2017年4月14日
西本願寺に行った。
昨年なくなった母の葬儀で世話になったのは西本願寺派の寺なので西本願寺には去年はよく訪れたが、この頃は忙しくて、今日は久しぶりだ。
いつもと違い本願寺にはいろいろな旗がひるがえり、式幕がすべての壁を覆っている、そして駐車場は一般客は入れない、バスだけだという。いつもと違う。門主様が代替わりとなってこの4月、5月は法要が続くらしい。
近くのコインパークに車をとめ、本願寺に行く前に門前町のうどん屋に入った。
ここはいわゆる大力餅とか弁慶餅などの古典流派だ。子供のころからの習慣で私はずっとうまいキツネうどんを追求してきたが、この店のキツネうどんの味はまあまあだ。
昼を過ぎているから客は前の席のおばさん二人、あとで3人来たがいずれも観光客だ。
二人のおばさんのうちの一人が「なにか、線香のにおいがする」。
店の奥さんは、“毎朝、二階で仏様に線香をあげてますが”という。その匂いが残っているかと思ったのだろう。
そして、“昼間に本願寺の御坊さんが沢山きたからね”、と云い、さらに思い出して、“ああ、さっき線香屋さんの人が食べに来たからとちがいますか”。
それにしても観光おばさんの鼻はするどい、私らにはわからなかった。
ここらは本願寺の街だ、お坊さんも、仏壇屋さんも、線香屋さんも当うどん屋に来て当たり前だ。
おばさん二人は勘定を払て出て行った。ここに来る前に嵐山に行って来たらしいが、人が多すぎて歩けないという。店のおばさんが「多国籍の?」ときいた。この表現がいいのか悪いのかわからないが、中国、韓国などアジアの観光客のことだろう。顔が我々と変わらないから喋っているのを聞かないとどこの人かわからない。たしかにものすごく多い。
さて我々は西本願寺の御堂に入ることにも敗退した。ものすごい数の団体客だ。
案内の娘さんによれば、一般客はかなり待たないと入れないらしい。あきらめて退散する。
この一週間は雨が多かった。
“花に嵐のたとえもあるさ さよならだけが人生だ”
と井伏鱒二が唐の詩人“干武陵”の詩を訳しているが、今年の桜はよく持ちこたえている.
寫眞は比叡山を背景とする高野川沿いの桜だ。
さて、今夜の食事。我が家は少食だ。
私が鍋焼きうどんをつくった。だしは“いりこ”が中心、それに利尻昆布、かつおの削り節、くず白菜で甘みをだし、さらにみりんと薄口しょうゆを少々、天ぷらを乗せて卵を割りいれる。
時間をかけ、熱意をそそいだだけあって、本願寺のうどん以上の味だったと思う。
うどんの1日でした。
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