エッセイ -日々雑感-

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東京オリンピック52年前

2016年11月13日 | 雑感

 昨年夏、京都工芸繊維大学美術工芸館で展覧会があった。

5年ほど前から始まった京都・大学ミュージアム連携”の展覧会シリーズの一つだ。

 歴代のオリンピックポスターも展示されていた。

 

                                 

 

                            

最初の二つの写真は、東京オリンピック(1964年)のポスターだ。

 

 マラソンではアベベがローマ大会に引き続き、哲学的な顔でひたひたと走り勝ち、円谷幸吉が最後にイギリスのヒートリーに追い抜かれた劇的なシーンがあった。

 黒い弾丸“ボブ・ヘイズが10秒0で100メートルを制した。

 

あの頃日本は希望に燃えていた、そしてあのオリンピックはすばらしかったと私は思う。

 “開会式がよかったわね…、美しい、ということばがぴったり”、とポスターを見ながら家内が云う。

 もっとも彼女は、日本でのオリンピック開催は時期早と反対派だったらしい。

 

聖火台に点火したのは坂井義則さん、シンプルで荘厳な開会式だった。自衛隊のジェット機が五輪の輪を青空に描いた。

 

 1984年のロス五輪から開会式がどんどん派手になってきたが、どこまで趣向を凝らすのか際限がなくて見ていてうんざりする。      シンプル イズ ベスト。

  

“おもてなし”をキャッチフレーズに始まったなにかと話題の多い今度の東京オリンピック、いったいどうなることやら。

最初の国立競技場デザインでの躓き、エンブレムの問題、膨れ上がる費用、その他、その他。

 胡散臭さは重なり重なって、ばかばかしい狂想曲が鳴り響く。

  

リオオリンピックでの日本チームの400メートル銀メダルはよかった、ボルトもよかったが、

私個人としては心を躍らすものがない今の薬漬けのオリンピックにもう関心はない。

 

 〝美しくて、まことで、かなしいひびき“(川端康成)と云われる遺書を残して命を絶った円谷の写真が京都達磨寺にある。

                                   


 


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