辺が混乱しているようです。ただ、女将さんも「100年以上の歴史」とおっしゃっていたので、「恭安泰」も含めたお店の歴史を背負っているとの考え方なのでしょう。 ここで、「安楽園」に関するすごいブログをご照会しておきます。みなさん、たいへんなファンのようですね。 ■安楽園を守る会(kimcafeのB級グルメ旅) 西日本支部なんかもできていたりして感心します。 ■熱烈なファンのガオさん(monolog) でも、安楽園に関するINDEXがないので、ちょっとまとめてみました。 その1 その2 その3 その4 その5 その7 その8 その9 その10 その11 その12 その13 その14 その15 最後に、昔の地図をご覧いただきましょう。 クリックすると昭和5年(1930年)の地図が大画面で見られます。 それをもう一回、クリックすると最大になります。 今の別棟は調理場だったんですね。今でもそうなのかな… 富士山ホテルなんていうのが見られますが、今の中山路にある焼肉店「京城苑」のあたりでしょうか。 栄湯という銭湯、ここは今、食べ放題の「鵬天閣」になっています。チョット前までは「順海閣新館」でしたよね。 昭和11年(1936年)の地図。 前の地図と比較すると「安楽園」の形が変わっています。 今のチャイナスクエアのあたりはアパートだったようです。 銭湯はこの6年の間に名前が変わっています。この風呂屋さんがずっと続いていたようで、昭和50年代まであったと思います。 なんだか「安楽園」から別な方向に行ってしまいましたが、ま、とにかく今日が最終日です。 シュウマイの販売だけは行うとのこと。 興味のある方はどうぞ。 ←素晴らしき横浜中華街にクリックしてね 「ハマる横浜中華街」情報はコチラ⇒ |
とのことで入れませんでした。
玄関を入ると思った以上に柔らかい雰囲気で(お値段は別として、笑)行っておけば良かったと思いました。
伊藤先生の研究は、いつも視点に愛情があって好きです。
わたしはずっと前に一度入ったきりですが
「一見さんお断りだろうか」「おそろしく
高いのでは?」と、店の前でけっこう躊躇
しましたね。
まだ酔華さんとも知り合ってなかったし。
しかしガオさんは凄い! オリエンタル
ホテルにも泊まられたのですね。
けんもほろろに断られたって人もいますよ。
やっぱり、中は混んでいたんですね。
31日はシャッターが半分だけ開いていました。
帰りにシュウマイを買おうと思っていて、
忘れてしまった…
敷居もお値段も高めですが、
入ってしまえば、いい感じでしたよ。
ただ、ここで宴会をやったことが無いのが、心残りです。
ほかにもまだいい店がありますので、
今度、ランチに行きましょうか。
教えていただきたいことも溜まってますし。
31日の日に行ってみたら
シュウマイ売り切れとの貼り紙が・・
最後にシュウマイでしめたかったのですが(涙)
伊藤先生のレポートと酔華さんの記事と
あわせて読むといっそう名残りおしくて・・・
さみしくなります。。
でもまたどこかできっと再会できるはずと
今からその日を楽しみにしています。
冬桃さん、ありがとうございます。
オリエンタルホテルなぜか泊めてくれました(笑)
早朝の中華街が素敵だったので
またいつか泊まりたいです。
私も教えていただきたいことがあります。
シュウマイを入手できませんでした。
残念…
未宿泊ゆえ、オリエンタルホテルは憧れです。