“ ここはお国を何百里 離れて遠き満州の 赤い夕陽に照らされて 友は野末の石の下・・・”
真下飛泉の軍歌 “戦友” の碑は、京都、知恩院の北入口に建っている。
1824名の飛泉を追慕する者が昭和2年に建てた。
この歌は、日露戦争に従軍した友人Kたちの父の話をもとに作ったということが、飛泉の遺稿集 「飛泉抄」(夫人の鷹子さん発行)の “戦友” の音符・歌詞のところに載っている。
1905年(明治38年)、日露戦争末期か直後に作られたものだが、連綿と太平洋戦争まで受け継がれている。
この歌はほとんど反戦歌に近いという点で特異な歌だ。与謝野晶子の“君死にたもうことなかれ”も 日露戦争のころに作られている。
この歌、かつては、BSで〝フォレスタ″がうたっていた。
榛葉樹人氏の朗々とした歌声に家内はいたく感激して、毎月曜日、チャンネルを合わせていたが、番組で聞かれなくなって久しい。
“昨年安保法案が国会で成立した頃から軍歌の類はだんだん聞かれなくなった気がする、単なるぐうぜんかしらね?” と家内は云う。 グループの新しい方向性へのスッテプであるならしかたない。 しかしこの時代の歌を愛する人たちも多い。 とりわけ70歳以上の人間にとって、この変化はさみしい。
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