4日目の朝は7条にある古いホテルで目覚めた。ここは義父の家と違って、かなり寒かった。だから、あまり眠れなかったのかもね。 寝不足で疲れきった眼を押し広げて、とりあえず外に出てみる。 旭川駅前にある市営の駐輪場。なんと無料だ! ただし、利用期間は4月から11月まで。冬季は積雪のため場内に入れないようだ。 交通弱者のための押しボタン。ポールの周囲が雪に覆われている。これじゃあ、弱者どころか私だって近づけない……。 なんとかここを渡ってバス停へ行くと、義父のところまで行くバスは1時間に1本しかないことが判明。 ということで、今日もタクシー利用となる。 写真の確認作業を始める。 これは旧真岡(現ホルムスク)の市街。ソ連時代の集合住宅が並んでいる。 冬のサハリンで熊狩り。 夏のサハリンで熊狩り。その場で解体するそうだ。 ロシア人は踏んで歩くというマツタケ(ある菌類学者の話)。 20数年前に私はマツタケを求めてシベリアに行ったが、そのときは一本も収穫できなかったのにぃ…… 左下はドリンスクの旧駅舎。現在の姿はこんな風になっているようだ。 右下は旧豊原(現ユジノサハリンスク)にある日本時代の信用金庫の建物。 写真の多くは撮影年月日や撮影場所、人物名などが裏書きされていないため、一枚一枚、義父から聞きだしていかねばならない。膨大な量をこなすには今回の訪問だけでは無理だね。 まずは私が気になった画像だけ調べていく。 その合間に手書き原稿の確認作業もあるし、たいへんだよ……。 そして昼飯も食べなければいけないし。 作るのが面倒だったので、寿司屋から出前をとる。 チラシ寿司だ♪ ウニ、イクラ、アワビ、カズノコ、北寄貝、ボタンエビ、カニ、マグロ、その他の魚……美味しい♪♪ ビールを呑みながらワシワシといただく。 そして食べながら、呑みながら、昔の話を聞いていく。 その中には樺太生まれの横綱大鵬の話も出てくる。父親はマルキャン・ボリシコといい、ロシア革命後に樺太へ亡命したウクライナ人だった。大鵬は出生(1940年)後、太平洋戦争が激化しソ連軍が南樺太へ侵攻してくると、母親(日本人)に連れられて最後の引揚船「小笠原丸」に乗って北海道へ移り住むことになる。 義父は幼少の大鵬と接触があったそうだ。 大鵬は運よく北海道へ移り住むことができたのだが、義父はそのまま樺太に留め置かれてしまった。これを抑留といっているが、その言葉づかいはちょっとヘンだ。普通、抑留というと、中国戦線でソ連軍の捕虜となった兵士たちがシベリアに送り込まれ、長い期間、ラーゲリに収容され、そこで強制労働を強いられていた、そんな話なのだが、義父の場合は日本領だった南樺太に民間人として住んでいたのを、侵攻してきたソ連軍によって移動することを禁じられたのだ。抑留でもない、拉致でもない、残留でもない、なにか違う言葉が必要な気がする。 ソ連軍のもとで2年7ヶ月も働かせられていたというその苦労については、まだ詳しく聞きだせていない。時間がタップリあるというわけではないので、早く記録を取っておきたいと思っている。 そんな話をしているところに、日本人の顔をしているのに日本語が達者でない男性が義父を訪ねてやってきた。 聞けば戦後サハリンに取り残された日本人の三世だという。数年前に北海道に移り住んだそうだ。 中国に残された残留孤児の2世、3世とか、ブラジルに移民した日本人の2世、3世が来日し定住したという話はよく聞くが、サハリンから移住してきた日本人2世、3世の話は初めて耳にした。 そんなことを話しているうちに横浜に帰る時間がやって来た。 タクシーを呼んで旭川駅に向かう。 回送するバスの表示。「すみません回送車です」なんていう文字がでているぞ。横浜じゃ単に「回送」としか表示していないよね。 旭川駅に接続しているイオンモールでお土産を買う。 駅前のスケートリンク。 空港行きのバスの時間まで1時間ほどあるので居酒屋で一杯。 こんなお通しが430円! 八角ザンギ♪ 骨までバリバリ食えるのだが、なんといっても身がないのがツライ……。 旭川で食う室蘭焼き。1本215円! 札幌で食べた室蘭焼きは美味しかったが、こちらのはイマイチ、というかイマサンぐらい… というわけで、せっかくの旭川だったのに、ラーメンを食べることができなかった。残念。 ←素晴らしき横浜中華街にクリックしてね |
義父さまの記録はとても大変なご様子。
貴重な自分史となることでしょう。
頼りになるサポーターですね。
母方の祖父は樺太や千島に仕事で行ったことがあるそうで、カバフトと言っておりました。母の家ではラッコの毛皮をシーツのようにして寝ていたそうです。おねしょの予防だったようです。
義父さまはおいくつですか。
私自身のを考えるとどれだけ時間がかかるのかと思いますが、
人の分をサポートするのはもっと大変そうです。
樺太、たしかにカバフトと読めますね。
一方で、唐人(からひと)から転訛したという話もあります。