本日は晴天なり

誰しも人生「毎日が晴天なり」とは行かないものです。「本日は晴天なり。明日はわからないけどね」という気持ちを込めました。

至福の時

2007年06月27日 23時10分39秒 | 心についてのあれこれ
今朝、布団の中で夢うつつの状態の時、ものすごい至福感を感じました。
あまりの至福感に、目を覚ましたくなくて、しばらく布団の中でその感じに浸っていました。

実はこの経験は始めてではなくて、3ヶ月おきに1回くらい、今までに3,4回経験しています。寝ていると、突然のようにやってくるんです。瞑想しているときにもたまになるときがあります。
でも、目が覚めて日常に戻ってしまうと、すぐこの至福感は忘れてしまうんですけどね。

ずっとこの至福感を感じていたい~、と思いましたが、そうもいかないので、よいしょっと起き上がってベランダに出たら、晴れた空、そしてさわやかな風が肌に触れて、とても気持ちが良かった。

午後はひとり自転車で例の散歩コースを土手まで行き、少しエクササイズ。(写真は土手一面に咲いていた紫の花。あれ、ド忘れしちゃった、これ、なんていう花でしたっけ?)
そして帰りはいつものカフェへ。

布団の中で感じた至福感にはちょっとかなわなかったけれど、なかなかさわやかな午後でありました

ツイてます♪

2007年06月25日 09時37分58秒 | 心についてのあれこれ
前回のブログを読み返しながら、おお、ネガティブなブログだな~、いかんいかん、とも思いましたが、それがその時のリアルな私だったのだから、ちえ蔵くん、それはしょうがないのだよ、と思い直しました。まずは、罪悪感を抱かずに今の自分を抱きしめる!が最近のモットーであります。

しかし、です。ネガティブモードになっても最近はすぐ立ち直れてしまうところが以前とはちょっと違います。
なぜかと申しますと、最近はとってもツイているからであります。
前回のブログで書いた次の日、なぜだかネガティブになっちゃってるな~、と気付いたとたん、パートナー殿の友人の方から日本橋三越での写真展に行かないか、とのお誘いがあり、パートナー殿と3人で見に行ったところハワイの雄大な美しい自然の景色に、あっと言う間に気持ちが癒されてしまいました。

そして、土曜日はオーラリーディングの練習台として、かかりつけの透視者の方のところに行って来ました。その透視者の方にリーディングを習っている人たちの練習相手としてリーディングしていただくためであります。

最近また左の腰痛と右の肩凝りが戻ってきていて、特にそれについてお聞きしました。
実は葛西の治療院に行ったとき、「頭痛と首の凝りは、あなたが頭を使いすぎる人なので、それで首が支えきれなくて、頭の下の骨が右に出てきちゃうからですね」と言われていました。現在は仕事もしていない私が、どうしてそんなに頭を使っちゃってるのかしら~、と不思議に思っていたのであります。
それが、そのときのリーディングで、「あなたは今頭のチャクラが開いていて、すごい勢いでいろんなものが入ってきてるので、それが支えきれなくて右肩が筋肉痛のようになるんですね。」と言われてスゴク納得。
毎日高次の意識とつながれますように、とお祈りしていたのですが、なかなか実感が持てず、どうなの~?と思っていたのですが、つながっているようでありますね。この右肩の痛みが実感ってヤツなんですな。

「腰の痛みは、次のライブがまだ決まっていないからそのフラストレーションみたいですね。歩き出したいのに歩き出せないからで、歩き出しちゃえば治りますよ。」と言われてこれもナットク。次のライブ、どうしよう、と実はひそかに悶々としていたんですよ~。

おまけにヒーリングもしていただいて、痛みがちょっと楽になり、大満足。

辛いことがあっても最近はすぐそれが解消されるか、その答えが来るスピードが早くなってきました。

リーディングの後、雑談をしていたとき、透視者の方が、「瞑想をしていると、電車に乗り遅れそうなのが間に合ったり、疲れているな~、と思うと席が空いたりするようになるんですよ。」とおっしゃっていたのでビックリそうそう、実は最近、それなんです、それ。

帰り道では、駅のホームに着いたとたん、スーッと電車が入ってきました。乗ってすぐは座れなかったのですが、途中の駅で、目の前に座っていた人が降りて、椅子に座ることができました。

すごい!ツイています
神様ありがとうございます

どうしても

2007年06月21日 01時16分22秒 | 心についてのあれこれ
現在エニアグラムというものを習っております。
古代アフガニスタンで誕生し、長い間門外不出とされていた人間の性格タイプの分類法です。この智恵を使ってイスラム教スーフィ派の最高指導者たちは次の後継者の育成をしていたのだそうです。
このエニアグラムの分類では、人間にはタイプが9つあって、どれがいい、悪いというものではなくて、それぞれが世の中に必要なタイプである、ということなのです。

実は、私は今までの人生で出会った人たちの中で、どうしても受け入れられない人が時々おりました。私から見たら、あまりにも思いやりがなく、自分勝手で自己中心的だったり、自分の利益しか考えられなかったりする人たちや、頭でっかちで人の心に無頓着な人たちなど...
若い頃は人を嫌うことに罪悪感を感じていたので、そういう人は実は弱かったり、自己価値観が低いからそういう行動に出てしまうのだろう、と思ったり、そういう人を理解しようとしたり自分なりに努力したのです。特にスピリチュアルの世界では「すべての人はみんなつながっていて一つである」という思想ですからね。

それでも、できるだけ理解しよう、好きになろう、と思っても、どうしてもどうしても好きになれなかった人もいました。そして、なんとかそういう人を理解しようと努力しすぎて今度は自分がバランスを崩し、自信がなくなってしまった時期があったように思います。

エニアグラムを始めるときには、自分とは違うタイプの人の感じ方考え方を知ることで、そういう人のことが理解できて、許せるようになるかも知れないな、と思っていました。
それに、人生で出会う人はすべて必要があって自分が引き寄せた人なんですよね。
頭では分かっているんです。

でも、まだ今は、そういう人を理解したり、まして愛を送ったりしようとは思えないみたいです。
やはりまだ前述のような人は好きにはなれないし、無理をしてそういう人を理解しようとすれば、また自分自身の元気がなくなっていってしまうように感じます。
イヤなものはイヤ。そして、今はそういう自分を許してあげよう。

神様、不完全なわたくしをお赦し下さい

体を癒しながら心に気づく-2

2007年06月07日 01時11分20秒 | 心についてのあれこれ
今日もまた、例の治療院(調息センター)へ行ってきました。
そこの治療院は、体全体を揉むのではなくて、こちらが痛みを訴えたところを中心に、要所要所をちょっと押したり、触れたり揺すったりして治療してくれるのですが、触れてもらった箇所がすごく気持ちがいいのであります。それで、今のところほぼ1週間に1回通っています。前回治療してもらったときには、右肩甲骨の後ろのあたりを揉んでもらったときに、なぜだか「あ、そこはあのときの心の痛みの部分だ...!」と瞬間的に思ったのですが、すぐ手が離れてしまったので、いつの痛みだったか思い出すところまでいきませんでした。心の中で、「残念!!」。

そこの治療院の先生は無口な方で、ほとんど必要以上のことを話されません。
ですから、私もほとんど必要以上のことは話しません。だってねえ、「肉体の層のオーラに過去の傷が残っているみたいなのでお願いします。」とは言えませんしねえ。
したがって、イメージ的には、道場に行って「一番頼もう!」「試合始め!」「ありがとうございました!」ってな感じです。治療も本当は30分のはずなんですが、あっさりと20分くらいで終わってしまったりします。

でも、私がそんなに重症ではない腰と肩の痛みで毎週通って来てるのを不思議に思ったのか、今日は少し追及を受けました。それで、私も少しお話ししました(結構無言の間を楽しんでるんです)。「生理前になると右肩が凝って来るんです。」「糖は控えてるんですか?」「はい。」「それでは、考えられるのは、生理前には右肩を緩める必要があるのですが、肝臓が弱っているので右肩が凝って来るんですね。」と言いながら、右側の肝臓の辺りを揉み始めました。「あなたはよく怒りますか?」「いいえ。」「嫌いな人が側にいますか?」「いいえ、今はいません。...でも、以前は怒っていました。何年も前ですけど。」「怒りまくっていましたか?」「はい。」「そういうのは、体に残りますのでね。」

お、分かってくれたのね、この先生。さすが。

「西洋医学で、レントゲンを撮っても多分何もでないでしょうけど、私から見れば、かなり悪いですね。」

はは~、やっぱりそうですか。

そう言えば、だいぶ前にエステに行ったときも、「肝臓が悪いですね。」って言われたっけ~。そのときはまだ仕事を辞めていなかったので、「今日、怒りました?」って聞かれたんでした。

というわけで、少な~い会話でしたが、私にはこれからもう少し治療が必要、ということが先生には分かっていただけたことでしょう。

そしてその後、アメリカ人のすごーい美人のインストラクターによるボディワークのワークショップに参加して来ました。

治療院での治療でネガティブなものがまた一つ浮き上がってきたのか、「あなたが手放したいものを一つ声に出して言ってください。」と言われたときに思い浮かんだのは「悲しみ」でした。そして私は「悲しみ」を手放しました。

次に「あなたの人生の本当の目的を口に出してみて下さい。」
と言われたとき、出てきたのは、「自分(の肉体)を通して愛を表現し人々に伝える」でした。

少しずつ元気になっていけそうな予感がします。

体を癒しながら心に気づく

2007年05月30日 15時42分20秒 | 心についてのあれこれ
ライブ後から続いた体調不良のせいもあって、最近は体に集中してヒーリングをしております。食事療法のせいか、消化器はだいぶ調子がいい感じなのですが、それに代わるように今度は腰痛が出ました。
この腰痛、今回はなかなか手ごわくて、なかなか治りません。
気功の治療院にも通い、ヨガもやり、ストレッチ、散歩、ダンス、ひまし油湿布もしてるのですが、良くなったと思うと、また痛くなったり。
ライブ以前はなかった腰痛なので、一体どうしたのかと思って、こっそり腰に話しかけたりしました。「どうしたの?何か私に言いたいことがあるの?」


体調が悪くて精神的にも不安定になっていたので、実はこの間かかりつけの透視者(?)の方のお弟子さんによるオーラリーディングを受けてきました。
そのときに同時にオーラソーマの診断もお願いしておりました。その結果がファックスでこの間届きました。

なになに...「愛情深く、人に助けの手をさしのべる。最良の状態の時にはこういう姿がでる。感性、情緒的にも大変豊か。しかし、スランプのとき、平静でないときには甘えんぼで、相手に依存したくなることに注意。」はあ~、これには心当たりが....

「何か感情の嵐のようなことを味わっているらしい。パニックやショックという暗示あり。コーヒー、タバコ、買い物中毒に陥ったりしていないか?激しいウツ状態に陥ることがあるのでは?この辺が克服点かも知れない。ときたま人間不信になることは?」

ここが私にはちょっとよく理解できなかったのであります。現在は仕事もせず、毎日のんびり暮らしているもんですから、そんなにショックなこともないし、中毒になっているようなこともないし...ただ、ライブの後なんだか分からないけど気が付くと気分が落ち込み気味にはなっていたのであります。

ファックスの一番下のところに、「御質問があれば」とその方の連絡先が書いてありましたので、悩んだあげく、電話をしてしまいました。

すると、「その「感情の嵐...」の部分は4本選んだボトルのうちの2本目で、現在の障害となっていることを表しているんですよ。あなたのようにこのボトルを2本目に選ぶ人は、過去に心がビリッと裂けるような、ショックな出来事を経験した人が多いんですよ。何か心当たりは?」

そ、それは....以前職場で働いていたときのことで心当たりはあるけれど、でも、もう3年以上も過去の話しなのに.... と思いながらも、少しそれについてその方にお話ししました。良かれと思って後輩や同僚に親切にして来たつもりだったのに、その人たちは自分を守ることに必死で自分の利益のことしか考えない人たちだったので悲しい思いをしたこと、かえって妬みを買ったりしたこと...

「なるほど、あなたはやっぱり愛情深い人なんですね。でも、他の人の言うことは、何でも半分ですよ。何か言われたら、もちろんへこむけど、でも自分でへこまない、へこまない、と言ってね。」「あなたは、女王様オーラを出さないといけないんですよ、侍女オーラじゃなくてね」

その言葉を聞いていたら、なんだか感情がこみあげて、涙が出て来てしまいました。
お礼を言って電話を切ったのですが、なんと!そのあとすぐ、腰の痛みがだいぶ軽くなっていることに気がつきました!

ああ、これだったのね、あの痛みは、もうそのときの心の痛みを手放すときですよ、という合図だったのね、と思い、一人でうるうるしていたのでありました


目が悪くなろうと決意した日

2007年05月19日 16時34分42秒 | 心についてのあれこれ
今日の午後テレビを見ていたら、近眼のお笑いタレントがどこかの南の島に行き、そこで現地の人と同じ生活をして、視力を向上させる、という企画の番組をやっていました。そこに住む人々は視力9.0の人もザラだそうで、30日間の島での生活の後、そのタレントの人は視力が0.01から0.3になっていました。

すごいな~、と思いながら、そう言えば、私はどうして近眼になったんだっけ、と考え出しました。現在私の視力は裸眼だと0.1もありません。朝起きるとまずメガネを探さないと全く行動できないのであります。おぼろげな記憶を辿りながら、私が近眼になった頃のことを少しずつ思い出しました。

あれは、小学4,5年の頃だったでしょうか。その頃、家の中では両親のけんかが絶えなかったような気がします。狭い家の中で、重苦しい雰囲気が常に漂い、私は学校から家に帰るといたたまれなくて、よくマンガを読んでいました。マンガが大好きで、マンガの世界に入ってしまえば、家の中の険悪な雰囲気も忘れられて、楽しい世界に浸れたからでありました。

しかし、母は私がマンガを読むのを快く思わなかったため、「マンガなんか読むとバカになる」と小言を言われ、よく取り上げられていました。息抜きの場を失った私はどうしようもなくて、今度はテレビをよく見るようになりました。
すると母は、「テレビをそんなに近くで見るんじゃない、近くで見ると目が悪くなる」「テレビばっかり見てるんじゃない」と口うるさく叱りました。

私はすっかり追い詰められた気持ちで、「何をやってもダメダメばっかり。いっそ目なんか、悪くなってしまえばいいのよ!」と叫んだのを覚えています。心の中は悲しみでいっぱいで、もし本当に目が悪くなったら、少しは母も私を可哀そうと思ってくれるかも知れない、私の気持ちを理解しようとしてくれるかも知れない、と子供の浅はかな考えで考えていたような気がします。

そして、それから徐々に、私の視力は本当にどんどん悪くなっていったのでした。

そんなことを思い出しながら、ああ、そうか、私の視力が悪くなったのは、自分で自分に呪文をかけたからなんだな...と思い至りました。

もういいよ、もう大丈夫、もう安全だから、もう辛くないから、周りの世界をちゃんと見ても大丈夫だよ、と自分に言ってあげたら、呪いが解ける日がいつか来るでしょうか。
それともやっぱり、南の島で30日間くらい現地の人と暮らさないとダメかな。

ライブこぼれ話

2007年04月30日 14時47分55秒 | 心についてのあれこれ
実は、今回のライブの日にちが決まったすぐ後くらいに、家のホットカーペットの上でいつものようにうたた寝をしていて、夢ともつかない不思議なメッセージを受け取ったのでありました。
すご~くキレイな感じの人が(姿は見えなかったのですが、なんだかキラキラしていました。)、私に、「あなたの歌はとてもいい、とてもいいけれど、○○する必要があるので、これからいろんな障害が起こります。でも、頑張って乗り越えなさい。」と言うのです。

目が覚めてから、結構はっきりとメッセージを覚えていたのですが、どうしても○○の部分だけが思い出せませんでした。(ええい、○○のところが大事なのに~。)、
なんだかすごくリアルな感じのする夢で、自分の歌を褒められたので、夢だとしてもその時はすごく嬉しかったのですが、さて、その後ライブの日までにやっぱりいろいろなことが起こりました。

まず、前回参加してくれたベースとボンゴの人が今回は参加できなくなってしまいました。
チラシを作ってくれるはずの友人のお母様が急に具合が悪くなり、ギリギリでチラシを作ることができなくなり、急遽自分でチラシを作ることになりました。
そして極めつけには私が直前に風邪を引いてしまいました。
その他にもちょこちょこと問題が起こりました。

こんなにトラブルが続くと、今までの私だったら、きっとへこたれてしまっていたかも知れません。「こんなにトラブルが次々と起きるというのは、きっと神様に祝福されていないのかも知れない。」とか思って。
でも、今回はその夢のおかげで、プラスいろんな人からのサポートもあって、「だいじょうぶ、だいじょうぶ。これも乗り越えてライブを実現しましょう。」と思えたのでありました。

そしてライブは無事大成功!聴きに来てくれた人たちもすごく楽しんでくれて、障害を乗り越えて実現した甲斐がありました。

それにしても、「○○する必要」は一体なんだったのでしょう。そのうち分かる日が来るかしらん。

自分自身の鏡

2007年03月03日 13時41分13秒 | 心についてのあれこれ
先日、学生時代グループで仲良くしていた友人の一人に偶然道で会ったのだが、そのときに、彼女から、グループの人たちに対する不信の気持ちを投げつけられたのは辛かった。
もちろん、はっきりと言葉にはしないが、「あなただってそのうちの一人だからね」と暗示する意味もあったのかも知れない。

いろいろなことが積み重なって、彼女の心には当時の仲間に対する不信感が、十何年経った現在でも根強く残ってしまったらしい。

「でも、最近はそういう関係は切っていくことにしたから。」と冷たく言い放った彼女。

そうは言っても、そんな言葉を攻撃的な調子で私に投げかけるところは、彼女の心にまだ憤怒の炎がくすぶっている証拠ではないかと思う。彼女の攻撃的な言葉にひるみながらも、恨みの気持ちから心を引き離そうとすること自体は、悪いことではないかも知れない、とも思い、「そうね、その方が良いかも知れないね。」と答えた。

私には、何年経っても昔のことが忘れられなくてどうしても昔の仲間が許せない、という彼女の気持ちがよく分からない。私から見たら、そのグループの友人がそれほどひどいことを彼女にした、と言う風には思えないのだ。ただ、確かにみんな過去に、気が利かなかったり、想像力が足りなかったり、若さゆえの傲慢さで、思いやりが足りなかったということはあるかも知れない。

現在はもうみんな大人になり、それぞれに違う道を歩いていて、一人一人が、日々いろいろなことに遭遇して、苦しんだり、悲しんだりしながらも一生懸命生きているのを知るにつけ、みんな弱くて不完全な一人の人間、というだけなのに、どうしてそんなに強い憎しみをいつまでもその人たちに抱き続けるのかしら、と思ってしまう。

ただ、他人の心の中は私には計り知れないものであり、彼女の中に、その感情を持ち続けなければならない理由があるのだろう。

もしかしたら、彼女の、他人に対する不信感は、自分に対する不信感を投影しているのかも知れない。自分を信じることのできない人は、他人を信じることができない。自分を許すことのできない人は他人を許すことができない。
他人は自分自身の鏡なのだそうだから。

そんなことを考えながら、自分についても思い当たった。そんな彼女と偶然再会したということは、あなた自身の中の怒りや恨みについて、振り返ってみる必要がありますよ、というメッセージなのかも知れない。

本日はごきげんなり

2007年01月21日 15時03分23秒 | 心についてのあれこれ
京都の旅行から帰ってきてから、とっても気持ちの晴れ晴れとした毎日を送っています。
やっぱり旅は心身をリフレッシュさせてくれるものなのでしょうか。
これから行き詰まりを感じたときには旅をすることも一つの選択肢に入れようと心に決めました。

知恩院での早朝のお勤めが良かったのか、見慣れぬ風景に夢中になっているうちに日常の雑念から心が離れたのが良かったのか、神社でのお祓いの儀式が良かったのか、道中での友人との語りが良かったのか...

いろいろと考えてみましたが、多分どれか一つが一番良かった、というわけではなく、それぞれが総合的に私の心に効いたのだと思います。

夕べは友人のミュージシャンのライブに出かけ、踊り、また1曲歌わせてもらったのですが、ああ楽しい、ああ幸せ、という気持ちを、いつもよりももっと強く感じることができて、感激でした。

どんどん幸せになっていこう!

女神の時代

2007年01月15日 12時15分54秒 | 心についてのあれこれ
前回、前々回のブログに対して、読んでくださった女性の方から賛同の趣旨のコメントをいただきました。それから、女性の友人・知人にその話しをしたところ、「大変よく分かる、私もそんな経験がある」という言葉をもらったりしました。

ということは、やはりこの間の話は私個人に限った感情や不満ではなく、他の女性の間でも共有できるものなのだろうという意を強くしました。
コメントをいただいたみなさん、どうもありがとうございました。

こういうときに発揮される女性の思いやりや共感能力にはいつも驚かされます。
他人のことを我が事として考えることができるというのは、女性の優れた特徴の一つではないでしょうか。
長い間、そうやって女性同士はお互いに慰めあって励ましあってやって来たのだと思います。

でもね、そうやって今まで何とか乗り切ってきたけれど、現在、女性の多くは疲れ果てててしまっているような気がします。長い間、男性を立て、家庭を守り、子供のために尽くしてきたけれど、あまりにも自分を犠牲にして尽くしてきたのに男性は自分の業績は自分の力だけでやり遂げたことだと思い込み、もっと拡大できる、もっと豊かになれると信じています。女性は男性に理解されず、ないがしろにされるばかりで、精も根も尽き果ててしまっているのでは、と感じることがよくあります。
その行き場の無い怒り、哀しみ、ストレスなどが、自分より弱い立場の女性や男性へのイジメや、子供の虐待へとつながってしまっているのではないでしょうか。

私はアメリカのように男性と同じことをやって力で男女平等を勝ち取ろうとするようなフェミニズムはあまり好きではないし、ヒステリックに女性の権利を声高に叫ぶのも好きではありません。男性をやり込めようとか、ギャフンと言わせてやろうとかいう感情も健康的だとは思いません。
ただ、男性も女性も、より快適に暮らしていける社会になるには、事実は事実として明らかにするべきなのではないかと考えてはいます。

私が男性に望みたいことは、女性の陰のサポートの力、思いやりの力、愛情、といった目に見えない力にもっと気が付いて、女性を、それから自分の中の女性性を大事にしてもらいたい、ということであります。男性が自分の力だけでやり遂げた、と思っている業績のその陰には、女性の献身的な協力があった、ということが少なくないのではないでしょうか。
賢い男性はそのことにもちろん気が付いているはずです。
もし男性が女性の持つ目に見えない力に気が付き、感謝して女性を大事にすることができるなら、そのとき女性は自分の傷を癒すことができ、夜叉の面の顔から女神の面の顔へと戻ることができるのではないか、とそんな風に私は考えています。

西暦2000年に入り、占星術の世界ではうお座からみずがめ座(アクエリアス)の時代になったのだそうで、それには女性性の時代の到来という意味があるそうです。
2000年もの長い長い間女性が虐げられてきた時代は終焉を向かえ、これからは女性性が大事にされ、平和が尊ばれるよい社会になるように希望を持ちたいと考えている今日この頃でなのであります。