エッセイ -日々雑感-

つれづれなるままにひくらしこころにうつりゆくよしなしことをそこはかとなくかきつくればあやしゅうこそものぐるほしけれ

森下仁丹様、お願いごとについて

2018年01月24日 | 雑感


2018年1月24日

 前略

 私、長年の仁丹愛用者ですが、このごろ仁丹がきわめて手に入りにくくなっています。

 

        

                                          

私のいう仁丹とは、写真にあるような扁平丸状の小さな紙の器で下部を押すと小さな

穴が上に出て、そこから1錠でも2錠で取り出して口に含むことができるものです。

ちょっと前には駅の売店ではかならず、そしてコンビニでも売っていましたが、それが

なくなりました。これに類似したものとしてミンティアなどがありますが、大粒で、人に

よってはくしゃみがでるほど刺激がつよいものです。

 

たしかに、仁丹を口にするのはおじさんのイメージで、若い営業マンが交渉相手に

対する前に、仁丹をとりだして口にするのはカッコ悪いのかもしれませんが、いまでも

相手と交渉せねばならない中高年は仁丹が欲しいはずです。 

       

  

もっとも仁丹はあります。大型ドラッグストアー、たとえばマツモトキヨシなどでは売って

いますが、それはウヰスキーのポケットビンの半分くらいに近い大きさで3250粒入り、

それに詰め替え用の袋が売っています。

だれが、あの大ビンをポケットにしのばせて、“これから大事な商談”に行く前に仁丹粒

を口に入れるのでしょう。 容器が小さいからいいのです。 

ネット販売で手に入りますが、あんな小物を、まとめても買うにしてもわざわざネットで

注文するのは配達の人に気の毒です。

あの人たちの過労が問題になっているこのごろは特に気が引けます。

 

というわけで、あの小型仁丹をどのコンビニ、どの駅の売店でもすぐに手に入るように

して頂きたいと思います。 簡単なことですが、営業上益はないということでしょうか。

でも、“仁丹あります”、の広告を出せば需要は多いと思います。

                

広告と言えば、御社は100年以上も前に街の人に役に立つ、立派な仁丹の広告を

出してこられました。ものすごく費用がかかったはずと思いますが、とくに我々京都の

者はずいぶん助かってきました。

“まるたけえべすに、おしおいけ、あねさんろっかくたこにしき、しあやぶったか

まつまんごじょう、せったちゃらちゃら・・・”。  『京のわらべ歌』にあります。

京都の街は五番の目がしっかりしていて、この歌によって私たちは街中の北から南に

かけての辻はよくおぼえています。

上の文句で、まるは丸太町通り、たけは竹屋町、えべすは夷川、おしは押小路、

おいけは御池通、あねは姉小路、さんは三条通り、ろっかくは六角通り、

たこは蛸薬師、しは四条・・・“、と。   しかし、東西の通りがはっきりしない。

“ここはどこかな”と思うときに、通りの交差する角家の二階壁などにとりつけてある

仁丹の看板が出てくる“。

 

むかし私の友達がある会合で森下仁丹の人と会って、

“仁丹の看板をたどって京都の街並みを紹介すれば面白いのではないか”、と

いうことになりました。彼は、“仁丹の町名看板をよすがに京めぐり”、という題で記事を

書き、森下仁丹の広報誌「仁丹堂」に連載でのせました。

彼は極めて資料収集能力が高く、明晰な頭脳の持ち主で、緻密で面白い京の町

紹介の文を書きました。連載が終わったのちも独自で作業をつづけ、現在は中断して

いますが続編も書くと言っております。上の題名でネットをひけば内容が見られます。



 

 ところで、「菜穂子」、「風立ちぬ」などの作者、堀辰雄を紹介した本(作家伝叢書)の

中でも仁丹の看板が取り上げられています。 彼は5歳で上条家に引き取られ、実父

堀浜之助の顔はぼんやりとしか覚えていない。 しかし記憶の中の浜之助は仁丹の

看板に描かれた<美しい髭を生やした人>に似ていた、そんな印象があるらしいです。

 

さて1月ほど前、ある骨とう品店に仁丹の町名看板が持ち込まれました。

骨董品としては20万円ほどの値打ちがあるが、それが盗品か正常品かわからないので

困っているという新聞記事がありました。 せちがらい世の中ですが、それほど御社の

看板は貴重なものになっております。

以上、お願いのみにて失礼いたします。

                            敬具

 


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