
皆さん、横浜中華街の中の道路には、それぞれ名称がつけられているのはご存知ですよね。 善隣門から東門に続くメインストリートが中華街大通り。 それと並行する道で関帝廟の前を通る道が関帝廟通り。 これらと直角に交差する道路が中山路、市場通り、上海路です。 私はすべてを把握していると思っていたのですが、ひとつ気がついていない名称があることを知りました。 それが冒頭の写真に写っている道路です。 ここには、こんな名前が付けられているのでした。 ![]() 海河道。 海と旧運河を結ぶ道ということで、こんな風に名づけられたのでしょうか。 ![]() この茶色い線を引いた通りが海河道です。 JR根岸線は旧運河の上を走っています。 ![]() |
やっぱり名前の由来は海と運河だったんですね。
海河が実在する河川名とは知りませんでした。
しかも、愛新覚羅溥儀にも関係しているとは…
ありがとうございます。
そして、名前に隠された物語・・ その昔、この川は「白河」と言う名で呼ばれていました。時の皇帝、愛新覚羅溥儀は内戦を逃れ白河をのぼって満州に向かったと歴史は記しています。白河は中国の歴史でとても重要な役割を果たした河なのです。
そうですね、迷ったら善隣門か交番ですね。
これなら分かりやすい。
>ばんどさん
私も迷ったことがありません。
酔っていても大丈夫です。
>メタ坊
いつごろから、こういう名称を付けたのか、
全く分かりません。
長安道とか福建路とか北京小路とか、
なぜ、こういう名前を付けたのかなぁ…
>いその爺さん
根岸線が走っている下は、
派大岡川という運河でした。
これとか大岡川、中村川は埋め残してできた水路です。
埋め立ての過程に水路でも有ったのでしょうか?
気になります。
中華街通りと南門通りが名づけられたようですが、
その他はいつごろ名づけたんでしょう?
海河道と名づけられた由来は、
中国に同名の有名地があるのか、
ひょっとしたら、この道は割合幅員があるので、
運搬用の水路が開けていたのかもしれませんね。
路の下は運河でした。幼少時の記憶中、微かに覚えがあり
ます。
通りの名前を意識するようになったのは成人後、暫くしてか
らですが流石に近場で育ち周辺をウロウロし育ちましたの
でお蔭様で迷ったことは殆どありません。
善隣門の前に居なさい」とよく説き聞かされた。お蔭様で迷った事は無くて済んだ。
大人になった今では、中華街に初めて来る友人を連れてきた時に
親が言っていたのと同じ事を言っている。