ゴールデンウィークの前半は妻と甥を連れて本牧へ行ってきた。目的地は本牧山頂公園である。以前ならJR山手駅から附属坂を登ってから、YC&AC通り、貝塚通りを経て山頂公園まで歩いていたのだが、最近は足腰が弱ってきているのでバス利用にした。駅前から本牧の丘に登っていく小さなバスがあるのだ。 園内は新緑がまぶしい。ときどき休憩をしながら散策していくのだが、缶ビールを持ってこなかったことが悔やまれた。 記念碑がある。 表題は日米桜交流100周年「友好の木」ハナミズキ。そこに書かれている解説を読むと…… このたび、米国政府から横浜市に「友好の木」ハナミズキ100本が寄贈され、ここ本牧山頂公園に植樹しました。 これは、明治45(1912)年に日本からワシントンDCに友好の桜が贈られて100年を迎えたことを記念し、米国からの「返礼」として、横浜にプレゼントされたものです。 横浜は桜寄贈と歴史的なつながりが深く、寄贈の提唱者である米国人紀行作家エライザ・R・シドモアさんは、かつて横浜に滞在していました。また、当時桜は、横浜港を船で出発し米国に旅立っていきました。 本牧山頂公園は、平成14(2002)年にワシントンDCから里帰りした桜から増やした苗木が植樹されるなど日米の桜交流ゆかりの場所で、今回日米友好の新たなシンボルとしてハナミズキを迎えました。 平成25年3月 横浜市 里帰りしたその桜は、谷戸橋の元町側と山手の外国人墓地の中に植えられている。これをシドモア桜と呼んでいるのだが、解説をすると長くなるので、こちらのサイトをリンクしておくね。 知りたい方はこれをお読みくださいませ。 ところで、横浜市が書いた日米桜交流100周年「友好の木」ハナミズキの解説であるが、どうも納得がいかない。桜とハナミズキの関係が十分ではないと思う。 明治45年にアメリカに贈った桜の返礼が、100周年を記念して初めてハナミズキが贈られてきたようにみえてしまうが、実際はそうではない。 大正4(1915)年、桜を贈った東京市に対しアメリカからその返礼としてハナミズキ40本が贈られているのだ。ここから桜&ハナミズキの友好物語がはじまる。 しかし、太平洋戦争が始まると、ハナミズキは敵性植物として伐採されてしまったという。現在は東京都立園芸高等学校に1本だけ残っているそうだが。 アメリカでも桜は敵性植物ということで切り倒されかかったが、大半が残された。その結果、ポトマック河畔は観光名所になっている。 日米人形交流でも同じことが。 昭和2(1927)年、12,000体以上の「青い目の人形」が横浜港に到着し、全国各地に寄贈された。その返礼として日本からは市松人形が贈られた。 しかし戦時中、青い目の人形は敵性人形ということでかなりの数が処分されてしまっており、横浜で現存するのは数体である。 いま、ウクライナに侵攻するロシアが憎いということで、日本人がロシア料理やロシア音楽を排斥しているというニュースを見るたびに、「青い目の人形」と「ハナミズキ」を思い出してしまう。 さて、公園をたっぷり散策したあとは、山を下って本牧通りへ。 いつの間にかこんな看板が出ている。 86.1MHz ハロー 横浜マリンFMの周波数だ。 HOMMOKU BASE。 HONMOKUではなくHOMMOKUだ。 ここの2階にFM放送局のスタジオがある。 会社の看板♪ スタジオの横はカフェだ。ラジオ日本みたい♪ こげ茶色のものは、サービスで頂いた霧笛楼のビール。横濱ジェラールビールだったかなぁ…。 生放送の様子を妻と甥に見せたかったのだが、本牧のスタジオで生放送をしているのは午前中だけだそう。午後はハンマーヘッドから放送しているというので、残念ながら二人には見せることができなかった。 それでも会社を運営している方々と久しぶりにお話しすることができて良かった♪ このあと我々は中華街へ向かうのだが、その話はまた後日。 ←素晴らしき横浜中華街にクリックしてね |
なかなかな山の上&そこそこの距離ですよね (^-^;)
山手駅からYCACまで、近道があるのですが、
登りがきついです。
やっぱり附属坂をあがるしかありませんね。