
玉蘭斎橋本謙 御開港横浜之全図 万延元年(1860)頃 万延元年の地図では、長い砂嘴が描かれている。その先端は海だ。 ![]() 玉蘭斎橋本謙 慶応2年(1866)頃 「御開港横濱之全図」 約6年後、同じ作者が描いた地図では、なんと! ベイブリッジが出現している。 本当だろうか? 【参考】 横浜絵地図 ![]() |
玉蘭斎橋本謙 御開港横浜之全図 万延元年(1860)頃 万延元年の地図では、長い砂嘴が描かれている。その先端は海だ。 ![]() 玉蘭斎橋本謙 慶応2年(1866)頃 「御開港横濱之全図」 約6年後、同じ作者が描いた地図では、なんと! ベイブリッジが出現している。 本当だろうか? 【参考】 横浜絵地図 ![]() |
謎の橋ですね。
江戸時代の地図をいくつか見ましたが、
このような橋が描かれているのはありません。
横浜市歴史博物館のTwitterでこの地図を載せているのですが、
橋に関するコメントをつけていません。
https://x.com/yokorekihaku/status/1276328813178191872
開港資料館も同様です。
なんでだろう……
横浜市民を30年以上続けておりますが、こちらの記事で初めて村雨橋事件のことを知り、
当時の状況等についての内容を大変ありがたく拝読しました。
https://blog.goo.ne.jp/chuka-champ/e/6043d0d065375b9b356274a1837fa2ae
さて、こちらの謎の橋の件について、
私も気になったので調べてみましたところ、
横浜市のページに説明がありました。
https://www.city.yokohama.lg.jp/kurashi/kyodo-manabi/library/shuroku/map.html
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こちらは増補再刻で、『御開港横浜之全図』の構図とほとんど変わらず間違い探しのようである。
製鉄所からは煙が上がり、洲干島(しゅうかんじま)地先から野毛浦へ、
幅3間長さ280間(約510m)という長い仮橋が架けられている。
この仮橋は文久3年(1863)にでき、慶応3年(1867)には朽ち落ちたという。
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1867年には無くなったとのことで、
前年11月にあった豚屋火事の影響なのかと思った次第です。
※また、参考図書ご案内のあった
横浜絵地図にも上述のHPとほぼ同様の記載がありました。(P.14)
コメントをありがとうございます。
村雨橋事件は懐かしい思い出です。
当時は現場にいて、興奮していたことを今でも覚えています。
謎の橋につて。m(__)m
この情報は見落としていました。
文久3年から慶応3年までと、短い期間だったのですね。
わたしの周りにも伝えていきたいと思います。
日頃から、ためになる貴blogの投稿を拝見しておりまして、謎の橋の件は、一助になればと思った次第ですが、お役に立ててうれしく思います。
こんなブログを贔屓にしていただいて、感謝です。
ただいまブログの引越し作業で四苦八苦しています。
過去に投稿した記事が多くて……
間もなく完了するはずです。