横浜公園ではまだチューリップが咲いていて、たくさんのアマチュアカメラマンが撮影をしに来ている。 そんな賑やかな場所を避けて、私は山手にあるお気に入りの場所に向かった。 そこは花大根、桜、菜の花のほかにチューリップが咲き誇る花の名所。 下手な写真だが、しばらく我慢してご覧いただきたい。 このあとの2枚は数年前に撮影したもの。 これを撮影した場所から少し小港方面へ向かうとワシン坂に至る。 この坂、カタカナ表記ということも不思議だが、名称の由来もよく分からない。今日はその謎解きをしてみよう。 ワシンという名前からまず想像されるのが和親条約。そこから名付けられたという説がある。 ほかに、坂の下にある「湧き清水」が訛ってワシンとなったという説や、開港当時にワシンさんという外国人が歩いていたからなんて説も。 ここで私が注目したいのはNTTの電柱に張り付けられているケーブルの名前。 たとえば中華街の中山路で見つけたラベル。東電の方は「山下」なんて味気ない名称なのだが、NTTのは「尾張町支(線)」と書かれている。 この場所が昔は尾張町だったことを示しているのだ。 1879年、外国人居留地(現在の山下町)に尾張町・加賀町・薩摩町・長崎町・函館町・越後町・神戸町・駿河町・前橋町・上田町・蝦夷町など30か町が新設されたのだが、その痕跡がNTTのケーブル名に残っているのである。 ついでに述べておくと、長崎町・函館町・越後町・神戸町というのは、横浜の仲間である開港5都市から採った名称だ。そして駿河町・前橋町・上田町・蝦夷町は、おそらく当時の輸出産品だった茶・絹・海産物の産地から名付けたのであろう。 このようにNTTのケーブル名というのは、その線が架けられている場所の旧地名を今に残しているのだ。 レトロ探偵団はワシン坂の謎を解くため、まずは谷戸坂から歩いてみた。 たしかに谷戸坂支(線)という名称が確認できる。 谷戸坂の左側はフランス山。かつてフランス領事館があったことからこんな名前が付けられているのだが、その入り口に立っている電柱を見上げてみると… ケーブルの名称はフランス支(線)だ。 谷戸坂を登って港の見える丘公園前を通り過ぎしばらく歩いて行くと、こんな眺望の良い所が現れる。 地元の方々が昔から見晴台と呼んでいる場所だ。 そこにある電柱。たしかに見晴台である。 ちょうどこの下をくぐるトンネルが見晴トンネルだ。 そして謎のワシン坂。 さて、この場所に立つNTTの電柱に貼られたケーブルの名札には何と書いてあるか… ワシン坂支(線)だろうか… 鷲見坂だ! NTTのケーブル名の法則から考えると、この坂道はかつて「鷲見坂」と呼ばれていたことになる。 そして「わしみざか」がいつの間にか「わしんざか」に訛っていったのだろう。こうなると耳で聞いた音「わしん」を漢字にするときに困ってしまったのではないかな。 そこでどう表記していいか分からないので「ワシン」なんてカタカナにしたのだと私は考えている。 ところであんなところに鷲なんていたのかという疑問が起きてくるが、昔はすぐ傍まで海が迫っている断崖だったので、トンビがヒュルヒュルと飛んでいたはず。 それを鷲に見立てて「鷲見」としたのだろう(げんに今でもあの辺りから本牧にかけてトンビをよく見かける)。 これがワシン坂の謎に対する私の答えである。 ←素晴らしき横浜中華街にクリックしてね |
していたからなのですか?
実に面白いです。
山元町の坂に沿った下町長屋のような住宅地もレポートして下さい。
まだあるのだろうか?
うちの団長は電信柱から永遠の謎を解いたぞ!
そう言えば、江の島、茅ヶ崎付近じゃ、
トンビがウジャウジャいますね。流石です。
しっかり書いてくださって嬉しいです。
我が家にほど近いあたりのの電柱にも「南六つ目」とか
「北七つ目」といった「怪しい」表記があります。
吉田新田をしみじみ感じる瞬間です。
私、恥ずかしながら単純に人名説を信じて疑いませんでした。
よい勉強になりました。m(__)m
今日から電柱を見上げながら歩きそうです。(笑
この町名も輸出産品と関係あるのかもしれませんね。
山元町の坂に沿った下町長屋のような住宅地・・・って、
どこなのかなぁ。
あの辺はよく歩いているのですが、
全く記憶にありません、すみません…
東電よりもNTTですね。
やはり電信には長い歴史があるからですかね。
「南六つ目」、「北七つ目」、そんなプレートが残っているんですね。
吉田新田の名残ですね。
なんだか南区内も歩いてみたくなります。
上を見ながら歩くのは危険ですよ。
気をつけてくださいね。