本日は晴天なり

誰しも人生「毎日が晴天なり」とは行かないものです。「本日は晴天なり。明日はわからないけどね」という気持ちを込めました。

怪しいもの好きの理由

2006年06月22日 11時33分05秒 | 心についてのあれこれ
実は、先日友人から紹介された霊能者の人のところに行ってきました。
今までブログに書こうかどうしようか、と迷っていたのですが、実は私は江原啓之さんと美輪明宏さんの「オーラの泉」も大好きで、毎週欠かさず見ているくらいなのです。

子供の頃は、林間学校に行ったりすると夜必ず怪談話になるのが恐くて、聞かないようにしていたくらいで、幽霊は大嫌いだったのです。
でも、社会人になって、アメリカ人の精神科医の人が書いた「前世療法」「魂の伴侶」などの本を読んでから、ぐっとそっちの方向に引き寄せられて行きました。

私がそんなことに興味を持つようになったのには、もちろん原因があります。
それは、母との葛藤でありました。母は私が子供の頃から、小言の多い、不幸感でいっぱいの人でした。自分を不幸だ、不幸だ、といつも嘆いていました。そして自分の不幸感を、子供である私で埋めようとして、私に何から何まで干渉しました。私はそんな母がかわいそうで、自分がこの人を幸せにしてあげなくちゃ、とか、不仲だった父との間も、私が取り持てばもしかしたらうまく行くのじゃないか、と思ったりしたものでした。

私が大人になっても母の干渉はますますひどくなり、私の交際相手の素性をこと細かに調べたり、私の手帳を無断でのぞき見て友人の名前や住所を調べて勝手に電話したり、ということも度々ありました。
当時の私は、母に拘束されて窮屈で苦しい、という思いと、母の願いに沿えれば良かったけれど、そんな風にはどうしても出来ない、私には母を幸福にすることができないという罪悪感に苛まれていました。
そして、母は今のままなら、自分の不幸を全て他人のせいにして、恨みながら一生を終えてしまうのではないか、そう思うととても胸が痛みました。

そんな家庭環境の中でも、私は外では辛い気持ちをこらえて極力明るい顔をするようにしていたし、私が親とのことで悩んでいたことは、ごく親しい友人しか知らないことだと思います。それでも、健康な家庭で育った友人には、私のような家庭で育った子供がどんなものを背負わなくてはいけないものか、なかなか分かってもらえないことも多く、孤独を感じることも多かったのです。

そんな中で、病気にもならずに生きていくためには、何か、何でも良いから心に希望を持つことが必要でした。それがなければ生きていけなかったのです。そんなときに出会ったのが前述の本です。催眠療法を、トラウマ治療のために使用していた精神科医がいて、(催眠をかけて幼児期の記憶を戻し、トラウマの原因となった事件を思い出してそれに気づくことによって回復を手助けする、というもの)、ある日、彼の患者が、幼児期を飛び越えて現代の世ではあり得ないような話を詳細に話し出す場面に遭遇する、といった内容です。

その本に書いてあったことはかなりショッキングだったけれど、信じざるを得ないような説得力がありました。

そこら辺りからだんだんのめりこんで、自分でも怪しいなあと思いながらも、本屋に行くと、よく「精神世界」というコーナーの前で良い本がないかとうろうろしていました。そんな自分を客観的に見て苦笑したこともあります。

精神世界についての本を読むにつれ、母の苦しみ多き人生も、今生だけのことに限らずに、もっと広い目で眺めれば意味のあることなんだ、と思えてきて、それにとても慰められたように思います。

というところで、霊能者の人のところに行った話はまた次回に回したいと思います。